探偵の欲望的夕方
徹夜明けの夕暮れに、軽く睡眠を取っただけで叩き起こされた。
私はいろいろ限界の来た躯に鞭打って、またベイカー街の古巣で過ごしていた。彼がそれをありがたいと思っているのかどうか、今だにわからない。
起きてすぐ目の前に見たことのない薄い髪色の紳士が立っている。それがホームズの変装だと気づくのには非常に時間がかかった。いつもより数段上の仕立てだ。どこぞの貴族を真似たものだろうか。胸元に刺したダイヤのピンが脱色したその色と合っていた。
「悪いんだが、君にも来て貰うよ。ワトスン」
「何処へだね?」
「魔の巣窟だ」
意味深な言葉へ惹かれついていけば、単なる上流階級の晩餐会だった。
私は彼の手によって髪を撫でつけられ、眼鏡と派手な色のタイを結ばれただけの簡単な変装だ。他人の視線は大袈裟な身振りの口数の多いホームズが持っていった。
事件の手掛かりを捜すためだけの余興と知っていたので気が楽だ。数人の女性に囲まれ、ダンスの相手をする。自分から声をかけたのは一人だった。
壁の華にはもったいない存在感を放つ背の高い女性と、長いやり取りをするうちに――いつの間にかホームズが傍らに立っている。
「情報は得た。帰るぞ、ポワソン君」
その可愛らしい偽名は何だと言いかけて、取られた腕に叫ぶ間もなく建物を出た。宵闇のなか近くの歓楽街を通り抜け、周囲にできた人だかりも気に留めず路地へ入る。
「あそこが何の集まりか理解していたのか――ワトスン」
「婚礼前の火遊び相手を捜すのが目的の場所だろう? 君が二の腕を掴んでるうちは、男からの目配せが絶えなかった」
いいから来い、と眼鏡を取られる。強い力に膝頭をごみ箱にぶつけた。「ホームズ」
首の後ろを引っ張られ、深く喘いだ。唇が割って入り、気づけば熱くなった躯の内側にホームズの手がかかっている。執拗な指の感触に負けて赦してしまう。
「女と寝るのは君の勝手だ。僕の相手も忘れるな」
「忘れちゃいない。現に君の手の中で弾けそうになってる」
考えたこともないと嘘をつくこともできた。だが彼は見破るだろう。豊満な胸には何も感じなかったが、誰かによく似た鷲鼻に見惚れていたのは事実だ。
キスの応酬の合間にタイを奪い取る。まだ人目を引くと気づけば熱は一瞬で冷めたがホームズは違った。
裏道を出ようとする手首を掴み、私を壁際へと追いやる。追い詰められているのは自分だ。――彼は息も荒げなかった。
「早く」
「できない」
「では僕がやろう」
膝をついて私の腰を引き寄せた。路地の陰から歩行者が見える。股間に鼻を擦りつけるのをやめさせようと躯を二つに折った。
扉を開けて派手な恰好の商売女が出てくる。知らん顔で服の上から股倉を掴むホームズと、顔を真っ赤にした私の頭のてっぺんから爪先までを見た。
引きずり出したモノの先に口づけるまでを目に納める。女は失笑してストールを翻し、反対側から路上へ出て行った。
「……っ! ホームズ」
「気にするな」
「ここだと見られる」
「誰も気づきやしないさ」
咥内の生暖かさに反射で頭を押し付け、天を仰いで息を殺した。苦しそうな呻きに構わず上下する。フロックの端が汚泥に浸かっていた。乱れるこめかみを直してやりながら揺らすと、歯が当たって酷く痛む。
辛抱できなくなり後ろ髪を掴んだ。引きはがすと口を開いたまま目を閉じている。荒い息が先走る努張にかかり、私は唾を飲み込んだ。「――後ろを」
素直に立ち上がる上半身を、自分が背にしていた壁に押し付ける。期待に震えて尻が浮き上がった。下だけ手早く脱がせ外套の裾を持たせる。
「ワトスン。ポケットに夕食の」
「パセリの沈んだ深さ、ね」
余計なことをと壁に片手をついた。取り出したバターが溶けて、包み紙が染みている。
自分の亀頭とホームズの足の間に塗り付けた。抗議しようと振り返る唇を後ろから掬い、双丘の間にペニスを差し込む。
「続きは帰ってからだ」
「自分ばかりが――」
口の端を割って入り、舌で口腔を探った。ぬるりとした狭い肌の間で肉棒をうごめかし、触れてもいないが限界を示している前を握る。
少し扱き始めただけで、細かな喘ぎを漏らした。何度も啄むうちに小刻みに頷く。
「まぁ……これも嫌いでは……ッ」
「正直に望めないのかい」
「挿れてしまったほうが、君は楽だろう」
唇を離すと手の甲を噛む。跡に残るからと指を絡ませ再度壁に手をつかせた。上下に絞り上げるのと同時に太股の間を行き来させる。擦り合う睾丸と側面がつけすぎた油脂に塗れて、滑りがよすぎた。
「あッ。ン、ああ」
「声は」
「君が、ヤられる側ならば、この状態のいかに辛いことか……っ」
途切れた声が甘い吐息に変わり、服の端を離して両手をつく。俯いた顔を上げさせようと、シャツのボタンを契って腹の筋肉を下から撫でた。
「ワトスン」
「もっと閉じてくれ。君の脚が好きだ」
暗がりで目には見えず、自分の陰茎を頼りに探り当てた。のめり込ませた指の感触で穴と共に両足が閉じる。男の躯には構造的にきつい内股を難無く熟し、本当は欲しかった場所に挿さる小さな刺激を追っていた。
「そっち、も」
「君を担いで帰るのも、御者にその表情を見せるのも僕は御免だ」
「あ。……ぅ! ア」
強い振動にピンと張った前が熱さを増した。一気に膨らみ私の腕を掴む。反らした首筋に舌を這わせ、イッていいよと促した。
「ト、スン!」
「名前を呼ぶな。誰が見てるか」
「ジョン」
「――ッ、君は」
馬車を呼ぶときさえ使わない。ジャックと叫ぶ隣で依頼人がその名で呼べば、羨ましいのか妬ましいのかわからない目で相手を睨みつけるだけだ。
ジョン、欲しい――と熱に浮かされるように呟く声を聞いた。下を向いたままで見えない。低い声の響きに理性が弾けた。
増やした指を引き抜く。完全に解れる前に分け入って貫くのは容易ではなく、結構な声を上げてもおかしくないのだが一言も文句を言わない。
医療用のスキンを持って来なかったことを悔やんだ。性病との関連はわかっていない――ただ快楽が強すぎるが故に、彼が満足するまで堪えられるか自信がなかった。
「ン。あ、あっ! ……スッン」
「静か、に」
「ん……あ、あっ……!」
遥か昔、女王の奔放な息子に対し、あぶれる世継ぎをむやみに出さぬため豚の腸壁を使ったとされる避妊具――豚か、笑わせる、と無理に笑みを浮かべたが、緊張した腹筋に合わせてホームズが腰を使い始めると、もう役には立たない。
一生懸命別のことへ意識を逸らす内に、硬い己を蕩けさせる場所も、そう離れていない道を行く貴婦人や浮浪児の群れも、全て忘れる。
「ホームズ」
「ッ――!」
ホームズ、と耳元で繰り返した。続けざまに腰を打ち付け、強弱など考えられずにペニスを扱く。射精したのは彼のほうが早かったが、終えてもいつまでも続く後ろからの攻撃で勃ち上がり、啜り泣きにしか聞こえぬ音を発した。
脱力感で壁を挟むと、納めたままの私を軸にしてくずおれそうになる。今夜は一番近い隠れ家で過ごそうと開いた唇を奪い、それはどうかなと首を傾げた。
下宿で押し殺す声の調子をまた耳にしたい。
呼んだことのない名前を囁けば、微かに嗄れた喉を鳴らした。
探偵の欲望的夕方。
End.
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