探偵の感動的発言


「全員フランス人女性なんですよ」

 夕食の時間まで居座ったレストレードが言った。

「夜間の叫び声を聞きつけて家政婦が巡回中の警察官に通報。女性は裸で下腹部が血まみれ。剃刀を持った男を傷害事件の犯人として逮捕。ここ数ヶ月で何件も同じようなことが」

「逮捕されたのは夫かい?」

「侍女やの使い走りや年老いた執事の場合もあります。全くの無人で行われた犯行の場合も!」

 不思議な事件だ。パイプ三服ではちっとも足りない。私は必死で手がかりはないかとレストレードに詰め寄った。

 婦人は死んでいない、そろそろ国内でも被害者が出ている、伝染病の類いではない。内容を聞けば聞くほど謎は深まる。ただおかしなことに、隣に座るワトスンが一言も口を利かないのだ。

「ワトスン。何か心当たりでもあるのか」

「……ホームズ」

 彼が言い淀むのは珍しくない。くっ、と何かを噛み締めるような声に気がついて、なに食わぬ顔でプディングの鰻をつつくレストレードを私は睨んだ。


 ――嵌められた。


「下の」直接的な言葉を控えるには喩えが必要だった。「そうだな。モジャモジャ」

 一瞬の沈黙。「なんですって?」

 妙な間のおかげで椅子の座りが悪くなった。気を取り直して腕を組む。相棒が書いた隠喩はなんだったか――小遣い稼ぎの軽い読み物に謎の言い回しがあったような。

「妖精の守り人?」

 この暗号を解くのに五日かかったことを思い出す。見てみろ。案の定、目の前の小さなネズミが難関な語句に身をすくませている。ワトスンは微動だにしない。

 次はわかるだろうと机の上にある蜂の標本を両手で示した。

「あるいは女王の影武者」

 こんなときでも観客の目を気にして効果的に見せねばならないのだから、物語に毎月登場する自分と同名の男はもっと苦労しているはずだ。

「秘密の花園!」

 しかし芝居がかった仕草もたった二人の観客に感銘を与えることはできなかった。思いつく限りの表現を駆使する。

「黒猫には触れるなと祖母も言っていた。奴らは途端に噛みつくんだ。黒馬車に乗り込みたいなら大人しくしてろ。紳士をぎゅうぎゅうに苦しめる! ほら、もう出るだろう?」

 抜き忘れた鼻毛をぴくぴくさせるばかりの愚鈍な頭に苛立つ。謎解きの時間は過ぎたぞ。

「つまりだね。茂みの話なんだろう」

「茂み? どういった場所の? ロンドンの公園内ですか? 黒猫の手触りが重要なんでしょう? 黒馬車には屈強な男一人しか乗れないに違いませんな!」

 手帳に走り書きしながらの矢継ぎ早の問いかけに天井を仰いだ。察しが悪すぎる。適切な言葉を探す努力から一刻も早く解放されたい。

 助けを求めている風に見えたのか、ワトスンが明後日の方向を眺めながら言った。

「レストレード。君が夜の営みで奥さんに熱いキスをする場所のことを言ってるんじゃないかな」

 完璧だ! 私は気を取り直して咳払いした。

「蝋燭の明かりだけで剃刀を入れるには躊躇する。茂みを完璧に剪定するには誰かの手と目が必要だった。つまり――」

 全てを言い終える前に、部屋中に笑いが弾ける。お馴染みの演出を遮られたことに憮然とすると、不意に事実を思い出して溜め息が漏れた。

「からかうにもほどがある」

「し、失礼」レストレードは息も絶え絶えだった。「知らん顔をするのも骨が折れた。ドクターの言い方がまた……!」

 抑えきれずに笑いこける。ついには腹を抱えるので脚を蹴った。痛い痛いと椅子の中で暴れる。

「なんだい。はっきり言ったほうが良かったのかね」

 たいした事件でもなかった残念さに加えて、やり場のない怒りが沸き起こる。足先で悶える男の脛を集中的に痛めつけるとワトスンの静止が入った。

「ホームズ。警部が笑っている理由は君が言い淀んだ言葉についてじゃない。僕でさえ最初の前提で気づいた事実に、君が全く思い至らなかったことだよ」

「――」

 言葉もない私を前に、レストレードが膝頭を靴底で蹴り返してきた。ワトスンが顔を歪ませてその場に崩れる。真顔でよくも。

「フランスで剃るのが流行っていますからね。衛生面でも、女性の大事な部分のカーテンの柄は重要なんですよ!」

「酒場の艶噺としては有名じゃないか……」

「猥談の得意な色男のフリをする場合もあるでしょうに」

「言い回しが古風すぎて口説けないだろうなぁ!」

 申し訳程度のノックをしてドアを開けたハドスン夫人が、中の喧騒に驚いて盆を落としかけた。椅子の背と床をそれぞれ叩く愚かな男たちに構わず、こっちに飲み物をくれと催促する。

 たまには結論にたどり着くのが遅くなる場合もある。一部の隠語に対して叙情的な言葉だけを使うように躾けられたら尚更だ。

 そのほとんどが兄の仕業である。

 パイプの煙が漂うに任せて、遠くを見つめた。物語の自分は如何なる場合であっても自身の手で幕を引くだろう。架空の人間に負けてはたまらない。

「親愛なる友人諸君。この話は『陰毛事件』として君たちの心の日記帳にだけ――」

 ポットの割れる音で心に誓った。女性を扱う事件と、状況にあった言葉を選ぶのは全てワトスンに任せようと。



 探偵の感動的発言。



End.
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