戦場のワトスン
国に帰ってからの他人との食事は、大概気まずいものだった。私の体は、生きていくのに必要な分しか肉がついていない。削げた頬を隠すため、余分に髭を生やしている。
磨きあげたナイフに、疲れた表情を映した。目だけがギョロと大きく見開かれている。決してつき合いやすい顔ではない。
食事中はよく話した。口を動かしていれば、あまり食べてないことを悟られる心配がなかった。戦場であったことを語る。モリアーティ教授は口を挟まず聴いてくれた。人間を解剖するのと同じくらいの手際のよさで肉を切る。
私は失せた食欲を紛らわすため、あの将校の名前を出した。話題が尽きてしまったのだ。教授はぴくりと眉を上げて私を見た。
「アフガンに従軍した後、カブールで駐屯していたはずだが――戻っていたのか」
「ご存じなんですか?」
セバスチャン・モランだろう、と教授は苦笑した。「猛獣狩りとカードゲームをやらせたら、普段の粗雑さが嘘のようになりを潜める。私の旧友だよ」
知りませんでした、と口を利いた。教授には秘密が多い。
死体を相手に特定の毒物について研究しているだとか、人体の急所を東洋の針による治療で調べているなどと、誰かの噂話によって、本来の人柄と違った人格が一人歩きしていた。
「ワトスン君。仕事はどうするのだね」
「どう、とは」
「開業する気はないのかと聞いている」
「そのような元手はありませんから。できることも限られていますし」
引きずった脚で診察をするわけではない。金があるのに退屈な仕事を努め、日銭を稼いで何になるのか。権威ある立場を目差したのは、家族のためだった。独り生きていくなら、多くは必要ないのだ。
教授はゆっくりとグラスの中身を飲み干して言った。
「君の書いた小説だが、つまらなかった」
「だろうと思いました」
教授は苦笑した。 「君は可もなく不可もない生徒だったな。面白みには欠けるが、特に落第点もつけられない」
素晴らしい才能だと褒めちぎる。大勢の中にいながら、主張を抑えて溶け込む。洞察力のある人間は無口だと。
「余計な想像がすぎると、人は現実を忘れて饒舌になるものだ」
「――はっきり言ってください」
「なぜ強制送還になったか疑問に思わなかったかね」
モリアーティ教授は眉を上げた。 「君はまだ仕事を熟せる状況で、国に帰された。モラン大佐がすべて仕組んだことなのだ」
なんの関わりがあるのだろうか。会話に尽きて出した名前によって、帰国理由が導きだされようとしている。聞きたくありませんと断ることもできたが、私は教授に先をうながした。
「彼の甥について聴いたことがあるな。人目をはばかる内容の」
「最期まで面倒を見た……」
「最期。いいや、モランは置いて逃げた。甥の面倒を見ているのは老いた家政婦が一人」
これでないものにとり憑かれている、とグラスを振る。君が怪我によって抜けざるを得なかったもの、体力快復のため使わなかったものだと言った。
「麻薬ですか。阿片やモルヒネのように依存性が強く臓器を溶かす」
「もっと軽い。だが長い。コカインの7パーセント溶液を毎日だ」
彼の家庭教師をしていたと笑う。教授の目に夢見るような光がよぎった。食事の手は完全に止まっている。
「創作の色づけになるかと思う。興味深い性格をしている。彼を君に頼んではどうかと電報を打ったら」
「なんですって?」
「――君が戻れたのは大佐の権力のお陰だ。怪我の時期もよかった」
伝染病が流行っていた。関係がない軍医が船に乗せられたのは、手違いでも療養休暇でもなかったのだ。上官の甥を世話するために寄越された。こんな馬鹿な話があるだろうか。
「大佐は何もおっしゃいませんでした」
「私の所に来るだろうから、そのとき話すと約束した。ものを書いているとは知らなかったが」
「教授、あなたは」
彼は私の大事な生徒なのだよ、と囁く。テーブル越しに微笑みを浮かべた。
「君と同じように」
私は見知らぬ男の見張り役となった。