ホームズと生ける屍
急いで我が家に戻ると、探偵はガウンと毛布を何重にもして、ソファに腰かけた。
トビー三世は心配そうにその頬を舐めた。窓の外は季節外れの風で荒れている。
実験の結果がわかるまでかなりかかりそうだ。その間にゾンビが起き上がって、よその土地に行かない保証もない。
――ワトソン君にそっくりだった。
その考えを振り払うには、生きた温もりが役に立つ。探偵は、犬に与えた魚肉ソーセージの最後の一本を見つめた。
被害を被ってゾンビ化した豚や牛以外の食糧確保に、魚の保存食を作ろうと人々が躍起になったおかげで、これだけはたくさん手に入る。
ワトソン君の名前で届いた。
彼はロンドンだ。もともと足も悪い。こっちに来るなら連絡を寄越すはずなのだ。
ソファに沈みながら、長年手を触れなかった享楽に励むかどうかで迷う。意を決して新しい計画を実行するため、トビー三世を膝から落とした。
その手に金づちと釘を持って、探偵は意を決して窓を開けた。もちろん細心の注意を払ってだ。
被っていた鹿打ち帽と、ソーセージを窓の枠へ括りつける。吹きすさぶ嵐に負けぬよう、頑丈に!
カーン! カーン! ゴン!
「痛だッ」
誤って指先を打ってしまった。緊迫した雰囲気に負けて、老眼鏡を忘れたからだ。
割れた爪の先から血が噴き出る。あまり感覚がない。
年は取りたくないものだと、ついでにその血をなすりつけた。生肉の匂いに気づかなくても、餌を与えれば食いつくだろう。
くうんと後ろで鳴いているトビー三世は、餌にもならなかった。おそらく脚の一本でも傷つければ違う結果が見れたかもしれない。
しかし老人にとっては人間百人と引き換えにしても、犬の命が大事だった。しつこいようだが、ワトソン君の犬なのだ。
探偵は抱き上げたトビー三世を胸元にしっかり包み、久しく思い出したパイプの習慣で眠らぬように努力した。
細い喉に煙が絡み、むせ返る。軽く死にかけた。くわえたままうつらうつらしかけても、トビー三世が起こしてくれる。
それでも寄る年波には勝てず、次第に意識が遠く危うくなっていく。
ワトソン君の声がマザーグースを歌って、探偵は気持ちよく眠ろうとしていた。
――ホームズ。朝だぞ、散歩に行こう。
仮に永遠の眠りであっても目が開くことはない。実験の結果が見られず、誰にもこの効果を伝授できないことが悔やまれた。
彼に褒めてもらえない。
細く目を開けると、窓辺にワトソン君が居た。
残念なことにやはり見間違いではなかったようだ。
ちょっとばかりグロテスクな外見になっているせいで、一般の新人類と判別がつかなかった。
あれの一番嫌なところは、新しい服に着替えるのを忘れることである。
たとえ醜い姿になってもいい。
抱きついて美しく首筋から喰われようと思っていたが、
例の芳香な香りのせいでそうもいかなかった。
「ワ、ワトソン――」
探偵は恐怖からではない震えに襲われた。
はらはらと涙を零す。
窓越しで一人の老人ゾンビが擦り寄っていたのは、彼が送ってくれた魚肉ソーセージではなく。
古びた鹿打ち帽だったからだ。