ホームズと探偵都市🍊
5
「紛らわしい真似をしてくれるな」
私は案内された部屋の一室で息をついた。
そこはスコットランド防衛隊の本拠地ではなく、ねぐらとも言うべき防衛隊の巣だった。薄暗く割れた地下の壁には蝋燭が立てられており、私は身震いした。肌寒い。
機嫌をそこねた犬のほうは、隊長の足元から離れることはなかった。元はスコットランド防衛隊から借りている用心棒なのだから当然だ。番犬としての役目をいまだ果たすことはなく、もはや普通の犬として可愛がられているわけだが。
危険がないと知って私は気を抜いた。ワットソン犬のほうは中身がたっぷりつまった注射器を、なかなか戻させてくれなかった。
何を怒っているのかさっぱりわからない。ジョンはよくてジェームズであっていけない理由はなんなのか。
「ワットソン――」
「ジョンだ」
隊長は驚きを込めた目でちらりと私を見た。ワットソン犬に名前をつけるのは珍しい行為だからだろう。
「ジョン。足から離れて隣室の部下の所へ行ってくれたまえ。私はCDと話がしたい」
私は首を傾げた。「どうせ彼にはわからない。さあ、話を続けてくれ。なぜ……」
「駄目です」隊長は私を睨んだ。「その解答は駄目です」
ワットソンは私を見た。隊長を見て、床の匂いを嗅ぎ、御者に扮していた防衛隊所有のポロネーズ=007――殺しの番号――を見た。
「ワットソン」007が言った。「心配いらないよ」
ワットソンは一声鳴き、おとなしく扉へ向かった。しかし手動式なので自分で開けることはできず、あの重たそうな頭でこちらを仰ぎ、思い直したように木机の元までやってきた。
私はそのときようやく、犬の様子に気づいた。このワットソンは前肢を上げ後ろ足で立つことができないことに。
椅子に座っている私の足を嗅ぐ。垂れ下がった眉が悲しげだ。隊長は迷ったように言った。
「このワットソン犬は先の戦争で同じ軍隊に所属していたのです。私はオフランス人ですが、縁あってベイカー帝国に渡る決断をした先祖の霊に導かれ、かつては他国人目線で揶揄していた国の側へ回ることになりまして」
隊長は続けた。「ジョンは救急医療道具を抱えた軍医犬として活躍しましたが、砲弾にやられた脳内チップが快復することはありませんでした。それ以来、四肢の麻痺する箇所が日によってころころ変わるのです」
普通に跳び跳ねていることもあるので気づかなかった。隊長は続けた。「他のワットソン犬よりは頭も冴えていますし、ある程度人間の言葉も理解しているでしょう」
私はワットソン犬を見た。「どうにもできないのか」
「奇跡でも起こらぬ限り、難しいですな……」
しんみりした雰囲気が室内に流れる。私は哀れみを覚えた。神はちょっとした気まぐれな思いつきで酷いことをする。不恰好な見た目以上にその事実は私の胸を貫いた。
私は気絶したとき夢に出てきた男の顔を思い出そうとした。あまりにも平凡すぎたため記憶に残らなかった。おそらく彼の名前はジョンだった。ジェームズではない。
「ジョン。別室でポロネーズ=007にコカインの補給をしてやってくれ」隊長が言った。
ワットソンはポロネーズ探偵と共に別室に去った。私を振り返ることはなかった。
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