探偵の希望的日曜日


 整った顔立ちと素晴らしい金髪。少年は完璧な出で立ちで私を振り返ると、にっこり微笑んだ。

 どこの子息だろう。

 ホームズの元に子供の依頼主が来たことは初めてだった。私がノックもせずに入ったことを詫びると、首を小さく振ってみせた。

 歳のころなら十四か五だろうか? まさかホームズの変装であるのは考えられない。身の丈に合わせたモーニングが彼の美しさを引き立てている。思わず感嘆の息を吐いた。

「どうぞ、こちらへお座りください」

 彼はをもう一度首を振って、窓から下を見下ろした。ホームズを待っているのだ。

「もうすぐ帰るでしょう――おかしいな、朝は居たのに」

 私は抱えていた荷物をすべて机に置いた。なぜ片づいていないのだ? 無精なホームズも来客があるときだけは比較的綺麗にしているのだが。

「う、わ」

 書類が傾く。両手は塞がっている。白く細いしなやかな指が物が崩れるのを防ぎ、私を下から見上げて艶やかに笑った。

 どちらかといえば男はがっしりしたほうが好みだ。筋肉も未発達の子供を前に、そっちの趣味はないぞと顔を真っ赤にしてしまう。

 可愛い、とは違う。色気のある危険な香り……こいつはトップだ。

 狙われている? ちょっと弄りやすそうな親父が来たなとか思われてる?

 荷物を持ったまま下がった。指先が追ってきて私の胸倉を掴む。

 私が悪かった――君は私の手に負える人間ではない。頼むから離してくれ。喘がせてもあまり楽しくないと思うよ、せめて頭も含めた全身の毛を剃ってからにさせてくれ、と。

「何を遊んでる」

 コンコン、と開きっぱなしのドアをノックしてホームズが入ってきた。

 目の前には赤い唇を舐める少年が、ほとんど私を椅子に押し付けるようにしてのしかかっている。振り向きざまにチッと舌打ちをした。

「ホームズ。この子はいったい」

「それはないぜ、ドクター。まあ俺も鏡見たら殴り倒したくなったけど」

 聞き覚えのある粗雑なアクセントに慌てて顔を見る。ホームズが鼻で笑った。

「鏡に何分キスをしていただろうね? ウィギンズ君、君にナルキッソスの気があるのは理解した。ワトスンの膝から二秒で降りろ」

「彼は嫌がってませんや。ミスター・ホームズ、扉を閉めてしばらく向こうへ――」

 聞き取れぬほどの早口だったが、ホームズは三秒オーバーと手を鋭く叩いた。パッと離れて直立不動で立つ。軍隊並だ。

「君の今朝の仕事は?」

「イエス・サー。終わりました」

「よろしい。本当は次の任務でワトスンの息子として君を送るつもりだったが……」

 ウィギンズは私に向かってウィンクをした。ホームズがにやついた顔を地に突き落とす。

「――私の隠し子として連れて行こう」

「ええ? 髪の色が全然違うし、鼻は曲がってません」

「靴墨で染める。二、三発殴れば私とお揃いだ。他には!」

「顎はそんなに角張ってねぇ」

「犬のように馬蹄を噛ませる。目的地に着くまで八時間の間、その減らず口を閉じておくんだ」

「生え際でも抜きまっさ」

 浮き出た青筋をぴくぴくとさせる探偵に、全く動じない。対照的にホームズは、外見と釣り合わぬ少年のからかいを丸のまま受けていた。

 私は腰に両手を当てて踏ん反り返るウィギンズを足先まで眺めた。人はいかに相手を見た目で判断しているか――いい例だ。

 美しく装うことで、浮浪児の子供は公爵家の跡取りと言っても通りそうだった。

「ウィギンズ。君さえよければだが――誰かの養子になって教育を受けたり、ほかのことも」

 ホームズが息を飲んで視線を向けてきた。私は禁句であることを重々承知した上で、堅い表情になった少年に再度言った。

「君は昔から飛び抜けて頭がいい。たくさんの孤児たちのリーダー格だ。子供扱いをすることで君を傷つけてはいけないと、この話題は避けてきた」

 ウィギンズはため息をついて苦笑した。

「ドクター・ワトスン。その程度で俺は傷ついたりしねぇ。あんたや先生が俺のことを買ってくれてるのを知ってるし」

「学校に行きたくはないかね。ホームズが君を養子にできないか、書類を集めているのを見た」

 ウィギンズだけでなく、ホームズも真っ赤になった。互いの顔を見ようとしない。

 少年は何となくホームズのセクシャルを理解していたから、そりゃ俺が美少年だからだろと言った。

「ホームズのストライクゾーンは残念ながら十四歳までだ。それに」

 私はホームズを見た。「彼は自分が美少年になりたかった口なのだよ。今は縦に伸びたナポレオンでもいいと思う男がいるから、君の安全は私が保証する」

 抗議のうめき声は完全に無視した。

「栄養が足りないから成長が遅いけれども、来月十六になるだろう」

「もう多分、なりました」

 彼がいつ生まれたか知っている者はいない。ホームズが周囲の大人に聞き込み、少年がいつ引き取られたか調べたのは数年前の誕生日だった。

 少年が欲しいと望んだものが聖書だったので、信仰の薄い探偵も私も大層驚いた。イレギュラーズ全員の分の聖書を二人で買い与えた。ウィギンズの喜びようは忘れられない。

 一生かけて勉強しますと彼は言った。気まずい空気を読むとしきりに胸を撫でるのは、彼にだけ与えた十字架がそこにあるからだ。

「ドクター、俺には答えられない。そ、く。そく」

「即答」

 彼はうなずいた。

「即答できる問題じゃありません。本当はすぐ断るべきなんだろうが」

 ホームズがぽつりと言った。「断ったら別の奴を探すさ。君が特別なのではない」

 ウィギンズと二人、顔を合わせて苦笑する。返事をうずうず待っている証拠に、脚先が宙をさ迷っていた。

 ホームズJr.になってほしいですかい、と彼が聞けば、探偵は少年のいた窓際に寄って腕を組んだ。

「誰とも結婚しないで済むならね」



 探偵の希望的日曜日。



End.
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