ホームズの続編


 ――シェリンフォード。


 ウィリアム。

 スコット?

 シャーロック!


 どれでもいいが。


「ホームズ! 起きろ!」

「あ?」

 ベッドからほおり投げられた。この怪力は。第一回ボディビルダー審査員も勤めたあの男だ。

 いやだなあ。またドイルか。

 髪もボサボサで髭もまだあたってないのに向こう行け、と言っても怒鳴る。その手にある原稿にうんざりした。

「いま書き終えたばかりのなんだ。触らないでくれたまえ」

「こんなものストランドに出せるか!」

「違う違う。馬鹿だな。原作の万能でカッコイイ方の僕ではない。宇宙一素敵で、超魅力的な方の僕が主役のパスティッシュさ」

 ホームズの舞台があるだろう? 脚本を頼まれたんだ、と。

 ドイルはカッと大きな顔を歪め、私のワトソン君イメージとは全然違った茶色いもじゃっとした髭の中から、唾をぺっぺっと吐き出した。ガツガツと下品な足音を立てて、私の事務所兼下宿兼執筆書斎兼妄想世界のワトソン君との愛の巣を歩く。

「そんな歩き方をしたら手がかかりが消える。以下、心の声。訂正、本音。は、この部屋唯一の上等な絨毯の色が褪せる」

「知るか! 舞台で使う? パロディの間違いだろう。私の名前をくれぐれも入れるなよ」

 彼がワトソン君? 私の愛しのワトソン君? 呆れてものが言えないな。

「どう違うのかイマイチわからんね、ドイル君。パスティーシュ。パロディ」

「……フランス語かアメリカ語の違いだろう」

「あるいは字数? 語源はギリシャ語じゃないのか。原作添いがパスティーシュ。そうでもなく明らかに逸脱して外れてるのがパロディだよ」

 知ってるなら言うなあああとドイルが頭を掻きむしる。知らなくて使ってる方もどうかと思うが、本来どちらにもたいした差はない。

 ドイルはイライラと原稿を握って部屋中を歩き回った。私が体に絡まったシーツを床で剥ぐと、ぎゃああと叫んだ。

「なっなっなんで裸なんだ!」

「決まってるだろう、このオスカー・ムニエ作の蝋人形ダッチワイフ――もとい実年齢18歳以下向きに言い換えて、抱きまくらの用途はね」

「言うな。頼むからそれ以上言うな。公共の場所で叫べる程度に、脚色するんだ。わかったな?」

「僕の華麗なテクニックを教えてほしいのか」

「何のテクニックか知らんが、抱っこちゃんで股間を隠せ。うぷ」

 困った。それはちょっと困った。

 長い人形のどちらを股間に当てようか?顔側?それとも足側?ずらしてちょっと……。「これは例の数字の出番だ。僕は決めたぞ」

「な、何を? 待て。だいたい貴様の思考回路はわかった。801だな?」

「何を言ってる。別に男同士でなくてもできるだろう、6ナイ」


 ――危ない。


 どこから出したのかドイルの手には小型のナイフがあり、それは私の首があった位置を通過して扉に刺さった。

「郵便受けに入ってるピンクチラシ用語は全面禁止だ。わかったか?」

「その青筋の出方は、君がスコットランド生まれの長男であることを顕著に表している」

 二本目はないだろうと油断していた。よけなければ桃色の頭脳にグサッと刺さったところだ。


 ――私を本気で殺す意思があるのはこの男だけである。


 ナイフは、私がワトソン君の可愛い頭の方を禁止された場所に挟んで、裸のまま座ろうとした長椅子に深々と刺さっている。ドイルが三本目を空中から出す前に、取って置きの銃弾を声に込めた。

「ロンドンのサボイ劇場・興行家ドイリー・カート」

「――ッ!」

「バリーのコミックオペラ。七週間の悪夢」

 床にからんと音を立ててナイフが落ちる。ドイルが膝をついてうなだれた。

 やはり持っていたのか。危ない危ない。

 ドイルが台本を手伝った『ジェイン・アニーまたは善行のごほうび』という舞台は、続演すればするほどに観客が減るという最悪の結果に終わったのである。

 まったく探偵っていい仕事だ。いざというときの切り札を今後はもっと増やさねば。

「こ、こんな男色まるだしのものを劇場公開できるわけがない。あったとしたら犯罪だ。関わった人間全員死刑だ!」

「君の気持ちはわかるが、ドイル君。おそらくあと百年したらこんなの普通だと、僕の推理レーダーが言っている」

「普通! 普通っ? ――何があってもやると言うんだな。ワトソン役は誰だ。オスカー・ワイルドの愛人か?」

「でかしたドイル君。ナイスキャスティングだ!」

 私は身の危険を感じて、小さくなった。しかしドイルは立ち直れないと言うように床から起き上がることができないでいる。でかい図体のごつい男が、さめざめと泣いているのだ。歴史作家になりたいのだっけ。

 僕の話はもう書きたくないと言ってたな。


 ――なぜだろう。ちょっと切ない気持ちだ。


 仕方ない。僕は椅子に尻を乗せて、人形を引き寄せた。「それはブリキの箱に入れてくれ、ドイル」

 ドイルが泣き顔をあげる。僕はため息をついた。

「なっ……これを書くのに何日もかかったのだろう?」

「一日さ。ワトソン君が好きすぎて僕の手は真っ黒だ!」

「腹の中も黒いが」

 僕は無視して、髪をかきあげた。我ながら甘い決断だと思って笑みがこぼれる。

「舞台の台本は君に任せよう。そのかわり条件がある――ワトソン君が僕を押し倒して守るシーンと、服の貸し借りのあるシーンと、それからできれば」

「何を言いたいかはわかった。私にできる限り忠実に、シャーロック・ホームズを書くと約束しよう」

 ドイルはそう言って、部屋から出て行った。

 数日たってドイルが書き直し、出来上がったホームズの脚本の話は、僕にとって夢のような小説だった。夢小説! 夢小説という言葉が浮かぶ。

 ドイルは僕のワトソン君像を正確に捕らえ、あまつさえシャーロック・ホームズを僕そっくりに書いてくれたのだ。

 しかし結局そのどちらも、ブリキの箱行きだった。あまりにホモくさい上に、ホームズが別人すぎるのでファンが黙ってない。これは刑務所行きだと、台本は聞いたこともないアメリカの脚本家が書くことになったのだ。

 しかし。

 とうとうこの日がやってきた! 日の目を見るのだ、あの夢小説たちが。

 ドイルの書いた分はもう見た。誰かがブリキの箱から、自分のものだと偽って出したに違いない。彼が精一杯譲歩した努力の痕跡はなかなかのものだったが、反対派も多かった。

 百年たってもその性癖は迫害される運命にあるのだ。

 いや、何を心配することがあるだろう。次の公開まで後どのくらいか知らないが、脚本は箱に納められているもうひとつ。

 ――僕の書いたものを使うのに決まってる。

 養蜂を成功させ、ローヤルゼリーで長生きしたおかげだ。

 期待を胸に込めてよぼよぼとした声を張り上げた。タイトルはめったに使われない自分と同じ名前、その前売劇場鑑賞券とはもちろん。





「映画『シャーロック・ホームズ』を一枚ください!」





End.
2/2ページ
スキ