ホームズ家の姉妹
エイミーは憮然としていた。気を落ち着けるため紅茶を一口飲む。
紅茶を淹れてくれたハドソン夫人は、完璧な化粧をしていた。二十は若返って見えた。
あれからひとしきり感傷に浸った末っ子は、泣きつかれて階下に降りた。籠城後はハドソン夫人が急に綺麗になった理由に気づき、長女の邪魔をしないよう、また部屋に戻った。
「――で?」
ホームズ兄妹とワトソンとレストレードがベイカー街の下宿にそろっていた。そのなかには何故か兄のシャーロックと、三女のエリザベスだけがいない。
すべて終わっていたのだ。自分だけが蚊帳の外だった。エイミーはイライラを隠して腕を組んだ。
「私の尽力とシャーロックの人望の集大成で、問題は解決したぞ。ヴィクター・トレヴァーという男を覚えているか。エイミー」
「シャーロック兄さんの大学でできたほぼ唯一の友達よね。マスグレーブだかグレープだかいう人は別として」エイミーはため息をついた。「小さかったから大学に遊びに行ったときよく遊んでもらったわ。インドにいるんじゃないの?」
「馬の手綱のことは覚えていないようだな」
「手綱……? ああ、あの方すこし変わっていたから。お馬になってといって遊んでもらったけど。私やシャーロック兄さんに鞭で叩かれると本当に幸せそうだったのよね」
エイミーはぞくっとして腕を支えた。
「夏にあの人の家に一ヶ月ほど滞在したの――。飼い犬のブルだかなんだかと、一緒に遊んで。それで。スカートをめくって、湖の傍で」
記憶力はそれほどない。自分でもわからない心的外傷を受け入れられていないのだ。頭がガンガンしてきた。
「シャーロック兄さんがすっとんできて、彼を殴り飛ばしたわ。どうしてかしら。……えっ?」
エイミーは顔をあげて周りをみた。とたんに大人たちは声をあげて泣いた。
「よく話してくれたな、エイミー。そうだ。あの男は今は父親の跡をついで地方判事になっている。借りを返すために私たち兄弟とその関係者を助けてくれたのだが」
エイミーはわけがわからなかった。首を左右に振る。
「兄さんったら喧嘩っぱやいわね。悪いけどよく覚えてないわ。怪我でもさせられたのかしら。私、そんなの別に、なんでもないことなのに……」
マイクロフトの声は優しかった。
「――おまえをとても愛しているぞ。家族みんな」
しんみりした空気を断ち切るように、ワトソンは口を開いた。
「私とレストレード警部の誤解が解けたのは、お兄さんのおかげだよ」
「シャーロックじゃないぞ。頼りがいのあるほうだぞ」マイクロフトは胸を張った。
次女のジョーは真っ赤になって倒れた。エイミーはその反応でだいたい予想がついた。知りたくなかったのでいった。「もういいわ。黙って」
「壇上にあがって尻の穴を見せたのだ。どちらがどちらの鍵穴に鍵以上の大きさのモノを突っ込むことが不可能なのは、誰の目にも明らかだった」
「黙りなさい発情不良の駄犬。それ以上いったらバスカビル家に送るわよ。例の化け物犬には子供がいるから、さぞや可愛がってくれるでしょう。今後は穴を大事になさい」
「もっと言って!」ワトソンは決め台詞を思い出した。「間違いないエイミー。やはり君が私の女神だっ」
「それは気のせいよ先生。かわいそうな息子を見なさい」
ワトソンは一足さきに泣き濡れているとばかり思っていた火掻き棒を見た。
なんと! 火掻き棒は無反応だった。
「うう……うぅぅ。あれはまさしく例えるなら牡蠣! 牡蠣が豊富な年になりそうね……小銭が多くなるわ」
ジョーはうわ言を呟いてのレストレード警部の上に倒れこんだ。警部のストーンヘンジの柱は相手を見つけて悦んだ。介抱するうちに次女の乱れた頭を押し上げるほどだった。
「間違いありませんな。牡蠣はお嫌いですか、お嬢さん」
レストレードは紳士だった。自分のせいでか弱い女性の気分をさらに悪くしてはいけないと、彼女を姉のほうに押しやった。
しかし姉はいつの間にか膝の上にのせているハドソン夫人の歯並びを褒めるのに忙しく、それは入れ歯なので当然だったがハドソン夫人は身をくねらせて恥じらった。
「いえ」次女はレストレードをまじまじと見た。「いえ……もう大丈夫です。半クラウンは兄貴たちに預けますので。でも儲けたソブリン金貨が……」
言葉のほうは大丈夫ではなかった。しかも金儲けの算段までしていた。
レストレードは大人の魅力を最大限に発揮した。
「金貨は私が守りましょう。マイクロフトさんのおかげで警部の職にももどれそうです。出世は絶望的ですがね」
ジョーは落ちつかなくなり、視線を落とした。そこではレストレードの小銭を入れる場所が存在を主張していた。ここに乗ったのだ。顔は赤いままだったが、意味は違っていた。
「それもいいですね。兄貴たちのポケットよりたくさん入りそうだし」
紅茶を淹れてくれたハドソン夫人は、完璧な化粧をしていた。二十は若返って見えた。
あれからひとしきり感傷に浸った末っ子は、泣きつかれて階下に降りた。籠城後はハドソン夫人が急に綺麗になった理由に気づき、長女の邪魔をしないよう、また部屋に戻った。
「――で?」
ホームズ兄妹とワトソンとレストレードがベイカー街の下宿にそろっていた。そのなかには何故か兄のシャーロックと、三女のエリザベスだけがいない。
すべて終わっていたのだ。自分だけが蚊帳の外だった。エイミーはイライラを隠して腕を組んだ。
「私の尽力とシャーロックの人望の集大成で、問題は解決したぞ。ヴィクター・トレヴァーという男を覚えているか。エイミー」
「シャーロック兄さんの大学でできたほぼ唯一の友達よね。マスグレーブだかグレープだかいう人は別として」エイミーはため息をついた。「小さかったから大学に遊びに行ったときよく遊んでもらったわ。インドにいるんじゃないの?」
「馬の手綱のことは覚えていないようだな」
「手綱……? ああ、あの方すこし変わっていたから。お馬になってといって遊んでもらったけど。私やシャーロック兄さんに鞭で叩かれると本当に幸せそうだったのよね」
エイミーはぞくっとして腕を支えた。
「夏にあの人の家に一ヶ月ほど滞在したの――。飼い犬のブルだかなんだかと、一緒に遊んで。それで。スカートをめくって、湖の傍で」
記憶力はそれほどない。自分でもわからない心的外傷を受け入れられていないのだ。頭がガンガンしてきた。
「シャーロック兄さんがすっとんできて、彼を殴り飛ばしたわ。どうしてかしら。……えっ?」
エイミーは顔をあげて周りをみた。とたんに大人たちは声をあげて泣いた。
「よく話してくれたな、エイミー。そうだ。あの男は今は父親の跡をついで地方判事になっている。借りを返すために私たち兄弟とその関係者を助けてくれたのだが」
エイミーはわけがわからなかった。首を左右に振る。
「兄さんったら喧嘩っぱやいわね。悪いけどよく覚えてないわ。怪我でもさせられたのかしら。私、そんなの別に、なんでもないことなのに……」
マイクロフトの声は優しかった。
「――おまえをとても愛しているぞ。家族みんな」
しんみりした空気を断ち切るように、ワトソンは口を開いた。
「私とレストレード警部の誤解が解けたのは、お兄さんのおかげだよ」
「シャーロックじゃないぞ。頼りがいのあるほうだぞ」マイクロフトは胸を張った。
次女のジョーは真っ赤になって倒れた。エイミーはその反応でだいたい予想がついた。知りたくなかったのでいった。「もういいわ。黙って」
「壇上にあがって尻の穴を見せたのだ。どちらがどちらの鍵穴に鍵以上の大きさのモノを突っ込むことが不可能なのは、誰の目にも明らかだった」
「黙りなさい発情不良の駄犬。それ以上いったらバスカビル家に送るわよ。例の化け物犬には子供がいるから、さぞや可愛がってくれるでしょう。今後は穴を大事になさい」
「もっと言って!」ワトソンは決め台詞を思い出した。「間違いないエイミー。やはり君が私の女神だっ」
「それは気のせいよ先生。かわいそうな息子を見なさい」
ワトソンは一足さきに泣き濡れているとばかり思っていた火掻き棒を見た。
なんと! 火掻き棒は無反応だった。
「うう……うぅぅ。あれはまさしく例えるなら牡蠣! 牡蠣が豊富な年になりそうね……小銭が多くなるわ」
ジョーはうわ言を呟いてのレストレード警部の上に倒れこんだ。警部のストーンヘンジの柱は相手を見つけて悦んだ。介抱するうちに次女の乱れた頭を押し上げるほどだった。
「間違いありませんな。牡蠣はお嫌いですか、お嬢さん」
レストレードは紳士だった。自分のせいでか弱い女性の気分をさらに悪くしてはいけないと、彼女を姉のほうに押しやった。
しかし姉はいつの間にか膝の上にのせているハドソン夫人の歯並びを褒めるのに忙しく、それは入れ歯なので当然だったがハドソン夫人は身をくねらせて恥じらった。
「いえ」次女はレストレードをまじまじと見た。「いえ……もう大丈夫です。半クラウンは兄貴たちに預けますので。でも儲けたソブリン金貨が……」
言葉のほうは大丈夫ではなかった。しかも金儲けの算段までしていた。
レストレードは大人の魅力を最大限に発揮した。
「金貨は私が守りましょう。マイクロフトさんのおかげで警部の職にももどれそうです。出世は絶望的ですがね」
ジョーは落ちつかなくなり、視線を落とした。そこではレストレードの小銭を入れる場所が存在を主張していた。ここに乗ったのだ。顔は赤いままだったが、意味は違っていた。
「それもいいですね。兄貴たちのポケットよりたくさん入りそうだし」