少しも、抑えられない
暖炉に石炭をくべていると、ようやく教授が調査から帰ってきた。二人でいる貴重な時間のほぼ半分は、解剖室か殺人事件の重い空気を合わせ持っている。
教授はマフラーをはずして私のほうを見た。「今夜予定は。ドイル君」
「ありますよ。つれない愛人を待って、食事も取らず身も清めて二時間半。明日も早いので寝ます」
自分用に別にとった隣室の扉へ向かおうと横切れば、腕を掴まれ引き戻された。ベッドのある部屋までそのまま連れていかれる。
「――乱暴ですね」
「待ちぼうけをくわせたことは謝ろう。今日を逃したらしばらく会えない。わかるか」
わかっていた。立ち上がろうとした私のツイードに手をかけ、覗きこむようにして頬に口づける。実際唇はつかなかった。頬擦りしたようなものだ。
「いつまでも拗ねていられると酷いことをしたくなる」
「ベルギーの殺人玩具はごめんですよ。あなたを体内に納めて狂おしい時間に耽った結果、嫉妬深さで貫かれるなら――それもまた本望ですが」
教授は形容し難い顔をした。私は気難しい彼の資質を理解していたため、おそるおそる彼を引き寄せた。
黒い外套と薄暗い室内のせいで、まるで蝙蝠のようだ。私の上着を脱がし、自分は靴さえ履いたままで帽子だけ部屋の隅まで投げた。よほど盛り上がりでもしない限り、潰れる心配はない。
「教授」
股間をゆっくり這う手に、笑い声を漏らした。待っていた間に熱の処理は終わっている。教授も気づいたのかうなった。「浮気相手は右手かね。左手かね」
そう簡単に燃え上がりはしないだろうと気を赦して、首筋にキスをした。彼は私のシャツのボタンを几帳面に一つ一つはずしていく。余裕をもって吐息を吹きかけると、またうなった。前戯は淡々としていたので私は安心した。教授の髪に指を絡める。後ろは弄らなかった。後半に期待だ。
「ふ……っ」
少し開いた部屋の隙間から、暖炉の明かりが漏れている。いきなり宿屋の主人が押しかけることはないだろうが、私はしばし妄想に耽った。突然の嵐。窓ガラスを割る緑葉樹。獣のように繋がっている私たちを見て警察に通報が。ふふ、と漏れた笑いに教授が顔を上げた。
「上の空だな、ドイル君」
「退屈なので考えごとをしていました」
私の挑戦状を教授はしっかり受け取った。緩慢だった指の動きを唐突にやめ、股間に顔をうずめると中途半端に勃起した本体を口内に含んだ。いきなりの強行策に卑怯だと体を緊張させたが、思わず掴んだ頭が上下する度に卑猥な音がして、私の集中力を一点にもどした。
「……っ、んっ」
やはり全く違う。一人で過ごすはずの夜は、心待ちにしていた相手との逢瀬で薔薇色に染まった。
力の入らなくなった下肢に、教授の手が添えられた。室内の気温は同じだが、股間の怒張だけが熱さを増していく。教授は顔を上げた。緩んだ口元に長いキスの応酬。私は徐々に臨界を迎え始めて、彼を呼んだ。教授は答える代わりに私を指で追いたてた。
「あ……ああっ」
胸を這っていた唇が、私の中心部を探るように下りていく。ぞくぞくした快感に身を任せつつも、私は彼を阻止しようと無駄な抵抗をした。教授はしかりつけるように私の脇腹に歯を立てた。そんな小さな刺激でさえ声をあげてしまう。
「ドイル君。前言は撤回したほうがよさそうだ」
私の指は教授が取った。そのまま自身を握らされて、ようやく悟った。教授は私の反応が愉しいのだ。私の声や、震える膝や、締まる尻が。
「ん……、や」
胸元を弄られ、鋭い眼差しが夢見がちに宙をさ迷うのに苛立った。余裕を崩したい。自分に意識を戻させたい、という思いが私を支配した。
反射的に棹を擦りだした指は、他人の手が与える謎めいた動きと違って、特に面白みもなく上下するだけだ。
「っ、……っ」
教授が触ってくれることを期待しながらの自慰は、私にしばらくの休息を与えた。あのままだとはりつめてすぎて先に終わっていたに違いない。私は自分に言い聞かせながら、鼻息で堪えた。
猛り狂う場所に血液が集まり、半勃ちしたところで教授が口元を緩めた。「好き者」
私は急に恥ずかしくなった。顔が熱い。普段はもっと違ったアプローチで行われる蜜ごとの時間が、たった一言で憤りに変わる。
「誰が……!」
「すまない、つい」
だいたい私だけいつの間にか半裸に剥かれているが、教授はどうだというのだ。外套さえそのままで、手袋を外した手以外は朝出たときと何も変わっていない。
私は彼の外套に手をかけた。今夜は確かにひどく冷えるが、着こみすぎだ。教授はおとなしく脱がされながら、中断されてとどまっている私のディックを愛撫とも呼べない弱さで探り始めた。
「っ……ふ」
もどかしい熱に、何度か息をつめる。もっと強くとねだるべきなのか。今夜の教授は気味が悪いほど冷静で、私は素直に望みを伝えるのを躊躇った。
不安を打ち消すために唇を合わせた。ほとんどの刺激が意識を集中しなければわからない程度のもので、私は焦れて教授の手を強く握った。こうだと示さなければいつまでも曖昧な感覚しか得られそうにない。腰を揺らせばたしかに少しは気持ちいい。だが。
「教……授!」
「どうした」
怒りの声にも教授は涼しげだった。握っていた竿を離し、玉のほうを手のひらでゆるゆると転がされる。自分でも艶かしいと思える息を空中に吐いた。なんだろう。じわじわとした快楽は、時間をかけるにつれ何か別の要求に変わっていく。私は柔らかいベッドに埋まっている腰を、なんとか上げようと努力した。
「ん……もっと。しっかり」
「そうかね」
言ったが最後、とうとう握ってさえもらえなくなった。さする指先と、円を描くように回される手のひらがじれったい。しかし隆起しているものの先端は熱いままだ。溜まっていく先走りが、ときどき当たる教授の下腹部を汗で濡らしていく。
「いゃっ、……やぁ」
近づければまた離れ。何度それを繰り返したかわからない。私の脈拍は高まるばかりのそれと呼応して、一人盛り上がっていった。
堪えきれなくなった目尻に、生理的な泪がにじむ。私は恥を脱ぎ捨てて言った。
「触って。もっと、触ってくだ」
口づけが阻んだ。ついばむようなキスしか与えられなかった長い時間が、その一瞬ですべて帳消しだ。強さと優しさに満ちた唇を深く追う。
溶け出すような感覚に脚の先を硬くした。息が苦しい。息継ぎさえ今度はなかなかさせてもらえず、私の頭は理性を失った。なんて人だ。
「ん、んんっ」
荒々しく掴まれた頭を反り返らせ、胸を叩いた。長すぎるキスに沸騰した脳内が犯される。硬直した私のものに、自分の怒張を擦りだした。やめてくれ。私は堪えきれず嗚咽した。そうすれば離してもらえるという安易な考えは吹き飛んだ。
殺、す気か。
私の意思とは逆に、猛ったものは精液を撒き散らした。教授の腹を汚したことで、叱責を受けるかもしれない。いつの間にか唇は解放されていたが、しばらく気絶していたに違いないのに、教授は私の頬をなでながら、横で笑っていた。
「苦しいときの君の顔は――とてもそそる」
「な……っ」
近づく顔に体を震わせると、冗談だ、と耳に囁かれた。教授は落ち着いた私を裏返し、後ろを探り始めた。塗り込めた精液が足らず、小机の引き出しに入れていたグリセリンを手に、検査でもするような手早さで私の中を探った。
自分でほぐしていたこともあり、いくらもしないうちに迎える準備が整った。復活した前が、宙ぶらりんの状態でも腹につきそうな風にピンとしていた。
「……っ、はやく」
ぞぞ、という挿入時の不快な感覚が、私の気を遠くにやった。すぐに慣れて背筋を走る快感に溺れる。つまらないプライドは吹き飛び、私は教授を奥深くまで貪るため腰を振った。気持ちいい……。だが顔が見えない。キスもできない。
「ん……っ、あっ、あっ」
抜かれそうになるとつい掲げてしまう尻が、挿入される段になると強ばって硬くなる。教授の両手はそれを押さえ広げるために使われていたため、私は自分の逸物をがっしりと握った。
「あ……ぁ!」
「……っ」
上気した頬にかかる汗をシーツにこすり付ける。息は絶え絶えだった。グッと入ってきた途端に私は放ったが、教授はしばらくそのままで堪えた。
終わらない律動が私を悦ばせ、叫びかけるとネッカチーフが口に押し込まれてまた突かれた。最後の一滴を搾り取るまで饗宴は続いた。
完敗だ。
私は記憶にないのだが、求めるために発したいくつかの言葉は、記録に残せないような内容だったようだ。覚えてないのが幸いして、私は甘い夜の感情だけを忘れないことにした。
End.
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