ホームズと我が子


 セバスチャンが義姉についてたまに尖った態度を取るのは、わかりやすい理由があった。彼女は父の望むものを全て備えているからだ。

 初めて会ったとき、義姉はいきなりクレー射撃の今世紀の需要はあるかということ、女性の選挙権、植民地様式の建物について立て続けに話したあげく、突然ああと声をあげた。

「まだ名乗ってなかったわね。マール・アドラー・ノートンよ」

 台所に鼠が出たわ、と淑女が話すくらいの違和感だった。男が女に求める反応、女性らしさが一切欠如している。

 探偵の血を引き継いでいるのだ。マールは論理学者だった。

 セバスチャンは第一次世界大戦の活躍から暫く経って、探偵の技術のすべてを父から教わっていた。かの人は田舎暮らしの養蜂をしているうち、訪ねてきた二人の女に息を呑んだのだ。

 彼女は相棒を連れていたらしい。探偵にとっての医者のような存在を。そして不思議な縁で結ばれた親子が、さらなる出会いを呼んだ。

 彼らはすぐ会うことになった。しかし、義姉の要望で二人きり――セバスチャンは几帳面な手紙を一通受け取り、返事を書くため約束の場所を選んだ。

 ペル・メルの伯父の一室を。

「マール。君は僕をどう思ってるんだ?」

 最も聞きたい質問をしたのは、日が落ちてからだった。二人は討論に華を咲かせ、気づけば生き別れの兄弟ではなく、非常に意見の合う友人として接していたからだ。

 打ち解けるまでに時間のかかるセバスチャンにとって、それは考えられないことだった。

「よくできた腹違いの弟であると」

 義姉はゆっくりと答え、皮肉な笑みを浮かべた。

「それ以上に貴方を表現する資格はないわ」

「――資格?」

 セバスチャンをまっすぐ見る。義姉の憂鬱な目の形は、お世辞にも整っているとは言えない。

 重く垂れ下がった瞼が、理知的ではあるが他人を寄せ付けない骨格と相俟って、父にそっくりだった。気味が悪いほどだ。

 その容姿にもかかわらず、なぜ彼女はこうも美しい佇まいをしているのだと思う。なにもかも似ているはずなのに、父とは何かが違う。

 まるで昔、ベイカー街の書斎で見つけた美しい誰かの――自分の母親の写真を思わせるような。

「義姉さん」

 口を開けば、先は続かなかった。どうしても。

「言うべきではないわ」

「まさか」

 マールは右手を弟の唇に乗せ、首を横に振った。年はいくつも変わらぬのに、風格が違いすぎる。

 義姉は椅子の側にある鞄から、見覚えのある写真立てを開き、セバスチャンに渡した。

 彼女は――。

「父さんは、どうして」

「母は父を愛していたけど、ホームズさんも愛していたのでしょう」 マールはゆっくりと微笑した。「そしてあなたができた」

「駄目だ」

「顔のよく似た別の女として現れたのかもしれないわね。彼は気づいただろうけど、私の存在は知らなかった。母は幼いころに亡くなったし、仕事で他方を回っていたから」

 最後の日を思い出せないわ、と義姉は言った。セバスチャンはぎゅっと拳を握りしめた。

 姉は弁護士のゴドフリー・ノートンに育てられたのだ。そっと顔を盗み見るが、静かに立ち上がると花瓶に挿した薔薇を取った。

 その話が真実なら、義姉は本当の。腹違いではなく、本当の。

 マールはセバスチャンを通りすぎ、窓辺に寄った。尋ねたいことを聞き損なう。

「彼はこれが好きね」

「……育てるのに手も傷だらけになっている」

「棘のない薔薇は奇跡から生まれたのよ」

 その話を知ってはいたが、奇跡とは考えていなかったので黙っていた。

 現実主義者の父やマールが、花に特別執着があるとすれば――セバスチャンは思いついた理屈に名前をつけようとしてやめた。

 意味のないことだ。薔薇の名前について分厚い本が書けたとしても、その美しさから得る一瞬には敵わないように。

「私たちは、彼の奇跡よ。そのことを誇りに思う」

 マールの横顔に黄昏がかかり、手元になぜ古びたパイプがないのだろうと義弟は残念になった。

 自分には手が届かない。血の繋がりではなく、何か根本的に義姉は違うのだ。

 父に似ているから。

 セバスチャンはちょっと間を取った。鋭く息を吸って、ゆっくり吐く。簡単に負けを認めるのか? いいや。

「父さんとドクターがしてるのを見るのが好きなんだ」

 期待したほどの効果はなかった。マールは最初、目だけを動かして、先を促すように顎を突き出した。

 義弟は淡々と言った。

「ドクターはああ見えて持久戦に強い。めったに見れない父さんの汗をかいたこめかみや、口から漏れる呻きや、攻められたときの悔しそうな顔にゾクゾクするね」

 初めは連絡もせず夜中にサセックスへ立ち寄ったのがまずかった、と続ける。

「薄暗がりで互いに向き合って、顔を寄せながら手を突き出してるんだよ。よく見ればその――相手の弱い部分を交互に攻めているわけさ。会話は囁きだった。駆け引きの最中もほとんど目を合わさなかったが、殺している息がどんどん荒くなっていくのがわかった。最後については聞きたくないだろう。どちらも極度に疲労困憊して、半開きの扉の向こうにいる僕には気づかなかったよ」

 マールの目線は揺らがなかったが、一瞬唇を動かしたのをセバスチャンの目が捉えた。

「僕も最近は相手をするんだ。父さんはドクターにわざと攻める隙を与えて内心遊んでいるが、僕に対しては同じようにいかない。彼は上手いが、昔より弱い。後手に回って攻め込まれれば降参するんだ。なにせ若さが違うから」

「頭が。でしょう」マールはぴくりとも笑わずに答えた。「あなたがそんなに上手だとは知らなかった。私の洗礼も受けてみる? 試したいなら一晩中でも」

 セバスチャンはたじろいだ。真剣な顔にからかいすぎたかと青くなる。

 マールは鼻で笑った。どこまでも父にそっくりだった。伯父にもだ。

「チェスの話だと最初から知ってる。どこでそんな知恵をつけたのかしら」

「――最初にやったのは」

「彼ね? 全く」

 その呼び方が義姉にはぴったりだった。彼女にとっては、ゴドフリーが父親だからだ。

 義姉は大声で笑わなかった。そのイメージは数々の映画や舞台で植え付けられていたが、現実での父がほとんど声に出して笑わないのと同じだった。

「でも。彼は好きよね」

「チェス? ああ……」

 答えると、含み笑いをして堪えるのをやめた。今度は心からの微笑だった。

 セバスチャンはマールの言葉にうなずきかけて、自分から振った話であるのに、耐え切れず唸った。

 そうだ。確かにあの二人は共に暮らしている。そして筆不精の父の尻を叩いて、二人の子供に手紙を書かせているのは――。

 次はサセックスで会いましょう、と姉が言った。

「運がよければヴァイオリンと、ホームズの朗読が聞けるかもしれないわ」


End.


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