ホームズと探偵都市🍊
被害は甚大だった。それは国内レベルで見ればたいしたことはないという意味だ。
とりあえず向かいの建物の一部は消し飛んだ。
ポロネーズ探偵は安全設計だ。爆発させる場所に誰もいない状況を作り出すことなど朝飯前だ。物理的に直せるものはその限りでない。
探偵自身の額もその中に含まれる。
西暦11854年に製造されたとされる『ポロネーズ探偵』の一般流通量は、ベイカー帝国が最も多かった。
欧州の島国が名前を変えたのは探偵のせいだ。かの地域は二千年ほど続いたという巨大宗教エロッスラムの聖地より重要視され信者を増やして拡大した。
この国では実に国民の86%がポロネーズ探偵を所有している。一家に一台どころの騒ぎではない。
お腹にいる赤ん坊には体内教育のため、年を取り脚が動かなくなれば話相手、一般市民は主に家政夫としてだ。あらゆる機械にはポロネーズ探偵のAIが組み込まれていた。
いや、ポロネーズ探偵にあらゆる機能が備わっていると言うべきか。
「お怪我はございませんでしたか?」
「腹を壊した。君たちの作ったミスター・ポンコツが飯の準備までしてくれたからな」
私はSPディテクティブ社から派遣された社員に毒づいた。別室で用意されたまずい健康流動食を食すのは一苦労だったのだ。
スコットランド防衛隊はできる限りの努力をして事態の収拾にあたってくれたが、彼らを近づけない配慮まではしてくれなかった。防衛隊もまた、SP社の支配下に置かれているのだ。
男の営業スマイルは格別だった。
「ポロネーズ探偵は環境に優しい排泄物の製造を目的としたお客様の健康管理のため、さまざまなお食事をご用意できます。暗号面でのご苦労はお察ししますが、こちらのパンフレットにございますように解読された暗号がホログラム辞書としてお客様のタブレットにカスタマイズ――」
「排泄物の世話まで機械にしてもらうつもりはない。君はいくつかね?」
私は尋ねた。見かけはせいぜい五十そこそこの若造である。昨日今日生まれた輩にこの呪われたロボットの何がわかると言うのだ。
男は胸を張った。
「百と二十といくつかです。わたくしの一族は長命なのです。これも毎日『イッツ・エロ・メン・タリ・マイ・ディア・ワッ・トソン』を四世代前から唱えているためでしょう」
うんざりだ。
探偵信仰は断固として受け入れられないものである。前世で宗教を捨てたことがあるのかもしれない。前世といってもオリジナルの――これはまた後で話そう。覚えていられたら。
私は椅子に腰かける同居人を見つめた。
彼の白い指は組まれ、空中を漂う細菌でも数えるかのように目を細めている。実際数えているのだろう。額には風穴が空いたままだった。
ポロネーズ探偵の外見は家庭に馴染むよう造られた。その愛くるしい古代人の見かけは、鷲鼻といいひょろ長い手足に至るまで完璧だった。
シャクレ気味の顎と四分の三拍子で奏でられる足音以外は。
ついた商品名がシャクレ=ポロネーズ。Shakureを初めとするいくつかの言葉は、かつて我が国と国交があった小さな島国の言葉だ。
古代の地理には疎いが大英帝国ではないどこかなのは確かだ。関係は良好ではなかった。しかし探偵とHentai王国は熱い絆で結ばれていた。何か違う名前だったが。
Hentaiは世界を凌駕した。日のいずる国が没してもそれは変わらなかった。Hentaiは世界を明るく照らした。多くの人々に生きる希望を与えてくれたのだ。
ポロネーズ探偵の起源は遥か昔に遡る。
実在した聖人の名前は頭文字が残っているのみで、正しい呼称はSPディテクティブ社だけが握っていた。ビッグベン遺跡に建てられた時計台の形をした本社がそれだ。
「きみたち社員は、あの鐘が鳴るより早く起きるから健康なんだろう」
「週に一度の? ご冗談を」
男は肩をすくめた。
時計台はある曜日の午前7時15分になると容赦なく古代の鐘をかき鳴らす、非常に厄介な代物である。
全世界に信者を持つSP教の教えに基づき、退屈な日常を揺るがす大きな事件が起きるようにと聖なる早起きの鐘が鳴るのだ。
正確な日付がわからぬために、私のような無心論者までつき合わされている。
「わたくしどもは鐘の鳴る日はどれだけ目覚めがよくても寝ていなければなりません。その日はまず女家主ロボットのミセス=ハードソンが起動し、次にポロネーズ探偵が起こしに来てくれます」
女家主ロボットとは、探偵より後期に作られたやや控えめなロビー徘徊ロボットである。彼女は見た目も中身もはっきり機械らしさに溢れている。ポロネーズ探偵とはまるで違った。
つまり害がないということだ。
男はここで果たすべき役割を越えて、私にコソッと聞いてきた。
「ひょっとしてこの建物では違うのですか」
健康云々についての皮肉が伝わってない。機械に頼りきっている狂信派よりはマシだが。
奴らは探偵を盲信しすぎて、一生を通じてある文章でしか会話をしないという苦行を実践しており、コミュニケーションが更にとれない。
私はため息を押し殺した。
「ここでは違う。というよりこの階では。221階の全室内は私が個人的に買い取り、機械の習慣をプログラミングし直しているのだ。君がマニュアル通りに羅列した、辞書やらスクラップブック・アプリケーションやら全て活用して」
「この階のすべてを? すごいな」
男は頬を紅潮させた。私は聴衆の思わぬ素直な反応を喜び、気に入りの形に固めた髭に指を絡ませた。
221階はどこも下宿の市場価値がはねあがる。敷地の面積に関わらずだ。
この数字は好まれた。真ん中にワープ・エレベータを設置した円形の建物の最上階221、その数十二部屋のうち二部屋は私室、残りにそれぞれ信頼できる人間を住まわせている。
いわば私が家主のようなものだが、それはこの階だけに限られた。
私はポロネーズ探偵を教育するために永い眠りから醒めた古代の遺物だ。ポロネーズ探偵「たちを」と言ったほうが正しいかもしれない。
男は半分うわの空の私を見て、ようやく自分の仕事を思い出した。
「お宅のポロネーズ探偵の保証期間ですが――」
「まさか金を取るのか? そちら都合の探偵の暴走で!」
男は咳払いをして端末を弄った。これは耳たぶの裏に仕込んで空中筆記が可能な最新機器である。よって私には使いこなせない。
いけすかない若造はいけすかないハイテク中年だった。彼は契約書をあっという間に作った。
「わたくしはまず事故調査にあたっているスコットランド防衛隊からの報告を上に知らせます。隣の建物と特殊効果窓は当社の賠償になるでしょうが、こちらのポロネーズ探偵は――失礼、古い型のためサファイアガラスの入荷待ちというわけで」
「穴が開いたのは目じゃないぞ。待て。サファイアガラス?」
「わたくしの宝飾時計の表面と同じです」
男は張りついた笑顔を濃くした。
冗談じゃない。工業用ガラスは名前こそサファイアだがその正体はコランダムだ。紅玉=ルビーと双子のようなものだが明らかにぼったくりである。だが巷で定説のブルー・カーバンクルは、ガーネットだという説もある。あるいはスター・サファイア。または他の――。
なんでもいい。高い金を払ったのだ。特注が泣く。聞いて呆れる。
ポロネーズ探偵は自分のことだというのに表情を変えなかった。男は続けた。
「経年劣化を起こしていますので、こちらも保証対象外となります。申し訳ありませんが額の修理ともども専門業者に掛け合っていただかなければ――」
私は男を早く追い出したかった。一体なんのために来たのだ。修理工には心当たりがあるからと手を振る。
「また困ったことがあれば、いつでも当社にご連絡ください。わたくしの個人ネームはこちらに」
古風な名刺は読みもせず引き出しにしまった。SP社は信用ならない。
ポロネーズ探偵が男に外套を着せた。甲斐甲斐しい姿は奴には似つかわしくない。依頼人であれ単なる訪問者であれ、帰り際こそ尊大にふんぞり返るよう中身を作り替えなければ。
ここには客など滅多に来ない。
おかげでポロネーズ探偵の欠陥がまた一つ見つかった。彼は執事ロボットではないのだ。もちろん私もだ。
私の名前はCD。遺伝子操作で生まれた歴史上の人物・アーサー・イグナチウス・ナントカのクローンである。
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