探偵とおんな
「きみは信じられん男だな、ホームズ。女性をだまして情報を聞き出そうなんて」
「だましたわけではない。結婚の約束は向こうが一方的に」
「いいから、花でもなんでも持って、あやまりにいくぞ。ほら、用意したまえ!」
ホームズは使用人の女性と結婚の約束までして、捜査に必要な情報を聞き出した。わずか数日で婚約にこぎつけたらしい。口説き上手だったとは知らなかった。
事件が終わったら謝罪に行くと思っていたが、彼は、「女は強いから次を見つけるさ」といって動こうとしない。
しびれを切らして、私はホームズの尻を叩いた。自然消滅なんて期待して、相手が一生独身を貫いたらどうするのだ。
「ホームズ。その恰好で行く気なのか? いつものままじゃないか。彼女はわからないかもしれないぞ」
「このほうがショックが少ないだろう。説明もしやすいし、信じてもらえる」
ホームズはニヤリと笑って帽子を手に取った。
「それに、コンサートのチケットも持ってきた。帰りに寄ろう」
ため息がもれる。悪気がないだけに、後始末が大変そうだ。ついて行くのが正解だろう。
馬車を呼んでホームズのいう屋敷につき、正装してよかったと思った。想像と違い、大きな門構えの、貴族らしい家だ。
執事が現れ、中に通される。ホームズは入るとき、ためらいもせずに本名をいった。用件を聞かれると、ご主人と約束がございまして、とすました。私の知る限り約束などない。
「お待ちください」と執事はいって、不信な客だと感じたのか、こちらをにらみつける。
どうなっているのだ?
「ホームズ。こんな大きな家とは聴いてなかった。それに主人に会ってどうする気だ」
ホームズは答えず、煙草に火をつけ微笑むばかりだ。路上の花売りから買ってきた花があまりにもみじめだった。
「花をくれ、ワトスン」
素直に渡すと、煙草の残りを口に押し込まれた。
しばらくすると扉が開く。黒い髭の体格のいい紳士が近くに来た。不信そうにホームズを見て、「どちらさまですかな」といった。
ホームズは花を突き付けた。
「卿。先日は大変楽しかった。これはそのお礼です」
見た目は変わっていないのに、発音に弱冠なまりが加わるだけで、別人のようだ。紳士はあっといった。花をつかむ。いや、花だけでなく。
ホームズの手をつかんだ。
「ダーリン、君だね! もう来てくれないかと私は思っていた」
「将来を約束したのに? しかしすみません。叶わぬ夢を見させた僕は、悪い男だ」
ホームズはそっと手を抜き、花束から一輪引き抜いた。
紳士が手を出すと、花束を押し付け、束の中で一番美しい薔薇だけ持って、私の元に戻り。
「僕にはダーリンが別にいたのです。卿、本当にすまない」
私の髪に薔薇を突き刺した。挨拶程度だが頬にキス。それを見た紳士は、音も立ちそうな勢いで顔を青ざめさせた。
私は一瞬で状況を把握して、固まった。
口を開きかけると、ホームズの長い指が唇の上に置かれた。すると紳士は沈黙した。どんな仕草も、恋人同士のじゃれあいに見えるに違いない。
「――わかった。君が本当は何者であれ、来てくれたことには感謝する」
紳士は手元の花束の残骸を見つめ、次に私を眺め回した。自分と同じようなタイプだと思ったのだろう。苦笑して、花を振り回す。
「残念だ。また寂しい生活に戻るしかない」
「そのことなんですが。貴方の所に通っていて気づいたことがひとつ」
ホームズは扉を示した。「身近に同類がいるようなので、彼の片恋を実らせては」
紳士は神の啓示でも得たかのように、部屋を飛び出した。
ホームズはやれやれと呟き、「協力ありがとう。ほっといてもあの執事なら、主人を落としていただろうけどね。いいことをした気分だ」
私の頭から薔薇を取って、花びらに口づけた。
「さあて。コンサートに行こうか、ワトスン!」
探偵が紳士と何をどう楽しんだのか。
――私に聞かれても困る。
End.
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