Birthday
ワトスンは椅子から立ち上がり、手近にあったパイプに火をつけた。
明らかに立場は逆転している。戸惑いを隠せずにいると、煙りを吐き出しながらいった。「ルールは単純だ。君はこの本に書かれてある問題の正しい答えを見つければいい」
「『ベイカー街221B』? 下宿の住所じゃないか」
「問題は簡単だと思うが、全問クリアしないとプレゼントがもらえない。出題者はきみの兄さんのマイクロフトだ。本文は僕がレストレード警部と一緒に制作した」
瞬時に事情が飲み込めた。ワトスンは苦笑して、ひとつ頷いた。「きみは誕生日のプレゼントを当てる天才だからね。今回だけは仕組むのを手伝ってもらったのだ」
「なるほどね」
ワクワクするのを抑えて、それでも笑みはこぼれる。ちゃんと手間をかけてくれたらしい。
「これはパイプ三服分の問題だと思う」と格好をつけた。ワトスンがパイプをくわえさせてくれる。
しかし、問題は単純とはいかなかった。自分の知識外のことが多過ぎるのだ。
最新医療の手ほどきかこれは、としばしば手を休め、パイプに煙草をつめ直しながら、本棚の辞典をとった。知らぬことを調べるのは、脳を刺激して楽しい。最後のほうのページには、ワトスンの直筆で解説が書いてある。
悪ふざけかと思われるような、『一階のダイニングにヒントの紙あり』『下宿内の一番小さな椅子に答えあり』などの文が、ページの隅に見つかった。
いてもたってもいられず、長い部屋着のすそをひるがえして部屋を出る。ハドスン夫人が、「表紙の花の刺繍は私がしたんですよ」と笑う姿に、軽く跳びはねて階段を降りた。
ころころとまた笑い声。二階からも、ワトスンが腕を手摺りにかけて見ている。紙を見つけると一目散に駆け上がり、ワトスンのくわえている煙草を奪い取った。
再度本を手にして、夢中で読む。マイクロフトが書き足したのだろう人物名とその職業当て。これは苦心しそうだ。答えは必ず室内にあると書いている。
資料を撒き散らして部屋はぐちゃぐちゃになったが、ワトスンは文句ひとつ言わない。無言で見つめると、「どうぞ」と自分の部屋のドアを開けた。
ワトスンの部屋には医学雑誌の類は山ほどある。しかし、必要なければ誰も触りもしない。
表面はハドスン夫人が掃ってくれるのだが、何冊も同時に出すと埃が部屋中に舞う。両手を真っ黒にしながら中身を読んだ。
近頃は事件につき合わせてばかりいるからだ。お互いに本を読むひまもない。
床に座り込んだまま振り返ると、優しい顔でこっちを眺めている。
ああ、わかった。
「これの答えはきみだ、ワトスン」
「なんて問題だったんだい?」
「『探偵の腹心の友であり名の知れた医学関係者はだれだ』」
「――すぐ出なかったのかい」
本当は、『探偵が唯一負けを認める胸元の大きな医師は?』と書かれていた。
兄の策略にはまり、数少ない女医の肖像を捜そうとしていたなどと知られてはならない。知られてたまるものか。懐の深さで彼に勝てる者はいないのだ。大きい胸が彼にあれば、独身主義を通せたか自信がない。
自分に大きい胸があったらどうだろう?
「ワトスン。胸の大きな女性は好きかい」
「きみも知ってのとおり、僕は女性が好きだが」
ワトスンは普通に答えた。不信がる様子もない。クイズヒントの捜索だと疑わないのだ。
「小さい胸に、詰めものをしている婦人も多いよ。べつに僕は気にしない。それが次のヒントかね」
「……いや、別に」
今度女装に挑戦しようと心に誓った。
順調に問題を解いていくうちに、気がつくといつの間にか夜になっている。ワトスンが点けたらしい蝋燭もかなり短くなって、悪天候も納まってきたようだ。
ワトスンがホッと息を吐いていった。
「雪もやんだようだし、外に出ようか。五分で支度するんだ、ホームズ」