Rest house

 食卓の灯火を揺らしながら、本を一山抱えてホームズが入ってくる。声をかけたがあまり話したがらない。冷たさが嵩じると老人のような横顔である。

「浮世の欲から離れて読書か」

「情報欲があるから読書だ」

「まだ食べている。見ればわかるだろうが」

「見なくてもわかる。階下にまで匂いが充満しているからね。僕の分は取っておかなくてよろしい――」

 誰がやるものか。雪掻きを手伝った御礼にと配られた山の幸。街の人間は優しい。霜降りの肉。温かなスープ。煮込んだ豆。影絵のようなホームズ。

「……その鼻眼鏡は私のだ」

「そうかい」

「気が散るから黙るか食べろという顔だ」

「そうかい。よくわかっているじゃないかね。いま巷を騒がせている遺産相続争いについて調べているのだ。邪魔をしないように」

「鼻眼鏡のことは忘れてほしい。続報があったら私に詳しく話すように」

 豆がころころ。窓を打つ雪。動く影絵と閉じる本。

「新聞を読んでないのか。役者が揃いすぎて僕にはいささか物足りないが、君好みの華やかで下世話な展開だよ。伯爵家の御令嬢に行方不明の厩番――」

「豆を食べるか。墓を掘るのもやぶさかではないが、君の死因が餓死ということになれば話は別だ」

「疑われるのは君しかいないからか。その件については遺書を書いておく。それより今は僕の話を聞いてほしい」

「……なんだって?」

「厩番は手紙を残しているのだよ。朝刊には書かれていなかった。ロンドンに送った電報の返事はまだ届いていない。それで街の図書館を使ってだね、伯爵家の屋敷の見取り図が正しいものかまず調べ、」

「プリーズ。君が。私にプリーズ?」

 言葉の綾だ、というような意味の言葉が返った。ドイルはにやけた。プリーズ、と繰り返す。ホームズはため息で答えた。

「君は聞き役には向いていない。もしこれがワトスンなら」

 間ができた。お互いに失笑。顔を見合せて冷笑。どちらが聞き役か勝負だとばかりに違う話題で競い合う。

 冬の羊飼いはなぜ仕事にあぶれないのか、編み物の得意な近所の奥さんはなぜ赤い毛糸を嫌っているのか、政治家の誰それがフランスに逃亡を謀っているその理由は云々。

 水を飲む間だけ休戦である。ホームズが指一本でその意思を伝えた。ドイルは食卓のワインを煽った。こっちは水でなぜそっちは酒だ、という抗議の言葉が次のゴング。間に入ってはワトスン博士とて根を上げるだろう。

 小一時間もするとスープは冷めた。喉はからから。顔は真っ赤。喧嘩ではないので言葉尻は冷静である。二人して論議が詰まった。

「ワトスンはなぜ僕らの会話を黙って聞いていられるのか。彼は内容を理解して相槌を打っているのか」

「もちろんそうだろうとも。ただ我々の態度に呆れて、反論を考え損ねているだけかもしれん――」

 それですべてだった。不出来な男の上等な精神。彼にはどちらよりも優れた特性がある。相手を不快にさせないことだ。

「よそうか」

「……そうだな」

「豆を食べよう」

「私の豆だぞ。まず鼻眼鏡を返せ!」
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