紳士とその弟子と


 夕方になると、ホームズは今かかっている仕事を先に熟すと言い出した。



「必ず君の夫を捜し出すと約束しよう。それが必要なことなら」


 ホームズはハドスン夫人を呼んだ。空いている部屋を貸してほしい、その家賃は自分が払うからと――私は慌てた。


「それは駄目。他を探すわ」

「どこを?メアリ、ロンドンは君が思っているより遥かに物騒な所だ。金も持ってないだろう……!」


 ワトスンの説得に一度は引き下がる。しかし一つ屋根の下はまずい。そんなことをしていたら、企みが明るみに出るのは時間の問題だ。

 亭主と離れた夫人の役を続けるのには、限界がある。

 実際には種明かしの種がない手品のような悪戯に巻き込まれただけのこと……あるいは本当に頭を打った私が見ている夢なのかもしれない。

 ハドスン夫人の手によって、新たに用意された窮屈な婦人服を着るだけでも、私には地獄だった。

 たまにめかし込む席でコルセットを絞める度に夫は呆れて、「もっとなまめかしく叫べないのかね」と容赦なく義務を遂行したくらいだ。早く機能的な服だけ着れる時代が来るといい。

 ホームズが下宿を出て、ワトスンも往診に行った時間を見計らう。

 帰ったときすでに辺りは暗くて、またワトスンの肝を冷やす羽目になってしまった。


「子供じゃないんだから」

「君は普通の貴婦人とは違う――なぜ外へ出て行こうとするんだ」

「別に悪いことはしてないわ。一日中、私をつけていた浮浪児に聞けばわかる」


 ワトスンが驚いた。ホームズの仕業だろうと私は言った。

 途中で撒いてしまったので、はっきり拝む場面はなかったけど。彼らはかなり良いところまで私をつけてきたのだ。


「過保護なのね」

「……僕らには君をご主人に返す役目がある」


 着替える手伝いを頼むと、ワトスンは目に見えて焦り始めた。私は背中に添えていた両手をだらりと下げる。


「いいこと、ドクター。私はいま過呼吸で死にそうなの。どうしても後ろに手が届かないし、ハドスン夫人は今度は夕飯の支度で手が放せない」


 何度かいったりきたりを繰り返し、迷った末にボタンを外し始めた。


「ご主人はどんな人なんだい」

「結婚したことある?」

「あいにく相手がいない。ホームズもだ。――だからといって」

「昼間のは冗談。時と場所を選ぶべきだった」


 実際、もっと幼いころには露骨な聞き方をしたものだ。おかげで老人二人の寿命を縮ませて、私は知りたかった答えを得ている。

 仮に満更でもなかったとして、その手の性癖に偏るには、互いにいい年齢であったと。

 閉鎖された軍隊生活や塀の中でもなければ、他にも機能に見合った女性がたくさんいたのだ。あまりに馬鹿げていた。


「ホームズは、君のご主人が大変年が離れていて、かなりの有力者か有名な人物ではないかと言っていた」

「――」

「君はいくつか嘘をついて彼の名誉を守り、彼自身を傷つけないためにここに留まる必要があると。さあ取れた」

「それで、彼はなんと言ったの」


 胸元を押さえて振り返る。ワトスンはきちんと背中を向けていて、真面目な口調で続けた。


「君が真実を話せるようになるまで。あるいは自分が先に真実を突き止めるまで、彼女の嘘につき合えと――」


 私は何歩も先を行くホームズに、降参すべきかどうか悩んだ。彼は私ごときの罠にかかることはないのだ。

 ワトスンを部屋に入れたまま、ベッドで着替えを済ませる。振り返っていいわと言うと、彼は苦笑した。

 着慣れた彼の服を指差し、それは君にあげよう。ほかのものも何着か、と微笑む。


「ワトスン先生。本当のことを話しても、信じてもらえそうにないの」

「ホームズは信じるさ。僕もね」


 私はそうね、帰ってきたようだけど、やっぱりまだ黙っておくわと私は答える。ワトスンは首を傾げて、耳を澄ませた。

 馬車の止まる音に続き、玄関の扉を開ける微かな振動。聞こえた声に、どうしてわかったんだ、とワトスンは笑う。


「さあ、ディナーは朝のようにはいかないわよ。あなたは私をかばってくれなくちゃ」

「どういう意味だい」





 私は明日から住み込みで働いて、職業夫人になるわと言った。




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