探偵の切望的願望
午後の香りはいつもと違った。別室の隅で風呂に入っている。泡立つ水が濁り冷えていくのを、気にもとめずにまた使って首筋を洗っていた。
「何を見ているんだ」
ホームズは開いたドアを背にして立つ私に苦笑する。いや、別にと言えば、どうせなら背中を流せと要求してくる。「誘っているのかい」
うんざりしたように頭を振った。髪が傷むから塩で洗うのはやめろと注意する。
「そこの石鹸を」
「いやだ。濡れるだろう」
「ワトスン――」
「お願いされたら別だよ」
照れ笑いで応えてくれることを望んだのだが、泡立ちの悪くなった海綿で胸元を擦った。見たところ毛が一本もないので、不審に思って眉を潜める。
「それはどうした。腕も脚もつるつるじゃないか」
「石鹸を……」
「ホームズ。普段なら君の勝ちだ。服を上下に着込んで事件があり生理現象もないときなら。しかし裸のときは言うことを聞いたほうがいい」
「調査のためだ。――裸でも君に負ける気がしない」
私は苛立ちを押さえた。反論は聞き出したいことを聞いてからにすべきだ。
「何の調査だね」
「観察。推理だよ、ワトスン。いつも言っているだろう」
「男だな」
何を馬鹿なと睨みつける。私の知る限りホームズに男でも女でも相手がいたことはないが、事件のためなら考えられた。
「寒い。それでなくても水風呂なんだ。風邪を引きたくない」
「どんな奴だい」
「ワトスン。君の拳銃の出る幕じゃない」
上着を脱げば、一瞬肩を揺らした。「もちろん下の拳銃もだ」
「背中を流してやろう」
「見られたら――」
大きくくしゃみをする。その間に腕をまくりあげた。滑らぬよう足を運んで海綿を奪い取り、背中を向かせる。
ため息で応えた。
「青白いぞ、ホームズ」
「寒いと言ったろう。返してくれ」
「君は不死身だ。ほら、早く」
仕事を間に挟むと、性的なことは全くできない。終わった後は別だ。
後ろから回した手を掴まれた。
「背中を頼むよ」
広い肩に腕を回して引き寄せた。泡立ちの悪い海綿を水につけるふりで、股間まで下げる。
ワトスンと囁いて、どちらの手も握った。ぎゅうと絞れば痛みで喘ぐ。
「……ッ! よせ」
「君の手法を真似よう。ここの毛以外剃刀を当てている。腕や胸や脚はもちろん、襟足の毛もない」
「散髪に行ったのだ」
海綿を放し直接握った。横目にうっすらと涙が浮かぶ。上気していた肌はすっかり色を失っていたが、優しく撫でると微かに色づいた。
「君が先に口を開くのはおかしい。さては僕を欺くつもりで、下の毛は残したのか」
「どこへ行ったと思ってるのか知らないが……うっ」
追い詰めるためではなく、緩やかな刺激で吐かせる風に出た。縮こまる足指がぬめりを帯びた湯を蹴る。寒さで身震いする隙を私は見逃さなかった。
「ん。あっ」
開いた口に後ろから舌先を入れる。強いキスを望んでいるのはわかったが、手の動きを鈍らせれば抵抗は小さくなった。
「ワトスン」
「続きをして欲しいなら」
「交換条件は呑まない」
私の首に手をかけて、喉仏の窪みにくちづけた。吸い付くのに任せて抱き合う。水音を立てないように扱くと、濡れたシャツが腕に張り付いた。
「ふッ、ン」
小刻みに腰を上下させ、浅はかに快楽の淵をさ迷い始めた。俯く額をベストに押しあてる。ん、と小さく呻き私の目を見た。
「……ッ、ぁト」
「昨日は生えてた」
しつこいぞ、と含み笑いをする。散々撫で回してもそれ以上には反応しない。私の目論みに気づいて、頭で素数でも数えているのだろう。
完全に冷静さを取り戻す前に、海綿で胸を擦りあげた。無毛で過敏になった場所が一瞬赤く染まる。
「――う。あ」
「もっといい声を出せないのかい」
「嫉妬深いのは結構だよ。ただし予定を忘れるな。明日は依頼で」
「明日は。じゃあ、今日は?」
少し黙って、ため息をつく。毛を剃った理由は君だと呟いた。意味が理解できない。
「ワトスン、本気で君以外を相手に危ない橋を渡ると思うのかい」
「女装趣味か、夜の集まりかと」
「ペチコートはともかく、特注のコルセットを僕一人で着られると考えたのか」
夜の集まりのほうはもっと厄介だ、毛があったほうがモテると言った。
――つまり、その方面の場所へ行ったことがあると、暗に認めたことになる。
「あ、やめろ! 待」
危機感のない様に苛立ち、脇に手を入れて引きずり出した。暴れた際の水音を気にするあまり、それ以上に抵抗できない。
泡立ったままの体を拭き、半勃ちで揺れている箇所を無視して脇を上げさせた。そこだけ密集している。
「抱くときに、少しでも」
ぽつりと言った先はわからない。言いにくそうにして視線を逸らした。
「君に女性の真似をして貰いたいと思ったことはないよ」
「言わないことのほうが問題なのだ。こういう――関係には」
どういう意味だ、と聞き返す。口を割らないので膝をついた。
拒絶するように閉じかけたバスローブの前を開き、唇を這わせる。ふん、ん、と鼻で息を吐いた。腹筋が上下するのを目線で追いながら、舌先に乗せれば完全に勃ち上がった。
「ワト……スン!」
「黙って」
先を軽く噛んだだけで目をつぶり膝を折った。前のめりになる上半身を咄嗟に抱き寄せ、お互い床に座り込む。
残りは手で扱いた。自分のモノを処理するのと変わらない、呆気ないやり口で。
「あ……ッ、んん」
普通の男は余韻を残さない。抱かれる側の絶え間無い波を知っている者だけが、物足りなさに唇を舐めるのだ。快楽をさ迷っていても別のことを考えている。
終わりが来る日を。
私が離れる日のことを。
飽くまで続けると話したことを。
私は遊びにつき合ってるのだと、彼は考えていた。事件にしても、他のことについても。
ずっと長い間。
そうして自分をごまかして、浅い恋愛観の――おそらく本か何かで得た知識、あるいは本物の男色家にからかわれた内容に躍らされていたのだ。
「君も」
余裕などない癖に、冷静さを装うのが得意な探偵の顔で、手を伸ばしてくる。
掴んで指先にくちづけた。愚かな君が少し可愛い。
探偵の切望的願望。
End.
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