ホームズと生ける屍

 探偵は湧き出る汗を押さえつつ、正面からでなく後ろから撃つのはどうかと考えた。



 犬を繋いだその時は、まだ誰もいなかったのだ。囮にすることできっと成功させると確信していた。

 畑にふらふらとやって来たゾンビたちも、トビー三世を一度は見たようだったのに。

 実際興味を示したのは動かぬ白い野菜の塊で、探偵は似たようなものでもブロッコリーの方が旨いと考えた。

 ちなみになぜ犬の名前が三世かというと、フランスの大泥棒に関わる逸話があった。

 彼の人は生ける屍になる前にたくさんの子種を残して、何人かの子供の下には孫すら出来ていたのだ。

 探偵はそのフランス人と出会った日のことを考えた。まだ被害の拡大が無く、海峡が封鎖されていない時期のことである。


「ボンソワ! むっしゅノームズ」

「のん。僕は妖精ではありません」

「ウィ。むっしゅオーガズム」

「のん。僕はイギリス人です。彼らはその域に達しません」

「チッ。わざとやっているのです。これだから英国人は!」

「やあオパン君」


 お互いの言語能力が、専属の伝記作家が書いたほどでなく並以下であったため、意思の疎通はほとんど不可能だった。

 しかし彼は自国へのゾンビ襲来をイギリスのせいにすることもなく、探偵の一番気に入っているパイプを盗みはしたものの、現状を教えてくれた。


「ゾン……? ああ、多少風変わりなファッションが流行っているらしいですね。あの下水そっくりの香水は非常に興味深い」

「――」


 訂正しよう。美しい物をこよなく愛すフランス人には、ゾンビ自体が知覚されていなかった。

 紳士泥棒は探偵の様子を気にもせずに続けた。


「あのテの淑女をナンパしたら、大胆にも抱き着いて来るんですよ。僕は苦戦する方が好みなんだが」

「まさか……」

「残念ながら。色恋を楽しむ年齢を過ぎたものでして」


 探偵はしばし逡巡した後、道の向こうでぽてぽてと歩いては通行人の腕をくわえて練り歩く女性ゾンビを見た。

 その惨たらしい可愛さときたら。ここで描写するのは探偵の美意識が許さないほどであった。


「あそこに大和撫子がいるだろう」

「ゲイシャ。成る程、いますね」

「『ゲイ術の秋』だよ、パパン君。僕と一晩過ごすか、彼女とホテルに行くか選びたまえ」


 泥棒は目の前にちらつく黄金色の落ち葉をちょっと見て、首を傾げた。日本語を解せないのだ。

 しかし半ば脅しのような言い分は理解し、助けてくれた。すなわち熱い一夜を英国のパトロンとではなく、首尾よく香しい匂いの日本人女性と過ごしたのだ。

 パーカー街219という住所名で届いた手紙には、血文字の晩婚生活が無駄に装飾過剰な丸文字で綴られていた。何かの後遺症かもしれない。

 ゾンビと子孫が残せるかという人体実験に、身をもって参加したフランス人に敬意を表し。





 孫の代ができるようにと願いを込めて、犬の名前は三世なのであった。




5/10ページ
スキ