探偵の夢想的朝方
「軍人になるための最終試験を知ってるかい」ホームズが言った。「自分を育ててくれた上官を連れてきて、銃で撃ち殺せと命令することがあるのだよ」
「そりゃあおそらく撃つだろう。さんざんしごかれているからな。それに空砲であることは暗黙の了解だ」
ホームズは少し考えた。
「いや、違うね。空砲だと知るや否や、座っていた椅子で殴り殺せば正解だ――さて、合格者は誰だろう」
「同じく妻を撃てという笑い話もあるが、僕ならどちらも断るな――ところで君。話の途中で悪いが、銃口は向こうに向けてくれ」
外した銃創に弾が入っていないことは確認していたが、気が滅入ることに変わりはない。辛い記憶も徐々に消え失せたとはいえ、事件の都度、手入れをする度に思い出される記憶が、薄れてはいても消え去ることはなかった。
カチ、と音を立てこめかみを狙ってくる。私はため息を吐いた。
「試し撃ちならせめて首から下にしてくれ」
「弾は入ってない」
「手入れをしている時点ではだろう。しかし君のことだから、わざとその姿を僕に見せて、壁でも撃ち抜いて驚かせようという魂胆だ」
ホームズはさもつまらないといった風に首を振った。外は雨。扉は沈黙。退屈しているのだ。
「君に嘘をついたことがあるか?」
「数えるのはやめたよ」
彼は拳銃を机の上に無造作に置き、自室にもどると見せかけマントルピースの脇にかかっている額の位置をなおし始めた。
私は読んでいた本を閉じ、拳銃をとった。弾は入ってない。「――悪かった」
「話が通じたみたいだな。お茶にしよう」
珍しく綺麗に片づいた食卓机の周りをうろつく。私のカップにだけ紅茶を注いだ。私の手はしばらく止まったが、彼は気味の悪い営業スマイルを浮かべている。
「旨いかい?」
「ああ、うん」
「美味しいかい?」
「――同じ意味だ。何か入ってるのかね」
別に何も、とマッチを擦る。煙草のほうは私の口に無理やり押し込み、火がつけば取り上げ、自分だけ後ろを向いて吸い始めた。
自分の胃を確認する。特に問題はない。機嫌のほうが問題だ。「ホームズ?」
彼は答えなかった。額の絵をじっと見ている。煙を吐き出すと目の前がわずかに曇った。私は沈黙に堪えかねて聞いた。
「わかったよ。君はそろそろ知性の劣った相棒に我慢ならず、軍隊に対するひねくれた嫌悪感も捨てられず、ついでに拳銃の手入れは愚か室内装飾のちょっとした不具合さえ放置している僕への当てつけに――」
暇なだけさ、と首の根元を叩く。「暇潰しついでに殺人事件の書き物を考えていたんだが、君の十八番を奪うようで気が引けたのだ」
私は身を乗り出した。「是非とも聞かせてくれ」
ホームズはペンと紙を用意しかけた私を制した。
「まず軍人上がりの医者が殺される。動機は何でもいいが頭の切れる同居の男が犯人とする。下宿の家主が階下で男の倒れる音を耳にしないように、彼を椅子へ誘導。紅茶で毒殺では証拠も集めやすいため、絵の後ろにあらかじめ仕込んだ証拠品が死の原因だと、頭の足りない警察連中に思わせなければならない。そこで壁裏にある医者のへそくりと、その主な資金源である患者への催促状を大量に用意。これ見よがしにずらした額へ設置後抹殺。死体はテムズ川へ彼ご愛用の武器と共に投げ捨てる。単純だが巧妙な完全犯罪。警察諸君は自殺と断定」
「そこまで詳しく考えているのに、なぜ実行しないんだ……いや、執筆のほうの話だが。それに絞殺するにしても気絶させるにしても、私の体に証拠が残るだろう……いや、医者のほうの話だが。体に水死以外で窒息死の形跡が」
証拠は残らない、と彼は繰り返した。煙草を持った手が肩にかかる。ガウンの裾が、私の頬を擦った。「僕は君より息が長い。試してみるかね?」
合格者は彼だ。意図に気づいた私を長い指が制した。
探偵の夢想的朝方。
End.
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