ホームズ家の姉妹

 ――事件はすべて終わった。

 今回の騒ぎで無精さを脱ぎ捨てたマイクロフトは、翌日から仕事にもどった。

 ディオゲネスクラブの談話室には、お持ち帰りできなかった小さな紳士の代わりに、彼の省略されてしまった長弁舌を気に入った裁判長が待っていた。

 裁判長が木槌を振り上げると、マイクロフトは皆まで言うなとばかりに無言で片手をあげた。マイクロフトは自分の下半身のディオゲネスが哲学者としての怒りに満ちるのを感じた。そして裁判長と木槌で握手した。

 裁判所の外まで木槌を持ってくる馬鹿はいないので、つまりはそういうことである。


 ――。


 長女のメグはハドソン夫人に「私の大輪の薔薇。でも名前はマーガレットさん」と呼ばれ二人で小旅行にでかけた。ブレンドされた紅茶の味わいは加齢臭も消してしまうほどだった。適温である八十度を越えるのだけが難点だった。

 二人の燃え盛る暖炉には火掻き棒など無用の長物だった。


 ――。


 次女のジョーはレストレード警部のズッキーニの味と牡蠣を小さくする作業を教えてもらうため、彼の家にいってしまった。彼女も目覚めればなかなかの食道楽だったが、警部にはかなわなかった。

 警部は料理の技術に長けていた。身長を少しでも伸ばすための食事療法と、小男である劣等感を他で補おうと、寝床の時間を充実させる努力を惜しまなかったゆえんである。

 アワビと牡蠣とズッキーニの料理は特別上手だった。レストレード夫人のせいで牡蠣は成長したからだ。


 ――。

 もちろんレストレード夫人がワトソン夫人と国外へ行ったのはそういうことである。

 二人は事件の穴を引っ掻いたりほじくったりするのが大好きだが、どこぞの探偵と違って途中で放り投げることはしない。

 そして年々萎えるいっぽうの夫たちの火掻き棒には我慢ならなかったので、二度と帰ってくることはあるまい。

 ――。

 ひとりの姉と、ひとりの兄が足りなかった。二人は今ごろ。おそらく。きっと。

 事件はすべて終わったのだ。四女の胸のうち以外の事件は――。

 もちろん一人ではなかった。医者もどきがベッドの隣で、自分の火掻き棒と格闘していたからだ。





 ワトソンは自分のズッキーニをホームズの妹にズッキーニさせる手はずを整えた。

 下手な表現は騒ぎに疲れている証拠だろう。エイミーが自分のために、服を脱いで待ってくれているというのに。

 ワトソンは作家としての自分の能力には絶大なる自信を持っていたため、脳内の相棒の冷ややかな批評は努めて無視した。

 なぜこんなときにもしゃしゃり出てくるのだ。

 横顔がこちらを向いた。怖い顔をしていた。頭は禿げていた。肌はざらざらだった。撫でた尻だけきれいだった。むしろそこだけだった。火掻き棒を味わう姿も珍妙だった。前歯がないので痛くなかった。鼻が突き刺さりそうだった。

 青白い顔が歪み、出したときだけ、んっ。といった。

 注射針をさしたあとの様子に似ていた。満足そうに見えた。まぼろしは静かに消え去った。

「用意できたの? 先生」

「うむ。オペの準備は済んだ。手術をはじめよう」

 エイミーは振り返った。下を見る。上を見る。「駄目よ。ほかの人のことを考えているから」

 ワトソンは目をそらした。

「男はね。男っていうのはね、ものすごくデリケートなものなのだ。そりゃあ一日中、恋する相手のことだけ見て、発情できるなら私だってそうするがね。エイミー……」

「聞きなさい豚」

「もっと言って」ワトソンはキャンキャン吠えた。「好きなんだ。君が欲しい。婚前交渉に警戒心があるなら一からやり直そう。君のためなら死体や署名入りの謎をもう一度用意するくらいわけないことだ!」

 ワトソン夫人を得るための影の努力だった。だがは下は萎えた。

 エイミーは真剣にいった。「ワトソン博士。あなたどこまで馬鹿を装うつもりなの」

 ワトソンはため息をついた。

「……聡い子だね。服を着ようか」

「このままでもいいわ。女は一度脱ぐと面倒なの」

「ホームズに半殺しにされるのが目に見えてる。事後なら開き直るが途中でバリツはくらいたくない」

「左ストレートよ。彼は気の毒なヴィクターをなぐって一度は再起不能にさせたの」エイミーは笑った。「忘れてたわ。どうしてかしら……」

 ワトソンは彼女の体にシーツをかぶせた。エイミーは呆然とした。

「私。どうして。この間から泣いてばかり。ほとんど泣いたこと……なんて……ッ」

「大丈夫。誰にも言わないから」

「本当よ。先生、本当なんだから!」

ワトソンはぎゅっと彼女を抱きしめた。エイミーはワトソンにしがみついた。「本当なの……」

 ワトソンは静かに彼女の頭を撫でた。
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