紳士とその弟子と


 事実上の身元引受人になりかけていた私立探偵は、予想通り猛反対した。



 働き口として一日で売り込んできたそこが、素性の怪しい骨董屋であるというのが主たる理由だったが。

 私からすれば、それはごまかしにすぎない。

 ホームズは職業を持って外で働いている女性を、下に見る傾向があった。そのことは本人も認めているし、古い考えだと思い直すためには年を重ねなければいけなかったのだ。

 時代の流れと環境から植え付けられた差別意識とはいえ、知性に溢れる若い男の本音は、たしかに聞き苦しいものだった。


「家で何をしろと言うの。刺繍? 編み物? それとも探偵助手かしら」

「最後のは間に合ってる。何人のベイカー・ストリート・イレギュラーズを路上で迷わせたか知らないが、君が探偵業に向いてるとは思えない」

「子供よりたった一人の女の頭がよかったからといって、責める理由にはならない」

「彼らにとってロンドンは庭なんだぞ! 君の家系は泥棒なのか? まったく、全員の懐から抜き取った財布を返せ」

「泥棒の上前を跳ねたことについては謝るわ。ちゃんと届けさせたから大丈夫――いずれにせよこれで誰も私をつけたがりはしないでしょう」

「ラッセル。たった数日で君は何度世話を焼かせるんだ。仕事をしたいなら、ワトスンの診療所でメイドにでも雇ってやるさ」


 イライラと部屋を行き来するホームズが、いっそ憐れだった。


「今のうちに知っておいた方がいい。ときに人はあなたの予想を超えた行動もするんだってことを」


 ホームズはぴたりと止まり、私の代わりにワトスンをにらみつける。話したことがばれても、医者は平然としていた。

 正しい意志を持つ者が必ず勝つことを、彼も知っているのだ。


「心配しなくても、午前中はうちで働いてもらうよ。もう契約書を作った」


 ソファに座り込んだ探偵は、疲れた様子でパイプをくわえた。

 そこで私とワトスンは、目配せをして勝利に目を輝かせたのだ。



 次の日からはとんでもない忙しさで目が回りそうだった。

 探偵の条件として、住み込みは無し、男住まいのベイカー街が嫌なら、ワトスンの診療所に泊まることなど。

 飲み込めそうなものにだけ返事をして、後は好きな風に動いた。

 元が体を使ってないと、頭も働かなくなる性質なのだ。私は午前中を診療所で書類整理。午後から夕方までの一部の時間を、骨董を磨くという単調な仕事で過ごした。

 どこまでも長い妄想の一日が続いてしまう恐怖には堪えられない。時代を旅行する気分で訪れるためには、帰りの切符も必要なのだ。

 手元に帰るための手掛かりはなかった。それではここで何日、何週間、何ヶ月何年を生きる道を考えなくては。

 私は時間を――自分が時間と認識しているものを――無駄にはしなかった。これはホームズが私に与えた、一番の贈り物なのだ。

 感情に任せて何かを始めれば、痛い思いをするのは自分。振りかざしたナイフや銃を打つときは自由だが、一瞬先は自分の行いが返るかもしれない。

 よってVRと打った壁の銃痕は、ハドスン夫人に一生頭が上がらないというおまけをつけて、ホームズ自身に舞い戻った。

 いい教訓である。


「ラッセル」


 道を歩いている牧師の腕に手を絡ませると、ホームズは不本意そうに高い鼻を下向けた。


「なぜわかるんだ。君に変装がばれなかった試しがない」

「頭ひとつ分、背骨の長い人を捜して歩いているの。ワトスン以外の医者なら、身体的な隠しようのない特徴ですぐわかるでしょうね」


 彼はメイクの技術を上げていった。すべてを完璧にするために、舞台役者に紛れたり、整体師の元へ通ったとも風の便りで聞く。

 数ヶ月が経って、ワトスンは君のやり方には舌を巻くよと言った。


「彼は最近すごく有名になり始めている。ここに君が現れたとき、冗談を言っただろう?あれが現実になりそうなんだ」

「なんのこと?」

「イギリスで下宿の女主人の名前を、知らない人はいないと言ったことだよ!僕はストランドで連載まで決まった」


 おめでとう、とかろうじて返した。出来事は私の思惑とは違う方に行き始めている。

 まさに軽々しく言った言葉が返ってきたのだ。

 ある日ベイカー街の食事に招かれ、ホームズの懐中時計に見覚えのあるまだ新しい金貨を見つけたとき。





 私は初めて自分の愚かしさに気づいたのだった。




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