ホームズ家の姉妹

「エリザベス……待ってくれ!」

 家を飛び出したホームズは、苦しそうに道端であえぐ妹を見つけた。

 妹は昔は元気だったのだが、自分に似て病弱になってしまったのだ。

 白い手を握れば、負けず劣らず白い目が四方八方から向けられた。ホームズは獄中から出たままのヒゲ面のハゲ茶瓶だったからである。

「いやっ。お兄ちゃん。いやっ」

 兄は手を離して、高い背筋を折り曲げた。

「ぞうさんごっこはもうしないよ」論点はそこではない。「もちろんお医者さんごっこもだ。コカインも獄中でやめたのだ。きれいさっぱり改心したのだ」

「そういうことじゃ……ないの」もっともである。「上のお兄ちゃんとのお医者さんごっこでは。さ、さ、注される側だったのよね」そういうことでもない。

「ベス。……それは」

「はっきり白状しろよ探偵さんよ」

 ヤジがとんできた。ロンドン市民が敵なのはデフォである。ホームズは蹴り飛ばした。アイテムどころか金貨も出なかった。攻略には絶え間ない忍耐が必要だ。

「おしりに注入されるなんて……痛くないの?」

 こぶしを唇に当ててうつむいた妹の、うなじの汗がきらりと光った。ホームズは生唾をまたのみ込んだ。

「その話はやめよう。テムズ側沿いの橋でも歩こう。お兄ちゃんが魚と芋の油ぞえを買ってやるから」

 フィッシュ&チップスはなんだかオシャレな食べ物から庶民の餌へと格下げされた。

「……はい」

 妹はやはり可愛いかった。





 ワトソンは満足していた。実のところホームズを刑務所に追いやってから、妹たちは散り散りになってしまっていたのだ。

 この三ヶ月、ワトソンは長い禁欲生活を強いられていた。尻の穴さえあれば、ホームズも悪い男ではなかったことに気づかされるくらいだった。

 近年、梅毒の横行しているロンドンでは、タン壺でさえ清潔で貴重な自慰道具なのだ。変態大国イギリス屈指の職人たちは、こぞって壺を造ったのだがこれがとぶように売れた。

 しかしワトソンの火掻き棒には無用だった。小さすぎた。壺のほうがだ。断じて火掻き棒が臨界に達してなお細すぎたからではない。

 したがって一番手軽な相手として、一度ははやまってハドソン夫人とことにおよんだ。

 しかしこれが唇を吸っただけで入れ歯が喉に詰まるという大惨事に終わり、欲望という名のスペルマは密室というミステリ最大の見せ場に突入することなく、窒息死をむかえた。ある意味難事件だった。

 それがどうだろう。今日は一転してハーレムだ。

 可憐な花のひとりはむっちりした中年男に変わってしまったが、一風変わった多肉植物と思えば、部屋の装飾品として許容できる。

「マイクロフトさん。弟さんたちが心配ですね」

 マイクロフトは弟のパイプをくゆらせた。吸い口を舌で何度もペロペロとなめる。

「そうでもないね。妹はまだ三人もいるしね」

 長女と次女と四女は疲れたのか、マイクロフトという肉の塊を間にして、長椅子の上で寝てしまっていた。

「サンドウィッチ……」

 ワトソンの目は殺意に濡れていた。





 兄妹は楽しいデートを終えて帰路についた。すっかりあわれな浮浪者と淑女の図だった。隠れ家で着替えようということになった。

「いくつ隠れ家を持ってるの? お兄ちゃん」

「ベイカー街には五つくらいだね。ロンドンには十軒はあるね。イギリス全体だと三十軒はかたいね。世界中なら六十は間違いないね」

「すごい!」

 キラキラした妹の目は疑いを知らなかった。見栄をはった兄の良心はズキズキと痛んだ。

「マイクロフトお兄ちゃんがためこんでるからね。さ、入りなさい」

「えっ。まだお小遣いをもらってるの」ベスはうらやましそうにいった。「私より倍近く生きてるのに。お仕事ないの? まさか……ワトソン博士に脅しとられてるの!」

 ベスはホームズの胸に抱きついた。ホームズの息は機関車より早くなった。鼻からロンドンの汚染された空気を噴き上げ、目の前の空気は黄色く染まった。

「お、脅されてなどいないよ」

「強姦されたの、それとも合意の上なの? ここは二人の愛の巣なの?」

「ときとしてまあね、生理的な、その、なんだね。まあとにかく入ろう。独身者にはいみじくも最良の……ワインボトルとそのグラス、あるいは栓抜きというものがあってだね。そういうものを一般的に『ホームズとワトソンのような』と表現するのだ」

 ホームズは言い訳がましくわけのわからぬことをいった。

「肉便器なのね」わっと泣いた。ベスはたしかに容赦なかった。
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