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マスターちゃんとホクサイくん

【恋と雷は落ちるもの】



雲の帯電が始まった。
あの中には、上昇気流によって持ち上げられる小さな氷と、重力によって落ちてゆく大きな氷の粒がある。大小の氷の粒はぶつかり、こすれ合い、その摩擦によって静電気が発生する。
忌々しい。
そう眉を顰めるとほぼ同時に、空気の絶縁破壊。
空気中を容易く擦り抜ける大電流。
「光った」
一瞬視界を奪う白い光に、彼女は声を弾ませる。
暫く後には、ごろごろと尾を引く唸り声。
「近いわね」窓に張り付くようにして空を見上げる彼女は、楽しそうに微笑んだ。
「こっちに来るかしら?」
「来るんじゃないかな」
光ってから音が鳴るまでのタイムラグを秒で測り、それに三百四十を掛けてアレとの距離を見極める。もちろん、彼女の問いかけに返事をする事も忘れない。
彼女はアレが好きなのだ。
正気じゃないね、と肩をすくめる。
「ホクサイ。大丈夫?」
窓から目を逸らした彼女が、驚いて目を丸くした。
大丈夫って、一体どうして?
ボクちゃんはいつも通りのはず。
少なくとも、そう見えるように心掛けてはいるのだけれど。
「真っ青よ。怪我でもしたの?」
「……してない」
閃光。
再び空気の絶縁破壊。
ピシャリと弾ける大音響。
「っわ!」彼女が大きな声で脅かす。
「っうわああ!!」みっともなく驚かされる。
やっぱり、と彼女は歯を見せて笑った。
「おまえ雷が怖いのね」
「何言ってるの」バレたか、という様子をなるべく出さぬよう慎重に発音する。
「こんなの、全然怖くないね」
また光った。
ドンと鈍い音の後、バリバリと激しい炸裂音。
「ひっ……」引き攣るような悲鳴を漏らす。今のは結構近かった。
「ふうん」彼女はその瞳を柔和に細めて、楽しそうに広角を持ち上げる。
「マスターちゃんに嘘をつくホクサイくんは、悪い子ね」
さすがに、む、と彼女を睨む。相手の弱みを握って微笑む彼女はひどく意地悪だ。
「ねえ。雷はどうやって落ちるか知ってる?」
窓の縁に寄りかかり、打ちつける雨と暗い空を見つめながら彼女が話す。
そんな事解り切っている、とホクサイは堰を切ったように喋り出した。
「雲の中で発生した静電気が、大地と空の電位差を拡張して、雲のマイナスと大地のプラスの電気が放電する現象。これが落雷」
こうした自然現象について説明するのは、その科学的根拠が明らかであれば容易い事だ。話しながら別の事を考えることだってできる。そう、例えば、思った以上に速度の速い雷雲の今後の進路。できれはこっちに来ないでほしい。
「空気は絶縁体で、これは電気を通さない。だけど、電圧がある一定限度以上になると、絶縁性を失って大電流が流れ込む」
この絶縁破壊により、とさらに理論を展開しようと口を開くも、「つまらない」と素っ気ない返事で塞がれた。
彼女が呆れた目でこちらを見ている。
「女の子に聞かせる話は、もっとロマンチックでなくっちゃ」
ふうん、と興味がなさそうに相槌を打つ。
男はロマンが好き、女はロマンチックが好き、と誰かが言っていた。ロマンとロマンチックは、一体何が違うのか。まずそこからして理解できない。
私がお手本を見せてあげる、と彼女がにっこり微笑んだ。
「例えばね。私がふわふわな雲で、おまえが不器用な雲だとするでしょ? 二つの雲が出会った時、ふわふわな雲が不器用な雲に近づくの」
彼女は窓辺から離れて小走りに近づき、詰め寄って来てはじいっと目を覗き込む。
アーモンド色の瞳。
神秘的な色彩。
この瞳に見つめられると、どんな頼みも断れない。
「不器用な雲は、怖くてびっくりして涙を流す。それが雨になるのよ。ほら泣いて、不器用な雲さん」
「えーん」
言われた通りに泣き真似をした。彼女は面白そうにくすくす肩を揺らして笑う。キミの小さな頃の真似だよ、とは言わないでおいた。
「そしたらね。泣いている不器用な雲を、ふわふわな雲が包み込むの!」
彼女はそう言って腕を広げ、急に胴体にしがみ付く。
泣き声が止んだ。
息も止まった。
瞬きを忘れる。
受け止めきれずに差し出した両腕が行き場を失う。
ふわふわな雲だ。
柔らかくて、掴みどころがない。
「そうして、恋の火花が散る」
彼女に抱きしめられたまま、顔を見上げられる。ご丁寧にバチバチッと口で効果音を付け足していた。悪戯な微笑み。
「これが、雷の正体よ」
通常、空気は絶縁体だ。
これは電気を通さない。
でも、電圧が増して一定限度以上になると、空気は突然、絶縁性を失う。
流れる電気が恋の火花。
放電のエネルギーで熱せられた空気のように、首から上が熱い。
きっと、たぶん、これがそう。
「……雷落ちたね」
「えっ?」彼女はやっと身体を離して、窓の外に目をやった。
「どこに?」
キミが落としたんじゃないか、と言いたかった。





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