Face-off


「司法解剖に回した死体の内臓から、例の凶器が発見されました。先生ご自身に執刀していただくわけにはいかなかったことをお赦しください」

 馬車から降りて室内に案内された男は、サウスシーからやってきた田舎者の開業医――私しかいない――を見て、不審そうに口を閉じた。「こちらは?」

 頑丈そうな体をゆすり室内へ入ってくる。握手の際には思わぬ強さで握りしめられた。私もつい力強く返した。

「ドイル君は私の教え子で、その道では高名な医師です。鼻にできた癌を取り除く手術では、時の彫刻家も匙を投げるような技術を持っています」

「おお」男は教授と私を見比べた。「私の知人も短めの陶製パイプで鼻先をやられましてな。ぜひお話をうかがいたいもんです。あの高慢な鼻を貴族的にできたらたいしたものですよ」

 私は教授と目を合わせた。鼻の癌云々の功績は嘘ではないが、彫刻家は話を盛りすぎだ。

「そして、こちらは――」

「名前は伏せておくのが利口かもしれません。ドクター・ベルならびにドクター・ドイル?」

 彼は教授をさえぎった。男の探るような目つきは、制服や敬礼がなくとも、その職業を如実に表している。私の視線をどう解釈したのか、彼はいった。

「私は詩情に乏しく、物事を率直にしか話せないほうでして。ときおりその点について誤解を受けたりもするのですが、決して頭の硬い男というわけではないのです。常とは言わずともなるべく正直でありたいとも思っている」

 私は理解を示すためうなずいた。上着を受け取り暖炉の側に案内する。教授は彼のために椅子を引いた。

「ですが先ほど言った、鼻先をやられた知人いわく――今回の事件ではちょっとした作戦があるので、私は表に出るなと指示を受けています。そこで大人しく言うことを聞いたフリをして、貴殿の協力を仰いだわけです」

「知人とは貴方の仕事上の上司か何かですか? 警部」

 教授のぶしつけな質問にも、彼はにこやかに応じた。笑うとどこか動物めいた表情になる。警察関係者に珍しく、下手に出るのが得意らしい。

「いいえ。違います。強いていうなら好敵手のようなものですね。ただし向こうは私のことなど眼中にないようなので、一泡吹かせてやりたいと思いまして。ウォーナー警部の紹介もあり、ご高名な先生のお知恵を拝借したく、こうしてお願いしに参っている次第で」

「感心はしませんが気持ちはわからんでもない」教授はいった。「お力になれるとよいのだが。ドイル君に事件の概要を話してもよろしいですか」

 警部のうなずきに、教授は私にも椅子を勧めた。

 三日前に市内の自宅前で男の死体が発見された。名前はジェームズ・ブラッドリー。男はイギリス貴族で二番目に古い家柄の出身で、歳は四十と少し。昨年には娘といっていいほど離れた妻をもらったが、まだ子種はなかった。

 郊外にある豪邸は別荘として所有。間借りしているロンドンの屋敷は職場の裏にあり、主に不動産業を営んでいた。被害者についてはここまでわかっている。

 更に被疑者は数名に絞られ、あとは犯人を燻し出すだけだというのだから、教授はともかく、私などの出る幕ではない気もするのだが。この短期間で事件は終盤に差し掛かっているのだ。私が電報にいち早く気づいていれば、教授も出遅れることはなかったものを。

 問題はその死因であった。鋭利な刃物らしきもので心臓を一突きされているのは間違いないのだが、周辺をいくら捜索しても凶器が発見できない。しかし現場の敷石には被害者の血糊で天罰と書いてあったため、事態の収束は混乱を極めた。

 業を煮やした警察が、懇意にしている協力者にまず声をかけた。これが警部が先に言った『好敵手』のようで、現場や死体を見るまでもなく凶器の在りかを突き止めたという。

「現場を見てもいないのに?」私は口を挟んだ。「その人が透視能力者でもない限り馬鹿げてる。いったいどこに……」

 馬鹿は私だ。警部が入ってきたときいったではないか。凶器は死体の中で発見された、と。

 警部はうなずいた。

「私もまったく同じ意見ですよ。しかし能力者は他にもう一人いましてね。先回りして部下に電報を打たせたら、遺体の中を探せと即答でした」

 警部と私は教授を見た。教授はひじかけに肘を置いて、指の関節で口元を押さえている。その目は鋭く空中を見つめていた。

「消去法だよ。ヤードの力を過信してはいないが、捜査対象者の屑籠の中身まで洗って出てこないとなれば、可能性はかなり絞られる。彼あるいは彼女には、凶器を隠す時間などなかったはずなのだ――死亡時刻が正しいと仮定しての話だが」

 教授は立ち上がり、窓際へ寄った。

「もちろん面識のない物取りなどの仕業であれば、被害者を果物ナイフで刺したあと、綺麗に洗って元の場所へ挿しておくという手もなくはない。強い怨恨を示す点がなければそちらの線で私も考えた。遺体にはアイスピックのような穴しか空いていないときいたので、尚更だよ。結局のところ、凶器はどこで発見されたのかね?」

 私は協力者というのが誰なのか、そのことにすっかり気をとられていた。教授と同等か、それ以上の推理力を有しているのだ。消えた凶器が出てきた場所など、この際重要ではない。

「肛門から串刺しでした」

 ――わりと重要だった。私は行儀も構わず尻の位置を直した。

「錐状の長さ五インチはある工具です。持ち手がないため、どのように突いたのかさえまだわかっていません。本来なら解剖前に見当をつけておくべき場所でしたが、直腸から出血することなくかなり奥まで収まっていて、被害者の体を開くまで誰も気づかなかったのです」

「その『彼』以外は?」教授がきいた。警部はうなずいた。「ふむ――」

 このふむ、はくせ者だ。つきあいの長い私にわかるのは当然だが、なぜか警部も構えた。

「ドイル君。お願いがあるのだが」

「……お断りします。敵情視察は得意ではありません」

 教授は片眉を上げた。「いい機会だと思うがね。見知らぬ相手を、何も敵とまでは言わんさ」

「やはり気になりますか」警部がため息をついた。「その男というのが――」

 教授は窓から離れ、椅子に座りなおした。

「安定のない職業。下宿先の同居人は医者。おそらくこちらは実直で口がかたい。部屋の散らかり具合からすると掃除の得意なタイプではない。気が向けば集めた情報を整理する能力はあるようだが、頭の回転のいいものの常で処理機能は追いついておらず、そのぶん記憶力だけはずば抜けている」

 矢継ぎ早の答えに警部は唖然とした。教授は私に向かって顎をしゃくった。

「これは推論に過ぎんが、血気盛んなドイル君より少し年上の若造かね」

 警部が奇声を上げて黙ってしまったので、教授の挑戦は私が受けるしかない。答えを導きだすまでの仮定を私は小指から順に折りながら数えた。

「事件を早く解決して名前をあげたいと思っている点から鑑みるに、商売繁盛とはいかないようです。市内の下宿は一人では高ぎるから、誰か一緒に住んでいるとみるのが妥当。解剖医がいらないのは、どちらかが医者の免許を持っているから。機密情報を漏らす心配がないほど信頼のおける人物。警部の肘についた埃とインクと糊がその他の答えを示し、記憶力に関しては……」

 私は言いづらさから黙った。警部があとを拾った。

「記憶力に関しては、私が先に言った情報ですな。事件の容疑者はすでに絞られていますが、これは警察独自の情報力ではない。この短期間で見つけ出したのは、我々ではなく――そのとおり」

 警部は苦々しげだった。


「その男の力なのです」


*****


 拘置所を訪れる算段を済ませ、そこからは別行動となった。私は自分より頭ひとつぶん小さな男の背中を追った。彼はかなりの猫背である。

 警察署にはまだ多くの人間がいた。「レストレード警部。署長がお待ちかねです」

 私に警戒して名前を明かさなかった警部だが、その呼びかけには素直に答えた。

「ああそうだな」警部は私をちらりと見た。「すぐに行く。こちらの方を私の私室へお連れしろ、ホプキンズ」

 私はその男に見覚えがあった。

「ドイル先生。お久しぶりです」

 私たちは握手を交わして、歩きだした。事務処理に追われる警察官の群れは、さながら養鶏場の喧騒に近い殺気を放っている。大都市ロンドンのすべての犯罪がここに集まってくるからだ。

 ホプキンズは相変わらず爽やかな好青年だった。市内の最も優秀な警察官だけが集まるスコットランドヤードに移っていたらしい。ロンドンの薄暗く重い空気の中で、このように快活な若者がいることは気持ちを晴れやかにする。

「その節は」私は省いた。時間がない。「入院したせいで後日談をききそこねました。以前の事件の判決がどうなったかご存知ですか」

「警備要員として配属されていたため、一審を傍聴しましたが――殺人罪に問えるかはわかりませんね。証拠の出所があまりにも不自然で、逆に隣の料理屋店主が疑われている始末です」

「あるかもしれないと思っていました」ほぼ二択で間違ったほうを選ぶなど、裁判官の耳を疑うというのが正直なところだ。

「ベル教授の解剖医としての発言も認められない可能性があります。事件に不用意に近づいたとして、罪に問われなかっただけマシだとおっしゃっていましたが」青年は脇をむいた。「――不甲斐ない結果に終わりそうで、申し訳ありません」

「本職の警部たちを差し置いて、もう一度現場に行くといったのは私と教授です。あの場で犯人を警戒させるわけにはいかなかった。気に病まないでください」

 現実とは非情なものだ。私たちは再度握手をかわして別れた。秘書が淹れた珈琲を口にしていると、レストレードの功績が壁にずらりと並んでいるのが気になった。

「賞状は紙切れですよ」警部が資料の束を自ら抱えて現れた。「なんの役にもたたない。給料が少しばかり上がって、やることだけは倍に増え、育てる部下の大半が警察ルールを熟知してない生意気な馬鹿ばかりで嫌になる」

「ホプキンズ君はいい若者ですね」私は資料を机に乗せるのを手伝った。

「制服を着てるときも着てないときも、いい男です。ああいう男が増えてくれたら、今後のヤードの未来も明るいのだが」上司は目を和らげた。「ドクター、今からでも警官になりませんか」

「えっ?」私は一瞬何を言われたのか理解できなかった。

「冗談です。だが素晴らしい体格だ。拳闘をおやりになるのですね。しかし書きものも得意でしょう」

 私はびっくりした。「確かに私は物書きの端くれですが、まだ本名は使っていません。どうしてそれを?」

「袖口が擦れています。そして握手したときのペン蛸」警部は苦笑した。「この程度なら我々も常日頃からやっているわけです。こちらが言わないことを察する想像力のない人間には飽き飽きしとるわけですが」

 警部は鼻から息を吐いた。私はよくわかった。「レストレード警部。次は貴方の天敵の名前をお聞かせ願えますか」

「シャ」警部は舌を噛んだ。「失礼。シャー……」

「警部! 大変です!」

 扉をバタンと開けて、ホプキンズが入ってきた。レストレードは唸った。

「やりなおせ。紳士的にノックからだ。乳母かマァムに教わらなかったのか?」

「ですが……っ」ホプキンズは息を切らしていた。

「早く」警部の言葉に彼は戸口を一度しめ、ノックをした。警部は腕を組んだ。「いいだろう。入れ」

「警部、報告します。被害者の妻が自殺しました――」

 レストレードは机を叩いた。「なぜそれを早く言わない!」

 警部は上着を取ると室内を飛び出した。私は上司の理不尽さに呆然と立ちすくんでいるホプキンズの肩を叩いた。

「警部は君に過剰に期待しすぎているのだ。口を閉じながら話すなど、私でも無理だ」

「毎日です。さすがに疲れてきました」ホプキンズは正直だった。「ドクター・ベルもこうですか」

 私は肩をすくめた。

「目と口を閉じたまま、睡眠と食事を取って手術の手伝いをしろと言われたさ。まあ見てなさい。今に君なしでは仕事がはかどらんと文句を言われるようになる」
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