闇落ちリンクの話
【リンクとリーバル】
―――アッカレ地方。
突然出奔したあいつらしき人物をトモエ山道の分岐路で見たとの情報をプルアから聞き、居ても立っても居られなくなって僕はアッカレ地方にやってきた。
ハイラルには珍しい赤や黄の葉を付けた木々達は海岸線特有の激しい風に煽られていた。
「……それにしても強いな、風」
何か良くないモノを恐れる様に風が吹き荒れていた。
◇ ◇
アッカレ砦を出入りする商人や近くのシャトー集落の村人に話を聞くと、黒い外套を纏った金髪のやや小柄な青年の話題が上った。
なんでも、最近集落の麓の峠近くで手負いのハチクイグマがずっと暴れていたが、その話を聞いた例の青年が一人で退治してしまったという。クマの鋭い一撃を黒い盾で跳ね返したと思ったら、次の瞬間にはそいつの眉間を持っていた剣で一撃で刺し貫いて即死させたらしい。
クマは自然のケモノとはいえ、体力もかなりあってその鋭い爪から繰り出される攻撃はボコブリン達のそれより厄介なのに。
集落の人々はその青年の事を『まるで厄災を退けられたかの英傑様のようだった』と口々に言っていた。
(皮肉にも程がある)
未だあいつが出奔した話は極秘の話だから仕方のない事ではあるが……。
(ここの人間に笑顔でそう讃えられて、あいつはどう思ったんだろう)
クマ退治した青年の話を興奮気味に話していた老人をなだめて更に詳しく聞いてみると、ここから数キロ先にある力の泉に向かうようなことを話していたらしい。
――何か解せない。
今まで城の兵士やシーカー族にすら行方を掴ませなかったあいつが、見ず知らずの村人に自分の行き先など告げるだろうか。
(罠かもしれない)
それでも、行かなければならない。
あいつに問い質さなければならないことが山程ある。
一応の用心でオオワシの弓と各種属性矢、バクダン矢も多めに持ってきてある。
あいつと戦うことになる確率はまだ五分五分ではあるが――。
「お姫様には出来るだけ戦ったりしないで穏便にって言われたけど……」
使命を果たした姫巫女の国葬が執り行われた時のあいつの憔悴しきった顔を思い出す。
「もう、あいつに僕らの声は届かないよきっと」
出奔した元姫付きの近衛騎士が行くと告げた力の泉の方角を睨みながら、誰に言うともなしにそう呟いた。
◇ ◇
力の泉を訪れると意外にもリンクはすぐに見つかった。
全てを黒に染められたハイリアの服一式に身を包み、城から盗んだであろう近衛の剣を鞘に入れて携えたまま泉の前に立っていた。
――退魔の剣がない。あの剣が森に帰ったという話は本当らしい。
泉の前に静かに佇むあいつの視線は女神像に注がれていた。
「喪に服してるつもりかい? それ」
外套から少しだけ覗くあいつの顔があまりに陰気過ぎて一発殴ってやりたくなる。
が、ここは聖なる泉だ。怒りをグッとこらえ、なるべく冷静な口調で話しかける。
「……」
僕の声は聴こえているだろうに、あいつは何も答えない。僕ももう一言告げる程親切じゃない。
しばらく、泉に流れ落ちる水の音だけがこの場を支配していた。
◇ ◇
少し日が傾き始めた頃、相変わらず陰気な顔のあいつがやっと口を開いた。
「ゼルダ様は……」
「…………」
「この地で王家の姫巫女としての才に目覚められた時も、倒れるまで冷たい泉の中でずっと祈り続けていた」
――確かここは、封印の力には目覚めなかったものの、あの姫が自分の母親や祖母のような不思議な力を身に宿した場所だった筈だ。
このことが城での姫の評判が急に掌を返したように良くなったのはしっかり覚えている。今まで聞こえよがしにあの姫に酷い言葉を投げつけていた連中が急に彼女をほめそやすようになるのを見て、なんて勝手な奴らだろうと気分が悪くなったものだ。
うっかり彼らの前で嫌味を口滑らせかけて、ウルボザに〆られそうになったのが遠い昔のようだ。
「俺が大きな水音に気付いて泉の中で倒れていたゼルダ様を助けあげた時、彼女は朦朧とした意識の中でうれしそうに『これでやっと、何の後ろめたく思うことなく貴方達の隣にいる事ができます』と言っていた」
あの姫がそんなことを言っていたのか。
「……ホント、コンプレックス抱え過ぎだよね」
力などなくとも、彼女は確かに僕ら英傑の長だった。
その事実は例え僕らが厄災の討伐に失敗していたとしても決して消えはしないというのに。
「あぁ、俺も本当にそう思う」
◇ ◇
「――なんとなく、来るのは君 のような気がしてた」
一息ついて、あいつは僕の方を振り向かないままそんなことを呟いた。
「シャトー集落で自分の行方が知られるようなことしたの、わざとかい?」
「成り行きだよ。あの人との足跡を辿るのもこれで最後だから、それなら誰か知合いに来てもらって一度話をした方が良いかと思って」
「君、城の騎士やシーカー族を撒きながらそんなことしてたのか」
「それだけではないけど、ついでみたいなものかな」
「…………」
会話が途切れて、また水音がこの場を支配する。
堪り兼ねて、今度は僕から口を開いた。
「どうして城を出奔するなんて馬鹿な真似を? どうせ姫のことで何かあったんだろうけど」
「……俺が厄災と対峙する矢先、あの人に『私の封印の力は仮初めのもの』だと聞かされた」
力の泉で、あの姫は健気にも女神ハイリアに願ったらしい。この身はどうなろうと構わないから、ハイラルを、この地に生きる全てを守る力が欲しいと……。
「『おそらく封印の力を行使した時、私は命を落とすことになると思います。リンク、後のことは頼みます』と」
それが彼女の最期の言葉だったらしい。
「あの時、この泉でそんな約束を交わそうなんて考えに及ぶ前に、俺が無理矢理にでも沐浴を止めさせていればゼルダ様は……」
「その代わり、僕ら神獣の繰り手は確実に死んでただろうね」
「…………」
「あの姫が厄災によるガーディアンや神獣の乗っ取りなんて未来を夢で予知してなきゃ、ハイラル城やその周辺の村や町は地獄絵図になってただろうし、僕らもガノンが生み出したバケモノの奇襲を受けて負けていただろうよ」
自分の命を引き換えに得た力で、あの姫は己が護りたかったこの地に生けとし生けるものから厄災の恐怖を退けたのだ。
「きっと……この世は等価なんだよ」
彼女一人の犠牲が僕ら英傑と幾万の民を救った。それ以上でも以下でもない。
あの姫がそこまで覚悟をして決めたことなら、僕はその決意を尊重したい。
そこまで追い詰められていることに気付けなかった僕らが、とやかく言う資格なんてある筈もない。
……おそらくこの想いは他の連中も同じだと思ってる。
――目の前の退魔の剣の主を除いては。
「この国の平和の為にあの人が……ゼルダ様が死んだのはしょうがないってリーバルは言うのか…っ…?」
語気が強い。身代わりだと言ってるように捉えられたのかもしれない。
この僕がそんな意味で言うわけないことくらい、前のあいつなら分かってた筈なのに。
あの姫の死が、あいつの正常な判断力を奪ってしまったようだった。
「そう取りたきゃ勝手にすればいい。違うと言ってもどうせ……今の君にとっちゃ僕や他の英傑も、姫を犠牲にのうのうと生き延びた奴らと同じにしか見えないんだろ?」
理解しようとしない馬鹿にわざわざ優しく説明してやる言葉を僕は持ち合わせていない。
「………………」
僕の半ば自嘲の言葉にもあいつは無表情だったが、その手に携えた黒ずくめの剣は今にも抜き払われそうだった。
それをあいつが抑えたのはただただ此処が、あの姫との想い出の場所だからなのだろう。
「やめなよ。僕に斬りかかりたいならこの泉を出てからにしてくれ」
静かに殺気を滲ませるあいつを促して泉の外へ向かう。
◇ ◇
二人で黙って泉から出て、陰気な背中に声を掛ける。
「で、これから君はどうする気なんだい?」
「……イーガ団から、姫巫女を蘇らせる方法があると言われた」
「い、イーガ団だって?」
「彼らが言うには……姫巫女の魂は今、厄災と共に封印されているらしい。彼女の体が腐敗せずにずっと残っているのはその為だと言われた」
厄災の封印を解けば彼女の魂も肉体に戻り、蘇らせることができると。
「仮にも退魔の剣の主だった君があのふざけた奴らの走狗になるのかい? フン、物の分別も出来ないほど落ちぶれてしまったようだね」
「元だよ。もう、俺にあの剣を持つ資格はない」
「その古臭い退魔の剣にまで見放されてまで、君はあの姫を蘇らせたいの?」
「俺がそうしなければ、あの人は報われない」
そこまで言い切るのであれば、初めからあの姫に自分の想いをぶつけていれば良かったのに……。
「僕は城から出てった君を力ずくでも連れ戻して来いって色んな奴から頼まれてるんだ。――君の幼馴染には出来るだけ穏便にって言われたけど、大人しく城に帰る気はある?」
「……あったらこんなこと、初めからしていない」
答えると同時にあいつは持っていた真っ黒な剣をすらりと抜いていた。
「――そうかい」
もう手遅れなのだと、自分に言い聞かせるように僕は目をしばし閉じ――。
「馬鹿正直に聞いた僕が愚かだったよ……!」
目を開けたと同時に上空に飛び上がった。
◇ ◇
オルドーラ盆地内の林の中を走るあいつの頬を氷の矢が掠めていく。
その頭上近く、林を掠めるように低空飛行を繰り返して僕は矢を射る機会を探っていた。
「林に紛れてかくれんぼでもするつもりかい?」
「…………」
城の連中とゾーラのお姫様には悪いが、本気でいかせてもらう。そうでなければあいつには勝てないと僕の理性が訴えてくるのだ。それでも放つ矢はあいつの捕縛を優先する為に氷の矢を使ってる点は褒めてほしい。
ただ、あいつからは確かな殺気は感じられるものの、未だ戦意のようなものは感じられない。
まるで僕の意思を測っているような……薄気味悪さを肌で感じていた。
「ん?」
何を思ったのか、急にあいつは僕が狙いやすい高台に態々登ってきて、真っ黒な弓を取り出していた。
あの弓は確か護身用に姫の部屋にも置いてあった近衛の弓だ。かなり高性能な弓だった筈だが……。
(確かに僕の弓より引きは速かったけど、あの弓は脆過ぎて実用的じゃない)
「ふん、この僕に弓で勝負を挑む気? いい度胸じゃないか!」
「き…、…い」
僕の言葉にリンクは薄く笑って何事か呟いていた。
「!」
声はほとんど聞こえなかったが、大げさな口の動きでなんと言ったか分かってしまった。
「『君では、勝てない』だって……?」
一気に頭に血が上りそうだった。
よりにもよってリト族最強の戦士であるこの僕を、自分より弱いと嗤って言い切るその態度に激烈に気分が悪くなる。
「あいつ…っ…」
暗い外套から覗く陰気な青い瞳をギリと睨み付けるが、あいつはあの時のような不愉快な無反応を決め込んでいた。あの時と違うのは僕が怒る事を分かってわざとそうしている点。
「僕に蜂の巣にされたくてしょうがないみたいだねぇ……!」
矢を氷の矢からバクダン矢に持ち変える。穏便に……なんて言ってられない。あいつをどうにか大人しくしてあの陰気な顔に拳で一発くれてやらないと気が済まない。
もしかしてやり過ぎて大怪我させてしまうかもしれないが、ミファーの前に引きずって行けばいい。
(あのお姫様にはこっぴどく叱られるかもしれないけど)
そんなの些末事だ。今はあいつをどう捻じ伏せるかを考えるのが最優先事項である。
◇ ◇
持ち替えたバクダン矢の嗅ぎ慣れた火薬の匂いが僕の心を高揚させる。
(さて、どう料理してやろうか)
あの元退魔の剣の主はガーディアンのビームでさえ鍋のふたで跳ね返してしまう程、盾の扱いに長けている。
バクダン矢も馬鹿正直に真正面から放っていては確実に跳ね返してくるだろう。
だがタイミングをずらしたり、頭上を周るように飛びながらバクダン矢の雨を降らせてやれば流石に捌ききれまい。
無論、あまりやり過ぎると本当に消し炭になってしまうからバクダン矢の数は調整するが。
あいつにリトの英傑であるこの僕の弓の腕が如何ほどか身をもって教えてやる。
「僕に弓の腕で挑発したこと、死ぬほど後悔させてあげるよ……!」
まずは挨拶代わりにバクダン矢三発を乱れ撃つ。
それぞれ少しずつ軌道を変えて放った矢は盾では容易に跳ね返せないはずだ。
ズズンと小さな地響きがオルドーラ盆地に響く。
(さぁ、どう出る?)
爆風が切れるのを待ってリンクの様子を伺うと、意外な光景が広がっていた。
「! あれは……!」
リンクはリト族の正式な紋章が記されたパラセールで宙を舞い、他の高台に飛び移っていた。
(でもあれって……)
あれはリト族から王家に献上されて厳重に保管されていた一級品のパラセールだ。それを城から出奔したあいつが持っているということは……。
「くそ! あいつどれだけ城から色んな物盗み出してきてるんだよ!?」
シーカーストーンも研究所からなくなったらしいが、先程あいつが持っているのを確認した。
もしかしたらこれらを手に入れるのにイーガの奴らが協力しているのかもしれない。
「全く、厄介なことばかりしてくれるじゃないか」
姫巫女復活の為に一体あいつがイーガの奴らと何をしようとしているのか、捕えた後に問い質さなければならないようだ。
(ま、それはそれとして……)
色々とやらなければならないことは山程あるが、今はあいつを倒すことに集中しなければ。
「君が次のこれを避けられたのなら……」
元退魔の剣の主が立っている丘の上空を高速で旋回し始める。通った所から風が生じ、何度も同じ場所を旋回することで次第に円状の気流が出来始める。
風の勢いは留まることを知らず、真下にいた元退魔の剣の主の黒い外套を激しくはためかせていた。
「少しくらい、褒めてやっても良いけどね!」
吼えると同時に自ら作った気流に乗り、リンク目掛けてバクダン矢をつるべ撃つ。
その数六発。耳を劈くような炸裂音がオルドーラ盆地に響き渡った。
力の泉に訪れる人々に柔らかな木漏れ日を与えていた木々達は音を立てて倒れ、黒煙を吐いて燃え始める。周囲はぱちぱちと草木が爆ぜる音と小さな炎が燻っていた。
(ちょっと、やり過ぎたかも?)
あいつの安否を心配したのも束の間だった。
「…なっ…?!」
ようやく途切れた爆風の先……ゆらりと黒い外套がなびいたのが見えた。
「…………」
髪や衣服が所々煤けてはいたが、驚くべきことにあいつは全くの無傷だった。
よく見れば、あいつが携えたハイリアの盾が少しだけ歪んでいるのに気付く。
(あれだけの数のバクダン矢を全てあの盾一つでさばいたのか)
――はっきり言って、正気の沙汰じゃない。
「――――」
背中にゾワリと冷たいものが奔る。
僕はもしかして、決して勝負を挑んではいけないモノと戦っているのかもしれない。
そうこうしている内に、リンクが先程のバクダン矢の炸裂で発生した上昇気流を利用してパラセールで僕に接近してきた。
「あいつ……っ」
あいつが考え無しに死地に飛び込んでくるなど有り得ない。
何か企みがある筈だ。
お互いが弓の射程範囲にあって、あいつは僕を確実に出し抜ける”ナニカ”を持っている。
――強烈に嫌な予感がした。
「……ハッ! 自ら的になりにくるなんて愚行の極みだね!?」
背中に感じる悪寒を振り払って、あいつに挑発の言葉を浴びせ弓を構える。
するとあいつはパラセールを突如しまい込んで空中で弓を構えた。
「?!」
落下しながら弓を構えるあいつの周囲の空間が歪む。
(なんだあれは……!?)
以前ダルケルからあいつは戦闘時に集中すると周りがゆっくり動くように感じるらしいと聞いたことはあった。だが空中で弓を使う時までそうだとは聞いてない……!
躊躇してる間に、眼下の空色の瞳が僕を捕捉した。
弓を引き絞る驚異的な速度に背筋が凍る。
「チィ…ッ!」
慌てて弓を構え直すが間に合わない。
漆黒の外套をたなびかせて、あいつは見たことのない矢を迷いなく僕目掛けて放ってきた。
「…ッ…!」
――パン!と、放たれた矢が眼前で弾ける。
顔面近くで炸裂したバクダン矢のようなものには火薬は入ってなかったが、代わりに強い閃光と音で僕の意識を刈り取ってきた。
リト族の目や耳はとても優秀だが、その反面酷く繊細だ。強い光や大きな音にはめっぽう弱い。
リトの戦士になるのに幼い頃からそれに慣れさせる為の訓練も勿論ある。だがこんな至近距離で炸裂されれば僕だって耐えられない。
(あんな矢見たことも聞いたこともない。イーガ団のもの、か……)
誰にも見られること無く城からシーカーストーンやパラセールを盗み出し、その後も足跡を気取られずに各地を移動出来たのは影で奴らが協力していたからかもしれない…。
(あいつらを見くびりすぎてた結果、か……)
僕らが考えているよりもコトは早く進んでるようだ。
「ちく、しょう…っ…」
体勢を崩し、僕はオルドーラ盆地の林めがけて真っ逆さまに墜ちていった。
◇ ◇
墜ちた場所は運よく木が密集していて地面に直接叩きつけられることは避けられた。
「うぅっ……」
だがあの矢のお陰でまだ視界はつぶれ、未だに酷い耳鳴りがする。
眩しさと耳鳴りに苦しんでいると、僕を撃ち落とした元退魔の剣の主の足音が近付いてくるのを微かに耳が拾う。
「まだだ……!」
寝転んだ状態からあいつに向かって至近距離で自爆覚悟のバクダン矢を放つ。
――だが。
「遅い」
即座に盾が振られ、跳ね返った火薬が上空で爆発する。
「……チッ!」
次の矢を番えようと構えるが、それよりも速く踏み込んできたあいつに剣の鞘でオオワシの弓を身体ごと払われる。起き上がろうとした時には黒い剣を突きつけられ、右腕を踏みつけられていた。
「大人しくしてほしい。これ以上捨て身でバクダン矢を撃たれると力の泉にも害が及ぶ」
「…くそっ…」
まだ、何か手はある筈だ。
あいつに関して持って帰るべき情報が沢山ある。
それはここであいつに負けてしまえば持ち帰れない情報でもあった。
見た所、あいつにはどうも僕を殺す気はないようだ。
ならば勝機は必ずある筈だ。自然、両腕に力が入る。
すると、だんまりを決め込んでいたあいつの口がゆらりと開く。
「――リーバルは右で弓を持つんだったな」
あいつが静かに呟いた瞬間、踏みつけられていた右腕に激痛が奔った。
「ーーーっ!!」
ゾブリと……刃物が肉を絶つ嫌な音が聞こえ、焼けつくような痛みに声をあげそうになる。
痛みを堪えて右手を動かそうとしたが、ピクリとも動かない。
……翼の腱を完全に斬られたようだ。これでは弓を持つことも飛ぶことも難しい。
「お、まえ……!」
「殺す気はないけど、逃がす気もない」
背後にいる元近衛騎士を睨み付けるがあいつは眉一つ動かさない。
翼の腱を斬られるのは、リトの戦士にとって殺されるよりも屈辱的な行為だ。
それを仮にも王国一の騎士だったあいつが何のためらいもないことに怒りとも悲しみともつかない感情がこみあげてくる。
「僕を……どうする気だ」
「君を人質にしてアッカレ砦を陥落(おと)そうと思ってる」
そんなことを平然と答えるこいつに、もう説得とかそんなものが本気で通用しないことを改めて思い知らされる。
「チッ……随分と過激になったんじゃない?」
「自爆覚悟でバクダン矢を放ってくる君程じゃない」
「フン、冗談も休み休み言いなよ」
「俺はそんなに器用じゃない」
「……。確かに王家の姫が死んだからって、こんな馬鹿なコトしでかす程度には愚かで不器用だね」
「…………」
無言ではあったが、あいつの顔は少しだけ険しいものになる。
「さっきの与太話、本気で信じて奴らに与する気?」
「……ああ、本気だ」
「僕は君が何しようが別に知ったこっちゃないけど、他の連中の気持ちを少しは考えなかったのか?」
特にダルケルと……そして幼馴染のあのお姫様のことはと、言外に訴える。
「……………………」
「……な、何か言えよ」
しばらく沈黙していたあいつは険しかった表情を無にして淡々と口を開く。
「……言いたいことはそれだけ? あまり囀ると左腕も斬る」
「おい……!」
「さっき厄災の封印を解くと言ったけど、その為には神獣の繰り手の魂が必要だとも言われたんだ」
「!! まさか、君」
それなら僕を人質に取る理由も理解できる。
「嫌だと言っても引きずっていく。弓の持ち手の腱を斬ったんだ。少しは大人しくしてくれ」
リンクはポーチからおもむろに縄を取り出す。
どうやら、本気で僕を人質にするつもりらしい。
(どうするか……なんて決まりきってるよね)
あいつが厄災を復活させようとしてることや裏にイーガが関わってることがようやく分かった。
ここでおめおめと人質になれるような状況ではない。一刻も早くこの事実を他の連中に知らせなければならないのである。
(使いたくはなかったけど、仕方ない)
――幸い、手段はいくつか残されている。
本当はこんな所じゃなく、皆が揃ってる時にでも披露したかったのだが……。今はそんな悠長なこと言っていられない。
「フン、生憎と……たかが腕一本動かなくなったくらいで大人しくできるほど、僕は今まで殊勝に生きてきてないんでね…!!」
「!?」
胸元の鎧に隠し持っていた煙玉を地面に叩き付ける。割れたショックで激しい光が弾け、周囲は濃い煙に包まれた。
「この僕に逃げを選ばせたこと……光栄に思えよ!」
怯んだリンクの横っ腹に蹴りを入れ、何とか距離を取る。素早くオオワシの弓を嘴で咥えて左の翼だけで上昇気流を巻き起こした。
「くっ、まさか片手だけで……!?」
驚くあいつを無視して発生した気流で空中高く飛びあがり、傷ついた右手を庇いながらなんとかオルドーラ盆地上空を離脱した。
途中何度かバクダン矢が飛んできたが、急降下と気流での上昇を繰り返して何とか凌いだ。
万が一の事態にと、プルアから押し付けられていたシーカー族謹製の煙玉のお陰で命拾いした。
(確か他の連中は今ゾーラの里に集まってる筈だ。このままあそこを目指そう。……けど)
「グゥッ…!」
リンクに斬られてそのままの右腕から血がどんどん滲み、青い翼を赤く染め始めていた。
運が悪ければ里に着く前に失血からの墜落もありうる。だが止血する余裕はない。
もうすぐ日暮れだ。今立ち止まればきっとあいつから逃げられなくなる。そうなるともうアウトだ。
あいつの、そしてあいつの背後で暗躍するイーガ団の狙いを皆に知らせなければ大変なことになる。
「頼むから…もって、くれよ…っ…!」
フラフラとバランスを崩しかける体を何とか保たせ、僕はまっすぐゾーラの里を目指した。
―――アッカレ地方。
突然出奔したあいつらしき人物をトモエ山道の分岐路で見たとの情報をプルアから聞き、居ても立っても居られなくなって僕はアッカレ地方にやってきた。
ハイラルには珍しい赤や黄の葉を付けた木々達は海岸線特有の激しい風に煽られていた。
「……それにしても強いな、風」
何か良くないモノを恐れる様に風が吹き荒れていた。
◇ ◇
アッカレ砦を出入りする商人や近くのシャトー集落の村人に話を聞くと、黒い外套を纏った金髪のやや小柄な青年の話題が上った。
なんでも、最近集落の麓の峠近くで手負いのハチクイグマがずっと暴れていたが、その話を聞いた例の青年が一人で退治してしまったという。クマの鋭い一撃を黒い盾で跳ね返したと思ったら、次の瞬間にはそいつの眉間を持っていた剣で一撃で刺し貫いて即死させたらしい。
クマは自然のケモノとはいえ、体力もかなりあってその鋭い爪から繰り出される攻撃はボコブリン達のそれより厄介なのに。
集落の人々はその青年の事を『まるで厄災を退けられたかの英傑様のようだった』と口々に言っていた。
(皮肉にも程がある)
未だあいつが出奔した話は極秘の話だから仕方のない事ではあるが……。
(ここの人間に笑顔でそう讃えられて、あいつはどう思ったんだろう)
クマ退治した青年の話を興奮気味に話していた老人をなだめて更に詳しく聞いてみると、ここから数キロ先にある力の泉に向かうようなことを話していたらしい。
――何か解せない。
今まで城の兵士やシーカー族にすら行方を掴ませなかったあいつが、見ず知らずの村人に自分の行き先など告げるだろうか。
(罠かもしれない)
それでも、行かなければならない。
あいつに問い質さなければならないことが山程ある。
一応の用心でオオワシの弓と各種属性矢、バクダン矢も多めに持ってきてある。
あいつと戦うことになる確率はまだ五分五分ではあるが――。
「お姫様には出来るだけ戦ったりしないで穏便にって言われたけど……」
使命を果たした姫巫女の国葬が執り行われた時のあいつの憔悴しきった顔を思い出す。
「もう、あいつに僕らの声は届かないよきっと」
出奔した元姫付きの近衛騎士が行くと告げた力の泉の方角を睨みながら、誰に言うともなしにそう呟いた。
◇ ◇
力の泉を訪れると意外にもリンクはすぐに見つかった。
全てを黒に染められたハイリアの服一式に身を包み、城から盗んだであろう近衛の剣を鞘に入れて携えたまま泉の前に立っていた。
――退魔の剣がない。あの剣が森に帰ったという話は本当らしい。
泉の前に静かに佇むあいつの視線は女神像に注がれていた。
「喪に服してるつもりかい? それ」
外套から少しだけ覗くあいつの顔があまりに陰気過ぎて一発殴ってやりたくなる。
が、ここは聖なる泉だ。怒りをグッとこらえ、なるべく冷静な口調で話しかける。
「……」
僕の声は聴こえているだろうに、あいつは何も答えない。僕ももう一言告げる程親切じゃない。
しばらく、泉に流れ落ちる水の音だけがこの場を支配していた。
◇ ◇
少し日が傾き始めた頃、相変わらず陰気な顔のあいつがやっと口を開いた。
「ゼルダ様は……」
「…………」
「この地で王家の姫巫女としての才に目覚められた時も、倒れるまで冷たい泉の中でずっと祈り続けていた」
――確かここは、封印の力には目覚めなかったものの、あの姫が自分の母親や祖母のような不思議な力を身に宿した場所だった筈だ。
このことが城での姫の評判が急に掌を返したように良くなったのはしっかり覚えている。今まで聞こえよがしにあの姫に酷い言葉を投げつけていた連中が急に彼女をほめそやすようになるのを見て、なんて勝手な奴らだろうと気分が悪くなったものだ。
うっかり彼らの前で嫌味を口滑らせかけて、ウルボザに〆られそうになったのが遠い昔のようだ。
「俺が大きな水音に気付いて泉の中で倒れていたゼルダ様を助けあげた時、彼女は朦朧とした意識の中でうれしそうに『これでやっと、何の後ろめたく思うことなく貴方達の隣にいる事ができます』と言っていた」
あの姫がそんなことを言っていたのか。
「……ホント、コンプレックス抱え過ぎだよね」
力などなくとも、彼女は確かに僕ら英傑の長だった。
その事実は例え僕らが厄災の討伐に失敗していたとしても決して消えはしないというのに。
「あぁ、俺も本当にそう思う」
◇ ◇
「――なんとなく、来るのは
一息ついて、あいつは僕の方を振り向かないままそんなことを呟いた。
「シャトー集落で自分の行方が知られるようなことしたの、わざとかい?」
「成り行きだよ。あの人との足跡を辿るのもこれで最後だから、それなら誰か知合いに来てもらって一度話をした方が良いかと思って」
「君、城の騎士やシーカー族を撒きながらそんなことしてたのか」
「それだけではないけど、ついでみたいなものかな」
「…………」
会話が途切れて、また水音がこの場を支配する。
堪り兼ねて、今度は僕から口を開いた。
「どうして城を出奔するなんて馬鹿な真似を? どうせ姫のことで何かあったんだろうけど」
「……俺が厄災と対峙する矢先、あの人に『私の封印の力は仮初めのもの』だと聞かされた」
力の泉で、あの姫は健気にも女神ハイリアに願ったらしい。この身はどうなろうと構わないから、ハイラルを、この地に生きる全てを守る力が欲しいと……。
「『おそらく封印の力を行使した時、私は命を落とすことになると思います。リンク、後のことは頼みます』と」
それが彼女の最期の言葉だったらしい。
「あの時、この泉でそんな約束を交わそうなんて考えに及ぶ前に、俺が無理矢理にでも沐浴を止めさせていればゼルダ様は……」
「その代わり、僕ら神獣の繰り手は確実に死んでただろうね」
「…………」
「あの姫が厄災によるガーディアンや神獣の乗っ取りなんて未来を夢で予知してなきゃ、ハイラル城やその周辺の村や町は地獄絵図になってただろうし、僕らもガノンが生み出したバケモノの奇襲を受けて負けていただろうよ」
自分の命を引き換えに得た力で、あの姫は己が護りたかったこの地に生けとし生けるものから厄災の恐怖を退けたのだ。
「きっと……この世は等価なんだよ」
彼女一人の犠牲が僕ら英傑と幾万の民を救った。それ以上でも以下でもない。
あの姫がそこまで覚悟をして決めたことなら、僕はその決意を尊重したい。
そこまで追い詰められていることに気付けなかった僕らが、とやかく言う資格なんてある筈もない。
……おそらくこの想いは他の連中も同じだと思ってる。
――目の前の退魔の剣の主を除いては。
「この国の平和の為にあの人が……ゼルダ様が死んだのはしょうがないってリーバルは言うのか…っ…?」
語気が強い。身代わりだと言ってるように捉えられたのかもしれない。
この僕がそんな意味で言うわけないことくらい、前のあいつなら分かってた筈なのに。
あの姫の死が、あいつの正常な判断力を奪ってしまったようだった。
「そう取りたきゃ勝手にすればいい。違うと言ってもどうせ……今の君にとっちゃ僕や他の英傑も、姫を犠牲にのうのうと生き延びた奴らと同じにしか見えないんだろ?」
理解しようとしない馬鹿にわざわざ優しく説明してやる言葉を僕は持ち合わせていない。
「………………」
僕の半ば自嘲の言葉にもあいつは無表情だったが、その手に携えた黒ずくめの剣は今にも抜き払われそうだった。
それをあいつが抑えたのはただただ此処が、あの姫との想い出の場所だからなのだろう。
「やめなよ。僕に斬りかかりたいならこの泉を出てからにしてくれ」
静かに殺気を滲ませるあいつを促して泉の外へ向かう。
◇ ◇
二人で黙って泉から出て、陰気な背中に声を掛ける。
「で、これから君はどうする気なんだい?」
「……イーガ団から、姫巫女を蘇らせる方法があると言われた」
「い、イーガ団だって?」
「彼らが言うには……姫巫女の魂は今、厄災と共に封印されているらしい。彼女の体が腐敗せずにずっと残っているのはその為だと言われた」
厄災の封印を解けば彼女の魂も肉体に戻り、蘇らせることができると。
「仮にも退魔の剣の主だった君があのふざけた奴らの走狗になるのかい? フン、物の分別も出来ないほど落ちぶれてしまったようだね」
「元だよ。もう、俺にあの剣を持つ資格はない」
「その古臭い退魔の剣にまで見放されてまで、君はあの姫を蘇らせたいの?」
「俺がそうしなければ、あの人は報われない」
そこまで言い切るのであれば、初めからあの姫に自分の想いをぶつけていれば良かったのに……。
「僕は城から出てった君を力ずくでも連れ戻して来いって色んな奴から頼まれてるんだ。――君の幼馴染には出来るだけ穏便にって言われたけど、大人しく城に帰る気はある?」
「……あったらこんなこと、初めからしていない」
答えると同時にあいつは持っていた真っ黒な剣をすらりと抜いていた。
「――そうかい」
もう手遅れなのだと、自分に言い聞かせるように僕は目をしばし閉じ――。
「馬鹿正直に聞いた僕が愚かだったよ……!」
目を開けたと同時に上空に飛び上がった。
◇ ◇
オルドーラ盆地内の林の中を走るあいつの頬を氷の矢が掠めていく。
その頭上近く、林を掠めるように低空飛行を繰り返して僕は矢を射る機会を探っていた。
「林に紛れてかくれんぼでもするつもりかい?」
「…………」
城の連中とゾーラのお姫様には悪いが、本気でいかせてもらう。そうでなければあいつには勝てないと僕の理性が訴えてくるのだ。それでも放つ矢はあいつの捕縛を優先する為に氷の矢を使ってる点は褒めてほしい。
ただ、あいつからは確かな殺気は感じられるものの、未だ戦意のようなものは感じられない。
まるで僕の意思を測っているような……薄気味悪さを肌で感じていた。
「ん?」
何を思ったのか、急にあいつは僕が狙いやすい高台に態々登ってきて、真っ黒な弓を取り出していた。
あの弓は確か護身用に姫の部屋にも置いてあった近衛の弓だ。かなり高性能な弓だった筈だが……。
(確かに僕の弓より引きは速かったけど、あの弓は脆過ぎて実用的じゃない)
「ふん、この僕に弓で勝負を挑む気? いい度胸じゃないか!」
「き…、…い」
僕の言葉にリンクは薄く笑って何事か呟いていた。
「!」
声はほとんど聞こえなかったが、大げさな口の動きでなんと言ったか分かってしまった。
「『君では、勝てない』だって……?」
一気に頭に血が上りそうだった。
よりにもよってリト族最強の戦士であるこの僕を、自分より弱いと嗤って言い切るその態度に激烈に気分が悪くなる。
「あいつ…っ…」
暗い外套から覗く陰気な青い瞳をギリと睨み付けるが、あいつはあの時のような不愉快な無反応を決め込んでいた。あの時と違うのは僕が怒る事を分かってわざとそうしている点。
「僕に蜂の巣にされたくてしょうがないみたいだねぇ……!」
矢を氷の矢からバクダン矢に持ち変える。穏便に……なんて言ってられない。あいつをどうにか大人しくしてあの陰気な顔に拳で一発くれてやらないと気が済まない。
もしかしてやり過ぎて大怪我させてしまうかもしれないが、ミファーの前に引きずって行けばいい。
(あのお姫様にはこっぴどく叱られるかもしれないけど)
そんなの些末事だ。今はあいつをどう捻じ伏せるかを考えるのが最優先事項である。
◇ ◇
持ち替えたバクダン矢の嗅ぎ慣れた火薬の匂いが僕の心を高揚させる。
(さて、どう料理してやろうか)
あの元退魔の剣の主はガーディアンのビームでさえ鍋のふたで跳ね返してしまう程、盾の扱いに長けている。
バクダン矢も馬鹿正直に真正面から放っていては確実に跳ね返してくるだろう。
だがタイミングをずらしたり、頭上を周るように飛びながらバクダン矢の雨を降らせてやれば流石に捌ききれまい。
無論、あまりやり過ぎると本当に消し炭になってしまうからバクダン矢の数は調整するが。
あいつにリトの英傑であるこの僕の弓の腕が如何ほどか身をもって教えてやる。
「僕に弓の腕で挑発したこと、死ぬほど後悔させてあげるよ……!」
まずは挨拶代わりにバクダン矢三発を乱れ撃つ。
それぞれ少しずつ軌道を変えて放った矢は盾では容易に跳ね返せないはずだ。
ズズンと小さな地響きがオルドーラ盆地に響く。
(さぁ、どう出る?)
爆風が切れるのを待ってリンクの様子を伺うと、意外な光景が広がっていた。
「! あれは……!」
リンクはリト族の正式な紋章が記されたパラセールで宙を舞い、他の高台に飛び移っていた。
(でもあれって……)
あれはリト族から王家に献上されて厳重に保管されていた一級品のパラセールだ。それを城から出奔したあいつが持っているということは……。
「くそ! あいつどれだけ城から色んな物盗み出してきてるんだよ!?」
シーカーストーンも研究所からなくなったらしいが、先程あいつが持っているのを確認した。
もしかしたらこれらを手に入れるのにイーガの奴らが協力しているのかもしれない。
「全く、厄介なことばかりしてくれるじゃないか」
姫巫女復活の為に一体あいつがイーガの奴らと何をしようとしているのか、捕えた後に問い質さなければならないようだ。
(ま、それはそれとして……)
色々とやらなければならないことは山程あるが、今はあいつを倒すことに集中しなければ。
「君が次のこれを避けられたのなら……」
元退魔の剣の主が立っている丘の上空を高速で旋回し始める。通った所から風が生じ、何度も同じ場所を旋回することで次第に円状の気流が出来始める。
風の勢いは留まることを知らず、真下にいた元退魔の剣の主の黒い外套を激しくはためかせていた。
「少しくらい、褒めてやっても良いけどね!」
吼えると同時に自ら作った気流に乗り、リンク目掛けてバクダン矢をつるべ撃つ。
その数六発。耳を劈くような炸裂音がオルドーラ盆地に響き渡った。
力の泉に訪れる人々に柔らかな木漏れ日を与えていた木々達は音を立てて倒れ、黒煙を吐いて燃え始める。周囲はぱちぱちと草木が爆ぜる音と小さな炎が燻っていた。
(ちょっと、やり過ぎたかも?)
あいつの安否を心配したのも束の間だった。
「…なっ…?!」
ようやく途切れた爆風の先……ゆらりと黒い外套がなびいたのが見えた。
「…………」
髪や衣服が所々煤けてはいたが、驚くべきことにあいつは全くの無傷だった。
よく見れば、あいつが携えたハイリアの盾が少しだけ歪んでいるのに気付く。
(あれだけの数のバクダン矢を全てあの盾一つでさばいたのか)
――はっきり言って、正気の沙汰じゃない。
「――――」
背中にゾワリと冷たいものが奔る。
僕はもしかして、決して勝負を挑んではいけないモノと戦っているのかもしれない。
そうこうしている内に、リンクが先程のバクダン矢の炸裂で発生した上昇気流を利用してパラセールで僕に接近してきた。
「あいつ……っ」
あいつが考え無しに死地に飛び込んでくるなど有り得ない。
何か企みがある筈だ。
お互いが弓の射程範囲にあって、あいつは僕を確実に出し抜ける”ナニカ”を持っている。
――強烈に嫌な予感がした。
「……ハッ! 自ら的になりにくるなんて愚行の極みだね!?」
背中に感じる悪寒を振り払って、あいつに挑発の言葉を浴びせ弓を構える。
するとあいつはパラセールを突如しまい込んで空中で弓を構えた。
「?!」
落下しながら弓を構えるあいつの周囲の空間が歪む。
(なんだあれは……!?)
以前ダルケルからあいつは戦闘時に集中すると周りがゆっくり動くように感じるらしいと聞いたことはあった。だが空中で弓を使う時までそうだとは聞いてない……!
躊躇してる間に、眼下の空色の瞳が僕を捕捉した。
弓を引き絞る驚異的な速度に背筋が凍る。
「チィ…ッ!」
慌てて弓を構え直すが間に合わない。
漆黒の外套をたなびかせて、あいつは見たことのない矢を迷いなく僕目掛けて放ってきた。
「…ッ…!」
――パン!と、放たれた矢が眼前で弾ける。
顔面近くで炸裂したバクダン矢のようなものには火薬は入ってなかったが、代わりに強い閃光と音で僕の意識を刈り取ってきた。
リト族の目や耳はとても優秀だが、その反面酷く繊細だ。強い光や大きな音にはめっぽう弱い。
リトの戦士になるのに幼い頃からそれに慣れさせる為の訓練も勿論ある。だがこんな至近距離で炸裂されれば僕だって耐えられない。
(あんな矢見たことも聞いたこともない。イーガ団のもの、か……)
誰にも見られること無く城からシーカーストーンやパラセールを盗み出し、その後も足跡を気取られずに各地を移動出来たのは影で奴らが協力していたからかもしれない…。
(あいつらを見くびりすぎてた結果、か……)
僕らが考えているよりもコトは早く進んでるようだ。
「ちく、しょう…っ…」
体勢を崩し、僕はオルドーラ盆地の林めがけて真っ逆さまに墜ちていった。
◇ ◇
墜ちた場所は運よく木が密集していて地面に直接叩きつけられることは避けられた。
「うぅっ……」
だがあの矢のお陰でまだ視界はつぶれ、未だに酷い耳鳴りがする。
眩しさと耳鳴りに苦しんでいると、僕を撃ち落とした元退魔の剣の主の足音が近付いてくるのを微かに耳が拾う。
「まだだ……!」
寝転んだ状態からあいつに向かって至近距離で自爆覚悟のバクダン矢を放つ。
――だが。
「遅い」
即座に盾が振られ、跳ね返った火薬が上空で爆発する。
「……チッ!」
次の矢を番えようと構えるが、それよりも速く踏み込んできたあいつに剣の鞘でオオワシの弓を身体ごと払われる。起き上がろうとした時には黒い剣を突きつけられ、右腕を踏みつけられていた。
「大人しくしてほしい。これ以上捨て身でバクダン矢を撃たれると力の泉にも害が及ぶ」
「…くそっ…」
まだ、何か手はある筈だ。
あいつに関して持って帰るべき情報が沢山ある。
それはここであいつに負けてしまえば持ち帰れない情報でもあった。
見た所、あいつにはどうも僕を殺す気はないようだ。
ならば勝機は必ずある筈だ。自然、両腕に力が入る。
すると、だんまりを決め込んでいたあいつの口がゆらりと開く。
「――リーバルは右で弓を持つんだったな」
あいつが静かに呟いた瞬間、踏みつけられていた右腕に激痛が奔った。
「ーーーっ!!」
ゾブリと……刃物が肉を絶つ嫌な音が聞こえ、焼けつくような痛みに声をあげそうになる。
痛みを堪えて右手を動かそうとしたが、ピクリとも動かない。
……翼の腱を完全に斬られたようだ。これでは弓を持つことも飛ぶことも難しい。
「お、まえ……!」
「殺す気はないけど、逃がす気もない」
背後にいる元近衛騎士を睨み付けるがあいつは眉一つ動かさない。
翼の腱を斬られるのは、リトの戦士にとって殺されるよりも屈辱的な行為だ。
それを仮にも王国一の騎士だったあいつが何のためらいもないことに怒りとも悲しみともつかない感情がこみあげてくる。
「僕を……どうする気だ」
「君を人質にしてアッカレ砦を陥落(おと)そうと思ってる」
そんなことを平然と答えるこいつに、もう説得とかそんなものが本気で通用しないことを改めて思い知らされる。
「チッ……随分と過激になったんじゃない?」
「自爆覚悟でバクダン矢を放ってくる君程じゃない」
「フン、冗談も休み休み言いなよ」
「俺はそんなに器用じゃない」
「……。確かに王家の姫が死んだからって、こんな馬鹿なコトしでかす程度には愚かで不器用だね」
「…………」
無言ではあったが、あいつの顔は少しだけ険しいものになる。
「さっきの与太話、本気で信じて奴らに与する気?」
「……ああ、本気だ」
「僕は君が何しようが別に知ったこっちゃないけど、他の連中の気持ちを少しは考えなかったのか?」
特にダルケルと……そして幼馴染のあのお姫様のことはと、言外に訴える。
「……………………」
「……な、何か言えよ」
しばらく沈黙していたあいつは険しかった表情を無にして淡々と口を開く。
「……言いたいことはそれだけ? あまり囀ると左腕も斬る」
「おい……!」
「さっき厄災の封印を解くと言ったけど、その為には神獣の繰り手の魂が必要だとも言われたんだ」
「!! まさか、君」
それなら僕を人質に取る理由も理解できる。
「嫌だと言っても引きずっていく。弓の持ち手の腱を斬ったんだ。少しは大人しくしてくれ」
リンクはポーチからおもむろに縄を取り出す。
どうやら、本気で僕を人質にするつもりらしい。
(どうするか……なんて決まりきってるよね)
あいつが厄災を復活させようとしてることや裏にイーガが関わってることがようやく分かった。
ここでおめおめと人質になれるような状況ではない。一刻も早くこの事実を他の連中に知らせなければならないのである。
(使いたくはなかったけど、仕方ない)
――幸い、手段はいくつか残されている。
本当はこんな所じゃなく、皆が揃ってる時にでも披露したかったのだが……。今はそんな悠長なこと言っていられない。
「フン、生憎と……たかが腕一本動かなくなったくらいで大人しくできるほど、僕は今まで殊勝に生きてきてないんでね…!!」
「!?」
胸元の鎧に隠し持っていた煙玉を地面に叩き付ける。割れたショックで激しい光が弾け、周囲は濃い煙に包まれた。
「この僕に逃げを選ばせたこと……光栄に思えよ!」
怯んだリンクの横っ腹に蹴りを入れ、何とか距離を取る。素早くオオワシの弓を嘴で咥えて左の翼だけで上昇気流を巻き起こした。
「くっ、まさか片手だけで……!?」
驚くあいつを無視して発生した気流で空中高く飛びあがり、傷ついた右手を庇いながらなんとかオルドーラ盆地上空を離脱した。
途中何度かバクダン矢が飛んできたが、急降下と気流での上昇を繰り返して何とか凌いだ。
万が一の事態にと、プルアから押し付けられていたシーカー族謹製の煙玉のお陰で命拾いした。
(確か他の連中は今ゾーラの里に集まってる筈だ。このままあそこを目指そう。……けど)
「グゥッ…!」
リンクに斬られてそのままの右腕から血がどんどん滲み、青い翼を赤く染め始めていた。
運が悪ければ里に着く前に失血からの墜落もありうる。だが止血する余裕はない。
もうすぐ日暮れだ。今立ち止まればきっとあいつから逃げられなくなる。そうなるともうアウトだ。
あいつの、そしてあいつの背後で暗躍するイーガ団の狙いを皆に知らせなければ大変なことになる。
「頼むから…もって、くれよ…っ…!」
フラフラとバランスを崩しかける体を何とか保たせ、僕はまっすぐゾーラの里を目指した。