怪盗と探偵
私は渡された二枚の原稿に眉をひそめた。義弟は息を詰めて、こちらの顔色をうかがっている。痺れをきらして、両手を高く上げた。
「どうなんです。はっきりおっしゃってください、アーサー」
「つまり、一枚目がルパン視点か。二枚目は?」
「ラッフルズですよ。ホームズは滝で会った少年の言葉で、探偵を辞めると決めた。二人は同一人物だってわけです!」
私は低くうなった。話の終わりでバニーがうなった以上に――いや、あれはワトスンだったのか。出来の悪さにくらくらしつつ、我が妹の将来を思って嘆いた。彼はいい男だ。私にホームズ対ラッフルズの二次創作を一緒に書こうとさえ、迫らなければな。
それが一度や二度ではない。顔を合わせるたびに言ってくる。意趣返しと怪盗への復讐を兼ねて、と義弟は言った。諦める気はなさそうだ。
フランスの大怪盗は、我が国でも人気がある。気にならないかと問われれば、嘘をつくわけにもいかない。書くなとクレームをつけたせいか、英国の探偵は怪盗ルパンの前でとことん恥を曝す羽目になっていた。
やりたい放題のルブランにも、言い分はあるのだろうが。人の著作に関しては、そっとしておいてくれとも思う。
――正直、我が義弟もだ。
私の心からより良いものを取り去ってしまったシャーロック・ホームズは、今なお生みの親を苦しめている。探偵にさえ時間を奪わなければ。作家として大成はしなくとも、書きたいものを書いていたに違いないのだ。
だからといって、他の作家に冒涜されて嬉しいわけはない。
「また時間泥棒に捕まるのかね。盗まれたのは私の時間だ。もうホームズはいい」
「パイプや鹿打ち帽は、でしょう。違うものを書きましょう」
「探偵を犯罪者にしてしまったら、滝に落とされるのは私だ」
ラッフルズというキャラクターは悪くなかった。主役を死なせたり覆面をつけて人の家に侵入したり。ホームズとラッフルズは、法律を守らない点、人を驚かせることが好きな点では、確かに似たところがあった。
ただ、正義の名を汚してしまう『泥棒』という職業と、やや行き過ぎる助手との友情が――紳士としては恥ずかしい。殺人をしないというルパンに対し、ラッフルズは人を殺すということを何とも思っていない。むしろ歓迎しているようにさえ見える。
ホームズと対決させても、勇気に対する齟齬のせいで上手くいかない気がするのだ。
「ルブランは腹を立てるでしょうね。ルパンがモリアーティ教授の手下だったと書いたら」
「面白がるだけだ。ナポレオンについて、すでにルパンが語ってる。まあ、教授の組織をルパンが継いでいたら楽しいがな」
ルパンは人殺しを決してしない。ホームズは二人殺しているが、やむにやまれずの行動だった。もちろんルパンの女は含まれない。あれは探偵には預かり知らぬことだ。「だいたい、ホームズは女に興味がない。ラッフルズは女について肯定的だ」
「好きでしょうね。バニーの次くらいには」
私は怒りを抑えた。この世で嫌いなもののうち、我慢ならないのはオスカー・ワイルドのような人種だ。義弟は人が悪いから、わかってて言っているのだった。
「アーサー」ゆっくりと伸びをした。「ホームズが怪盗ラッフルズになるきっかけ。ルパンの一言はなんだと思います」
「君の妄想だ」
「付き合ってください。きっと、その気にさせる一言ですよ」
私は頭を絞った。モリアーティに追い詰められ、探偵としてのプライドをかけての闘いを決意していたホームズ。
その意思を崩す台詞などあるのか?
「わからん。君にはわかっているんだろう。少年ルパンは何と言ったんだ」
義弟はニッコリ笑って、芝生の土を掴み、蜂に向かって投げ付けた。私も追いかけてくる蜂に自分の鍛えた巨体を揺すり、慌てて全力で走る。
とっくに遠くまで逃げていた義弟は振り返り、両手を口に当て、叫んだ。
「『蜂を育てるまで生きたければ、別の作者に書いてもらえ』と!」
怪盗だろうと何だろうと、転職したに違いないと思った。
End.
3/3ページ