このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

可愛い子には旅をさせよ

【水曜日】



「いつもお世話になっている貴方たちの為に、ハーブティーを用意したの」
彼女は庭園の白い丸テーブルに腰掛け、優雅に微笑む。彼女の他にテーブルを囲んでいるのは、ベルガー、ホクサイ、89の三人という何とも言えない組み合わせ。少し離れた場所では、兵士に運ばせたグランドピアノで曲を奏でるミカエルの姿もあった。
「ハーブティーって何。美味いの?」
それよりコークがいい、と文句を垂れるベルガーの左足を、彼女のヒールが思いっきり踏んづける。
「ええ、美味しいわ。何たってミカエルに調合させたハーブティーだもの。さ、いただきましょう」
声を押し殺してじたばたと痛みに悶えるベルガーを無視して、彼女はカップを持ち上げる。
「お嬢ちゃんってば卑怯だよ」丸テーブルに頬杖をついたホクサイは、ぶすっとした顔で呟いた。
「お茶会に付き合ってくれなきゃ、マスターに有る事無い事言いつける、なんてさ」
そう言ってプクッと頰を膨らませる。このところ何かの研究に没頭しているようで、実験室から一歩も外に出てこない。昨日は大人しく引き下がったが、今日はそんな彼を無理やり外に引っ張り出して来たのだ。
「ボクちゃん達が束になってノーって声を上げても、君がイエスと囁けば、マスターはそっちを信じるんだから」
「ホクサイの意見に同感」右手にゲーム機を持った89が、左手で持ったカップに口をつけ、忌々しそうに口を開く。「茶会っつーか茶番だろ。これ」
でも茶は美味いな、とぼそりと彼は呟く。ミカエルのハーブティーと聞いてから、89の態度はマイルドだ。やはり友人に気を遣っているのだろうか。こういう細やかな心配りは実に彼らしい。
「ところでどうして、89クンはこの茶番に付き合っているんだい?」ホクサイは頰杖をついたまま、右隣のゲーム廃人に横目で尋ねた。「君は別に、有る事無い事言われても、好きにしろって感じだよね」
「……ゲーム機を隠された」89は一旦右手を止めて、悔しそうに歯軋りをする。「茶会に参加しねぇと、返さねぇなんて言いやがる。だから来た」
「何だそれ! ゲームのやり過ぎで母ちゃんに叱られるガキみてぇ」
彼女に踏まれた足の痛みも忘れ、ベルガーがげらげらと大声で笑い出す。ふぅんとホクサイは素っ気なく相槌を打ち、「バーチャルの何がそんなに楽しいんだい? 知的好奇心はリアルでこそ刺激されるものであって……」などとうんぬん言っている。
何はともあれ和やかな雰囲気のお茶会。決して悪くはないのだが、彼女は残念そうに溜息を吐く。
「やっぱり駄目だわ」どうしてなのかしら、と困った表情で片頬に手を添える。
「私、ファルが休暇をとってから、毎日が退屈で仕方がないの」
「おい。初日に俺の部屋に来て、好き放題荒らし帰ってったお前が何言ってんだ」89はその日を思い出して苛立った声を上げる。
「何それ初耳。聞いてないよお嬢ちゃん?」
「つい昨日、ホクサイのところにも遊びに行ったじゃない。けどおまえ、実験室に篭りっきりで、部屋にも入れてくれなかったわね」
「え、そうだっけ?」とぼけているのか、記憶に無いのか、ホクサイはきょとんとした表情で首を傾げた。
「娘ちゃんがお前らの部屋を訪ねてくるとか奇跡だろ。特にそこのドーテー君」
「んだと」
喧嘩腰で向かいのベルガーをひと睨みする89。ベルガーはべっと思いっきり舌を出して威嚇した。不穏な空気。
まずい。このままでは、無理矢理にでも開いたお茶会が台無しだ。
「ベルガー、貴方。ハーブティーは飲んだの?」彼女はベルガーの気を89から逸らすため、にっこりと笑いながら尋ねた。「美味しいのに。もったいなくてよ」
「いやー、俺さ、猫舌だから。熱い飲み物とか飲めねぇわ」
「今なら丁度良い塩梅よ。もう熱くないわ」
「えー、マジ?」彼女に勧められて興味を持ったのか、イエイと妙なテンションでベルガーはカップを持ち上げる。「ちょっと飲んでみる」
口を付けるや否や、ごくごくと一気に飲み込むベルガー。それはコークの飲み方だ、こいつ全然分かってねぇな、と89は見ていてイラっとした。
「もう、ベルガーったら」カップをソーサーに音も無く置いた彼女が、ふふと可笑しそうに微笑む。
そういえば幼い頃、ハーブティーで彼らに悪戯を仕掛けた事があった。あの頃はまだ89が貴銃士として目覚めていなかったから、試しにもう一度揶揄ってみるのも有りかしら。
「それ、私のおしっこなの」
彼女は長い黒髪をさらりと片耳に掛ける優雅な仕草で、とんでもない事を口にした。
三人の貴銃士に急激に悪寒が走る。
「……おしっこ?」
右手にカップを持ったまま固まって、ホクサイは真っ青な顔で呟く。
「んぶっっっぬ!!!」
ベルガーはカップを持ったまま奇声を上げて椅子から引っ繰り返り、芝生の上を転げ回った後、四つん這いになってオロオロと吐き出した。
「はぁ……」彼女はがっかりしたように溜息を吐き、椅子を押して立ち上がる。
「反応が画一的で全然面白くないわ。誰か斜め上をいくようなリアクションは起こせないのかしら」
おまけに、良い反応を期待していた左隣の89は、至極呆れた表情をしている。全く狼狽えていなかった。
「お前、食べ物で遊ぶんじゃねーよ。つーかこれが小便って……」
見た目がリアルだからやめろ、と89はつい言いかける。
「貴方は騙されないのね。余計に詰まらない」
ミカエルとデートでもしてこよう、と彼女はさっさと歩き去る。あの女、とんでもない爆弾を落として行きやがった。89は苦々しい表情を浮かべ、未だに芝生の上で吐いているベルガーに「汚えよ」と言い放つ。
「89クン。君はどうして、そんなに平然としていられるんだい?」
ホクサイはカップに注がれた液体をじっと見つめる。先ほどまでショックを受けて青ざめていた顔は、今ではすっかり別の興味に目を光らせている。
「お嬢ちゃんは、尿まで良い香りがするんだね。一体あの身体はどうなっているんだろう? 解剖させてもらえないだろうか……」
「テメェら馬鹿だろ」89は脚を組み、カップに口を付けては憮然として答えた。
「これはどう考えても、ミカエル特製ブレンドのハーブティーだ」
89の舌には、馴染み深い味だったようだ。



ミカエルに演奏を中断させ、彼と共に庭園に足を運んだ彼女は言葉を失う。
「どうしたんだい?」彼女の様子がおかしい事を察してか、ミカエルはすぐにそう尋ねた。
「……貴方は、何か感じない?」
「君の様子が変だって事は感じるけれど…。もしかして、花達に何か問題でも?」
何て察しの良い男だ。彼女は彼の洞察力に惚れ惚れするが、いけないと首を横に振る。彼にこの惨事を悟られてはならない。私の女優力が今こそ問われるのだ。
「いいえ、とんでもない。貴方を困らせようと思っただけ。ねえ、びっくりした?」彼女は戯けて笑ってみせる。
「何だ。心臓に悪いね」やめておくれよ、とミカエルは珍しく困惑した様子だ。
「いつ来ても見事な庭園だわ。花達も美しく咲いている。貴方とアインスの愛情がきちんと伝わっている証拠ね」
よくこんな台詞をつらつらと並べられるものだ、と彼女は自身の演技力を自画自賛した。
美しく可憐な庭園の花々は、アインスの好みで赤い色味が多い。それをホクサイが好ましく思っていないのは知っていたが、まさか本当にやらかしてくれるとは……。
彼女にとっても馴染みの深い庭園の花々は、赤い色味の花だけが、鮮やかな青に変化していた。薔薇、サルビア、パンジー、ゼラニューム、カーネーション、チューリップ、ガーベラ。それ以外にも、赤味のある花は多数ある。それらは全て、あの科学者によって無慈悲にも真っ青に染められた。
もともと赤い花が多い庭園だけに、今は全体的に青い。これはこれで美しいものだが、余りにも人工的すぎる青だ。愛が全く感じられない。花達が可哀想に思えた。一体全体、どうやって青くしたのだろう。まさか変な薬品をばら撒いたのではあるまいな。
(……恐ろしい子ね)
彼が夢中になっていた研究は、「庭園の赤い花を丸ごと青くする方法」だったのだ。



ミカエルを騙す事に耐えきれず、彼女は早々に彼とのデートを切り上げる。
茶会の席に戻ると、ホクサイだけはまだ残っていて、彼女が戻ってくると得意げに微笑んだ。
「お嬢ちゃん。庭園はどうだった?」
「絶景ね」彼女は真顔で答える。
「ファルクンが居ないうちに、どうしても完成させたかったんだ〜。あの人がいると、花壇に手出し出来ないからね。間に合って良かったよ〜」そう呑気にあははと笑う。
色々考えたが、彼に悪気は無いはずなので、責めるわけにもいかない。しかし、どうにも気持ちの良いものではない。
「証明完了だよ」
ボクちゃん優秀でしょ、と言う彼の無邪気が、心に痛い。



6/10ページ