ホームズと生ける屍


「ワトソン君……君の椅子があるよ。中に入りたまえ」



 老人はきわめて冷静に言った。流したものはガウンの袖口で拭き、なるべく笑顔を見せる。

 辛い決断だった。もう長いことあってない親友に会えた喜びなど、一瞬で消え去っていた。

 彼は一心に祈っていた。ワトソン君に知性が残っていることを。

 探偵として自分が成すべきことを知っていた。しかし、それはある意味では残酷な結果を産むともわかっていたのだ。

 ワトソン自身に選択を任せたかった。探偵に彼は殺せない。たとえ本人がそう望んだとしても。

 どちらかを選ぶしかなかった。

 猟銃は部屋の隅にある。机の上には、同じ造りの短銃があった。一体を逃がしたのは、残りの二体との違いを見るため――

 その一体がワトソン君であるのは、皮肉以外の何者でもなかった。

 老人の相棒は何やらわからぬことを呻いて、帽子と老人を見つめた。辛うじて知性がある状態なのだろうと希望を持ったが、柵があって入れない窓から両腕を伸ばすだけだった。

 跨げないらしい。若干太い腹回りのせいだと気づいて、老人は衝撃を受けた。

 すでに人ひとりくらい平らげてるのでは……? あるいは二、三人。彼は衰えた推理力を総動員した。

 ゾンビのまま無傷でここに着いたというのは考え難い。脳の退行速度、服の劣化、悪臭も計算に入れると、三ヶ月以上経っている。

 腐食に個人差があることを考慮しても、体を一箇所かぷりと味見されただけで半年が限度。ワトソン君の状態はそれ以上に見えた。

 空腹に負けて生き肉を食べると、知性が格段に失われる。

 あまり頭の回転が早いとは言えなかったワトソン君。何があっても一日三食食べていたワトソン君。

 出した結論を、あきらめに似た気持ちで受け入れた。

 勢いよく吠えるトビー三世を隣の部屋に閉じ込め、探偵は玄関の扉を開ける。

 ワトソン君はのそのそと窓の側で帽子を掴んだままだった。腐りかけの手を引こうとしても、動こうとしない。


「君を撃たなければ。痛いのが嫌なら、注射にしよう。部屋に入る気があるのか? ないのか?」


 応えることはない。探偵は、なぜそれがワトソン君だと知りもしない間に、彼を撃たなかったのかと後悔した。

 選択はどちらかしかないのだ。

 探偵は部屋に戻り、机にある短銃を手に取った。すべき操作を終え、外へ出る。そしてもう一度ワトソン君に尋ねた。


「ワトソン君――僕はここに着いてすぐ、神からの贈り物である蜂蜜を使って食欲を抑える薬を作ろうと考えた。それは成功した。しかし別の二つの効果を両方とも薬に入れることは不可能だった」


 答えなかった。老人は彼の額を狙って銃を構えた。


「ひとつは外見を元に戻す薬。ひとつは知性を戻す薬だ。いま、君にどちらを試すか迷っている。僕が選んだのは……」





 探偵は言葉を切った。





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