ハドソン夫人の優雅な生活


 掃除をするためお部屋を覗くと、鏡の前で蠢めく黒い物体発見。

 ご存知我らが名探偵殿。今日は髪の毛のお手入れに余念がないようです。人形である限り抜けることはあっても生えてはきませんものね。

 そんなこともあろうかと、今朝のわたくしのポケットにはちょっと面白い物が。

「ホームズさん、わたくし育毛剤持ってましてよ」

「のーさんきゅー」

「あらあら。せっかくのワトスン先生プレゼントなのに。最近は人形にも艶の出る塗料が」

「ぷりーずぎぶとぅみー」

 探偵のあほさ加減はベイカー街において定評がありますの。事実に気づいてないのはワトスン先生とわたくしの叔母だけですわ。

「たんま。じゃすたもめんと」

「タンマは日本語です」

 マントルピースの上によじよじ、ちょこなんと座り、どうぞと言わんばかりに頭をこちらに傾けて、顔には不満をありありと。

 完全にそっぽを向いています。

 レディ・クリステルも所詮子供ですわね。ワトスン人形を作ってくださればよかったのに。

 前頭葉の異常発達した青白い人形なんて、いまどき喜ぶのは壮年紳士くらいのもの。玩具としての遊び甲斐をとことん削がれるこのフォルム。

 まあそれでも中身が人形でないとわかる前は、たくさん遊ばせて頂いたのでよしとしましょう。

「痛でッ。痛でッ」

「そんな馬鹿な。痛みなんてあるはずがないでしょう?」

「痛感に関しては憑依した時点でそれなりにある!ハ、ハドソンさん、それはまさか」

「まあ、そうでしたの。悪いことをしました」

 あんまりワトスン先生が死んだ探偵の思い出話をするので、何度かコレ(針)を胴体に突き刺したことがあるのですが。

 我慢なさっていたのね。少し見直しました。

 ぷす。

「痛でッ」

「血は出ませんわね……つまらない」

 ぞく。


□□□


 ホームズさんにはフレンチブルドックのデイジーというよき相棒がいます。

 デイジーは飼い主のワトスン先生の気持ちに反して、動くホームズ人形に非常に懐いているのですが。

「ホームズさん、コレは何かご存知?」

「バウリンガル……いまだに一発予測変換で出る謎に包まれた機械。ハドソンさん、前から気になっていたのだが、どうしてそんなに日本通」

「いぬものがたりといえばコレですわ。ハイ」

「よせ!」

 ぴぴっ。

 デイジーはきょとんと首を傾げています。わたくしは犬の言葉がわかるという例の玩具を覗き込みました。

 ホームズさんは巨大な試験官にしがみついてさめざめと泣いています。

「言わなくてもわかる。『ハゲるぞ』。わかってる……そんなことわかってるっ。じっちゃの時代から僕にはお見通しだ!」

「――『チビ』?」

「あ。それは関係ない」

 ワックスドールの色艶もよく、ホームズさんは一瞬で元気になっています。

 ぴっ。

 わたくしは続けてホームズさんに向けボタンを押しました。

「『ヤーイ! バカ』?」

「そ、そんなこと言ってない!」

「『バカ』……」

「そんなこと思ってない! ないないないぃぃ!」

 この玩具は玩具自身を弄ぶのには便利そうです。人形の涙腺ってどこなのかしらね。


□□□


 下宿の食事は現在わたくしが作っております。

 新しいメイドは料理があまり得意ではないので、夕方には家に帰してしまうのです。

「ワトスン先生、今夜はヤードの方たちとお酒なんですって。何が悲しくて人形とふたりで食べる羽目になったのかしら」

「だから僕はいつも通り部屋で食べると」

「いやです。たまには誰かとお食事したいもの」

「――君もそろそろ余所に相手でも見つければ」

 ホームズさんは、年老いた叔母が戻るまでベイカー街には帰りたくないらしいのです。

 最近は強固に再婚(ワトスン先生以外)をわたくしに勧めてきます。

「ハドソンさん、頼むから笑顔のままナイフを動かさないでくれ。百歩譲って視線は僕から外してくれ」

「実は……今日は夫の」

 ホームズさんは急にオロオロとしました。ちなみに食器はミニチュアでも、椅子はジャムの瓶です。

「命日?」

 ぽつんと聞いてきた人形は、目を合わせた途端、一転して小馬鹿に鼻を鳴らしました。

「ハドソン夫人は年だし、ワトスンは日付の感覚が非常に曖昧なんだ。僕の誕生日すら一月六日だと信じ込んだままだ……!」

「――」

「さあ暗い顔をしたら御主人は浮かばれない。このご馳走は代わりに僕がいただきます!」

 ぱく。

「ありがとう、ホームズさん!お代わりもありますからね。たくさん召し上がれ」

「か、か、からひ……」

「主人は辛いものが大好きでしたの!」

 そして命日は半年後ですわ。

 刺激物は頭皮に悪い。どうやら味覚もまともに働いてるらしいとメモっておきましょう。


End.
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