探偵との思い出



『拝啓

 ワトスンならびに夫の読み聞かせにうんざりしているであろう御夫人へ


 先月ベイカー街でボヤ騒ぎがありました。特別怪我などはしていません。爆弾が投げ込まれた瞬間、クリケットの血が騒ぎ――同名の選手がいるらしいんだが知っているだろうね? ――愛用の楽器を振り回した先は君の部屋でした。本当にすまない。

 ところでワトスン君。結婚式以来とんと音沙汰がないので君が生きているか非常に心配しています。いい話と悪い話があるよ。いまの話はここ数ヵ月ではかなりいいほうだ。どうせ君はいい話しか聞きたくないだろうし、単刀直入に書くしかないね。

 ハドスン夫人があの年で奇跡的に子供を授かって、今6ヶ月だそうだ。流行りのスカートが腹回りの膨らみをうまい具合に隠していたせいで、さすがの僕も全く気づかなかった。

 悪い話のほうは、いよいよ僕もあとほんの数ヵ月でお父さんになるわけで、逃げるか立ち向かうかいずれにしても、君の意見ともれなくついてくる医療鞄の中身を必要としてるってことさ。

 まあ結局のところ僕は薬なしでやっていけてるし、君なしでもそれなりにやってはいけるようだ。

 赤ん坊のお父さんが僕だというのは冗談で、ハドスン夫人を孕ませるための第二の王子様の登場もやはり数十年遅かったようで、つまりは赤ん坊の件だってまるきり嘘なんだが、ボヤ騒ぎに関しては君が執筆で困ってると聞いたため話を大きくしたなんてことでも怒らないでほしい。

 先日届いた新作に関してはとてもいい枕だと感心しているよ。厚みの話ではなく中身の話さ。こちらも一つ面白い話を仕入れたから、御夫人ともども休日の退屈しのぎに読んでくれたまえ。

 ジョンという男は見かけこそ頑健で色男、職業も医者だというから人物評だけならまるで君そっくりだ。名前も同じ。奇遇だね。

 開業したばかりの診療所も傾きかけ、その開業資金というのも家財道具一式を質にかけたり銀行の融資を受けた上でのものだったから、ある年の瀬にいよいよ首が回らなくなってしまったのだ。

 病気で三途の川ならぬテムズ川の向こうとこちらを逝ったりきたりの母親、身重の妻、いつまで待っても来ない患者とその財布。患者十人で三日分の家賃をようやく賄える。その日の長雨は脚の傷に障るからと予定を変更した患者全員が、泥道を掻き分け無理やり訪ねて来てくれたところで、彼の運命は変わらなかっただろう。

 さて、馬車に乗る金も惜しいが歩く気力も底をついた。駅に着けば田舎を目指して汽車一直線、その後は人気のない山道を歩きながら息も絶え絶えに、自分の体重で折れる心配のない太い枝を探すのだ。話はすでに佳境に入っていて、結論から言えば彼は死なずに済んだ。

 慎重に選んだはずの木は樹齢百年で腐っていたし、落ちた彼の尻の下敷きになった気の毒な兎は骨折していたし、放っておくのもなんだからと安宿に行けば身寄りのない貴婦人が彼にいたく御執心で、先の展開に少しは希望が持てたからだ。

 赤ん坊も無事産まれ、診療所のほうも繁盛し始めた。何が言いたかったかといえば、患者が一人も来なくなっても君の体重を支える枝の一つや二つあるのだから、先のことは心配するなという話さ。

 心は広く、腹回りは細くしておきたまえ。

  ホームズ』



『前略

 ホームズさま


 夫の早合点ときたら、朝刊に流行りのスコーンの焼き方の記事や、犬のお葬式の記事が載っただけで犯罪者からの暗号だと騒ぎだすくらいなので困っています。

 フランスくだりじゃ若禿の紳士が変装ごっこで追いかけて来ないとも限らないので、新婚旅行には不向きだと再三説得しましたのに、夫は今朝届いた手紙の数行を読んだだけで汽車に飛び乗ってしまいました。

 とても楽しい架空のお話、興味深く読ませていただきました。開業資金は先祖の遺産――夫の創作ではなかったことになりましたけど――で賄えますので、うちとは関係ありませんわね。

ところで二つほど疑問点が。お母様と兎はどうなったのでしょう?


  メアリー・ワトスン』


 新婚旅行先で置いてきぼりをくらい早々に荷造りを始めたミセス・ワトスンは電報を受け取った。


『ウサギテリーヌ ハハオヤカベノナカ SH』


 翌月別居中の妻の机からそれを発見した夫は『母親が料理され壁から兎の鳴き声がする猟奇殺人事件』を描いたことで世間から盗作作家と罵られ、泣きついた先の友人からも「兎は滅多なことでは鳴かない。創作許可を出してない個人の文面及び人物を主役に僕の名声を落とした」という理不尽な理由で結局縁を切られたりしたとかしないとか。



 探偵との思い出。



End.
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