探偵の絶望的体力
やや太り始めた私を見兼ねて、ホームズが言った。
「誕生日には仕立て屋に行こう」
「なに? ああ、気を遣わなくて構わんよ」
執筆作業に気を取られ、後ろを振り向きもせずにひらひらと手を振った。ヴァイオリンの音が途絶えたと思ったら、そんなことを考えていたのか。
「ワトスン」
「もともと日付に関心が薄いんだ。先月号はどこを間違えたのだっけ? ……っ」
首にかかった圧力にぐぅと息を詰める。頭を巡らせば眉を潜めたホームズが抱き着いていた。
弦の先で鼻をくすぐられる。
「弾け飛んだボタンの数なら当てられる」
「なぜ知っているんだ」
「老眼鏡が手放せなくなっているハドスン夫人に、難儀を強いるのは見過ごせないね」
「――これでも少しずつ外側へずらしてくれているんだが」
ホームズは膨らんだ私の腹を一瞥して、はち切れる寸前で引っ掛かっているボタンにため息をついた。
「どおりで重いわけだ」
「毎日公園を散歩してる。食事内容だって変えてる!」
「買い食い癖を直すのが先だよ。いつまでジャムをつけているつもりだい」
唇の端にちうと吸い付いた。舌先で取った分を押し込んでくるので、絡めて奪う。逃げられぬよう片手で腕を押さえた。濃厚な味のどちらが欲しいのか、ちょっと悩むほどに甘い。
のしかかる躯が背中越しに揺れたので、離れて濡れた唇を眺めた。眦尻が赤らんでいる。
「四六時中そうしてくれたら、口寂しくない」
「おしゃぶりが欲しいのかい」
「特製のが」
頑丈な机に座らせても、抗議はしなかった。あっさり原稿を床に払い落としたのが、機嫌のよさの秘訣に違いない。楽器は脇の椅子に置かせた。
下半身を剥いている間に、メイドが掃除をするかと部屋の外から聞いてくる。ぎくりとした私の唇にもう一度口づけをして、ホームズが言った。
「間に合ってるからしばらく近づくな。床が落ちても知らないぞ」
返事もそこそこに足音が遠ざかる。私は手を止めた。
「あんなことを言ったら、上を気にするだろう」
「どんな物音が聞こえても爆発までのカウントダウンとしか思えないさ。まあ適当な理由をつけて二時間くらい離れるだろうが」
お使いに出かけてきますと一階で叫ぶ声に、ふふんと笑う。ハドスン夫人は隣町のお茶会だ。
「ペテン師め」
「なんとでも」
上着を脱ごうとするのを押さえると、不満そうに鼻を鳴らした。しかし下腹部を直接撫で下ろすと文句をつけない。興奮して余裕なく息を切らせ始める。
「まだ第一段階だ。落ち着きたまえ」
「君が次に何をするのか、最近はわかるようになってきた。煽る台詞も考えやすいね。火傷するからミルクはまだ駄目だ、ボーイ」
「冷めるまで待ってもいいのかい」
もう煮え滾っているから早くしたまえと自分で出した。積極さと裏腹に、羞恥心から壁を見ている。狭い場所から解放されたモノは、すっかり色を変えて誘っていた。
「哺乳瓶にしては大きい」
「……ッン。特製おしゃぶりだと言ったろう」
「そうだった。腹は空いてないんだ、マンマ。小さいおしゃぶりはどこだ」
「あ……ぁ……!」
ベストのボタンだけを外し、脱がせないまま胸元を探った。汗で張り付いたシャツの下で、突き出た突起が微かに浮き出ている。
「ワトスン。そっちは後で」
「予測がつくんだろう。もっとよく考えて」
「しゃ、しゃぶるなら……ちゃんと二つ」
母親失格の罰だと言えば、その例えはよせ、と身を硬くした。ホームズの女嫌いは――母親に関してなのかもしれないと思う。
謝る代わりに舌を絡めた。ほったらかしにせずもう片方を抓る。乳首の感覚よりも、シャツ越しに背中を回ってきた右手が気になるらしい。びくびくと震えて頭を抱えられた。
「ぁ……っ……あ……」
唇で挟み吸い付く度に、それ以上を求めて机から躯を浮かせる。長い脚は床に簡単つくから、踏ん張りやすいのだ。
それに気づいて口を離した。顔で彼の胸を壁にまで押しやる。大きめの書き物机はオーク材でできており、丈夫なだけでなく表面が滑らかだった。
次にここで書くと彼の匂いを思い出すだろう。聖域を汚すのは彼だけだ。
「ワ……ト、スン!」
「このおしゃぶりは面白いな。上を吸ったら下から出るのか」
「ふ……んん。や……めっ」
放置していたペニスを包めば、くちゅと音を立てた。やめていいのかと聞いても、顔色を見られないように顎を引くばかりだ。
あおりの角度は役得が多い。もし私の身長がホームズより高ければ、彼はいくらでも上手に表情を隠しただろう。
実際は他の誰も知らない彼の顔を、何百通りも見つけることができるのだ。
解決に失敗して悔しいときの顔。
犯人の足取りを抑えて微笑む顔。
周囲の褒め言葉に照れて俯いた顔――。
最後だけイラッとした。
「ホームズ。レストレードは手の届く距離に近づけるな」
「な……ぜ?」
「僕と同じか、より小さい男は全員だ。首にかぶりつける奴は皆だ。いいかい」
大きくてはもっと駄目だと気づいた。一度この男の可愛い部分に庇護欲を燃せば、どのタイプも敵に思える。
私は椅子から立ち上がった。机に座らせていれば、ちょうどホームズと逆の高さで彼が見える。改めて気を引き締めた。
「首を傾げるのも反則だ」
「……っ」
耳元に口づけると、握った場所が勢いで跳ねる。扱きつつ首筋を伝い、上下する喉仏を軽く噛みながら囁いた。
「つ……ッ」
「まだだよ。渇いているのは喉だから」
ホームズのタイを口で引っ張った。先から溢れる汁の量が増え、指をゆっくりと動かす。
喘ぐ声が静かになり、もっと強い刺激を欲して彼の手がさ迷った。
「……早く」
「こんなに液漏れする哺乳瓶は不良品だ――味によっては突っ返さないと」
「それは、自信が」
竿を支えて少し啜る。「苦い。インドの香辛料で鍛えた舌には美味だな」
どんな赤子だと苦情を言ってきたので、そのままくわえた。弓なりになった躯が出すのを堪えて硬直する。
吸い上げれば口腔を生暖かい液体が流れた。飲み込む音にホームズが離れようとするが、剥き出しの太股を一撫でして遮った。
「んん……! ぅん!」
徐々に腰が振動して、頭を揺らすと両手で掴む。「ワトスン。い、イ、イッ……いいっ」
伸ばした手先で胸を探ったが、ホームズの手がシャツを下から捲り上げて直接触れさせた。
目線を上げれば生理的な涙を零し、緩やかな愛撫に焦れて私の手で自らの胸を揉む。筋肉質で弾力のある皮膚が押し返した。
射精前の脈を感じると、しゃぶらずに舌で舐めた。
「あ……なに……」
「哺乳瓶じゃなくおしゃぶりが欲しいと言ったんだよ」
「……ッ出るか出ないかの差だけだろう!」
「大いに問題だね」
中腰で机の端に手をついた。同じ目線で見つめ合い微笑む。ホームズは親指で目元を拭ったが、もじもじとしてため息をついた。
「我慢、しよう」
「もう一声」
「……ワトスン、君の言うとおり、おしゃぶりはミルクを出さない」
「出したらそれはおしゃぶりではない。論理的だろう?」
シャツのボタンを上から外し、染まった肌を舐め上げて口に含む。こっち? と聞いても首を振り、反対を食べれば肩をぐいと押しやられた。
「ふぁ……っ、ぁっ」
「上は甘い」
「うず、くっ」 脚の際を触ると、彼は片手で顔を覆って屈服した。「もっと下を、しゃぶってくれ!」
木の縁を持ったまま床に膝をつき、裏筋を先まで一気に舐める。ホームズは堪えた。歯を食いしばるのが指の間から見える。
「ベタベタだ」
「君が。舐めたせい、だ」
どれ、と玉を触りながら先を吸った。亀頭だけを口の中で転がすように出し入れしつつ、悶えながら机の物を落とす男を見守る。
扱けば出るのが摂理だ。しかしこの敏感な器官だけは違う。持ち手は添えるだけにして、反対の手の平の真ん中でやんわり回した。
「……! い……っ」
「痛いかい」
「な……なん、だい」
「したことがないのか――自分じゃ加減してしまうからな」
刺激が強すぎるが故に、多少の痛みを伴うことを知っていた。引き出しを開けて、火傷専用の消毒油をペニスに垂らした。
「ワトス、ン?」
じっくり練り込んでもう一度やり直した。優しくこねるがホームズの脚が閉じかける。充分に開かせて、決して陰茎は握らぬようにした。
「ああッ……ンッ……!」
「呼吸をして」
「む……無理……だッ」
「いいだろう? 覚えておくといい。一人のときは、こんな方法も」
射精感はないはずだ。快楽だけが無限に増す。一人遊びを編み出すか、男を相手に励むしかない軍隊で学んだ。
ホームズは叫び声も上げず、高まるばかりの轟きに目を見開いた。次第に嗚咽を漏らし、飲み込み損ねた唾液が糸を引きそうになるのを掬い、唇を合わせる。
「ん……んぁっ……あぅっ」
「息をして。そう――ゆっくりと」
吐息を吐き出す都度、水晶球に魔法をかけるように回した。しがみつこうとする腕に寄り添う。
際限なく続く悦びを教えてみたが、予想よりもたなかった。
「――ッ……ッ!」
悶絶の悲鳴は声にならない。約束どおり射精はしなかったものの――そちらの刺激を促すやり方ではないのだ――、ほんの少し垂らして彼は失神した。
一人で行うと、だらし無く弛緩した姿を誰に見られるかわからない。やり過ぎたかな、と頬を軽く叩いて躯を持ち上げベッドに運ぼうとしたが。
重すぎだと言われた理由に気づき、痩せるまで禁欲生活をするかと諦めた。
不良品のおしゃぶりをいたぶるのは、また次だ。極太の哺乳瓶を、果たしてどちらの口で呑んで貰うかは――相談の上にしよう。
探偵の絶望的体力。
End.
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