ホームズと生ける屍


 それで?と私は冷たく言い放った。ホームズは気にすることもなく、目を爛々と輝かせて言った。

「これで二人の愛は永遠だろう……! 言われなくてもわかってるとも。僕は本当に天才だよ」

「コティングリーの妖精写真のことを根に持ってるのか」

「君の本性が不思議ちゃんでも、僕の評判には傷などつかないさ」

「根に持っているんだな」

 なぜか本日は食事中の席である。新作ができたよと呼び出され、机に置かれたものを見た瞬間に嫌な予感で汗が出た。

 意地汚い。

 外へ出るときはどこの誰だと思うくらいきちんとしているこの男だが、全くもって性格的には落第点だった。

 他に何を言えと? 私は大概キャラクターの崩れきった架空の偉人に、ほとほと嫌気がさしていた。

「結局食べるのか」

 カニバリズムを明確に出してきさえしたら、この男が妄想に狂ってる変質者で、今後のイギリスのために消しておくべき存在だと確信できるのだが。妙なところで鋭い自称私立探偵は、眉をひそめて首を横に振った。

「可愛いワトソン君のモモ肉は愛でるためにあるんだ。あまり気持ち悪いことを考えるなら、君とのつき合いも考え直さねばならんね。ドイル君」

「……」

 この男は常に本気である。愛しのワトソン君のこととなれば、考えるより前に行動に移してしまうのだ。

 私は妖精の存在を知ることができたお陰で、現実と妄想の違いがはっきり理解できた。やはり人は目に見えるもの、写し撮れるものをだけを信じるべきである。

 それでないとホームズのように、若くてそれなりに働く頭が半世紀ほど生きるより前に劣化し、その後は『ワトソンとワトソンとワトソンとお花畑プラス女王蜂』ですべての人生を終えることになるのだ。

「何だ、ホームズ。その顔は」

「――不思議の国から君をどうすれば救い出せるのだろう」

「喋る芋虫にはまだ会ったことがないぞ」

 ホームズはため息を吐いて、トマトのコンポート添えをフォークで弄った。ブシュッと中身の出るグロテスクな映像に耐え切れず、私は代わりに彼の目を見る。

「ドイル君。君にはわかって欲しいんだ――死んだ者は還らない」

「最初から存在しない者にかかずらうのはやめろと言われたいか」

 ホームズの顔がいつになく真面目で、私の神経に触った。老人の研究心を奪おうとする者に、私は優しくない。近頃はホームズの名前を耳にするのさえ苦痛だった。彼は私の手をずいぶんと前に離れたのだ。

 これ以上共にいられないと思ったとき、ホームズは自ら田舎暮らしをし始めた。


 ――それが寂しいなんて、一度足りとも。まさか。


「ドイル」

 握られた手に反応し、周囲を気にして、ペッと払う。机越しに顔が近づいた。過度な接触は好まない。それが異性なら話は別だが。

 ホームズは噛み締めるように言った。

「この作品は、イギリスでは出せない。何かいい方法はないかね」

「ああ……まだ探偵のことをよく知らない国で出版するのがいいんじゃないか」

 心の中で最後の別れを告げた。できれば遠く、かなり遠くと繰り返す。

 ホームズは傍にいると危険すぎる。その名前を聞いて腹立たしくなる以上に、誘惑も多いのだ。霊現象の研究に残りの生涯をかけるつもりだった。離れてくれるのが一番いい。

 遠い島国でジョークまじりに名乗った名前が翻訳者にどう伝わったのか。

  日本の武術の普及を夢見つつも不正確さを調べさせるわざとらしい記述。

 20世紀の日本に出始めたばかりの魚肉ソーセージ。

 日本語による駄洒落と、『三世』ばかりは有名翻訳家の息子が新訳を出した際に書き加えたものとみえる。

 さも実在の日本人が書いたものであるかのように、いかに偽装したものか。ホームズはその名前でBSI―ベイカー・ストリート・イレギュラーズ―東京バリツ支部まで作ったというのだ。

 送られてきた封書にはエドガー・アラン・ポー。





 本には江戸川乱歩とあった。





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