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マスターちゃんとホクサイくん

【 x²+(y-√|x|)²=1 】



隔週で行われる貴銃士とマスターの会合は、議長を務めるファルによって恙無く進んでいた。
ホワイトボードの前に立ち、淡々と議題を述べていくファル。その整った顔立ちを眺めて、彼女はほうっと息をつく。やはりあの容貌は一級品だ。いつ何時眺めても、飽きることはない。
コの字型に整列した会議室の長机。進行役の眼鏡男からふっと視線を逸らせば、真向かいの席に座っているきゅるちゅと、ばちりと目が合う。

『おねーちゃん、好き♡』

きゅるちゅは口パクでそう伝え、ぱちんと器用にウインクをした。ハートが飛んできそうな見事な仕草に、ふふっと彼女は頰を緩める。

『私も♡』

お返しに口パクで応え、きゅるちゅと同じようにウインクを飛ばしてみせる。すると、きゅるちゅの右隣に座っていたナインティが、さっと両手でハートマークを作ってくれた。ファルはアインスと意見を交わしていたため、この一連の流れは彼に気づかれていない。
アインスとの意見交換を終え、ファルがホワイトボードに向き直ったところで、彼女はナインティに向かって両手でハートマークを送る。
互いに頃合いを見計らい、無言で好意を伝え合う。ファルの目を出し抜いて行うのだから、スリルもあって楽しい。
マスターときゅるちゅ、ナインティの戯れ合いを眺めて、89とゴーストは呆れた顔をしている。ベルガーは、自分も参加したそうにソワソワしていた。そんなベルガーを横目に、ラブワンは面白そうにニヤニヤと笑っている。向かいでは、兄を窘めるように睨みつけるライクツー。その隣で、「よくやるわよねぇ」とでも言うように、エフが肩をすくめていた。ミカエルは場の雰囲気を感じとり、その唇に優雅な微笑みを浮かべている。
「…………」
マスターの左隣に座り、くるくると手元のボールペンを回しながら、ホクサイは無言で三人の遊びを眺めていた。ふと、三色ボールペンの青色をノックして、さらさらと何かを書き始める。
彼女がベルガーに投げキッスを送ろうとしたところで、隣のホクサイにちょんちょんと肘を突かれた。顔を向けると、すっと小さな紙切れを差し出される。手紙だろうかと受け取り、目を通した。

【 x²+(y-√|x|)²=1 】

「…………?」
彼女の頭の中で、盛大に疑問符が飛び交った。
困惑しながら隣のホクサイを見つめると、彼は「どうだ」と言わんばかりに、得意げな表情を浮かべている。「これどういう意味?」と尋ねるのが憚られるほど、自信に満ちた表情だ。
彼女は、再びメモに視線を落とす。青いペンで走り書きされたその数式を、まじまじと見つめる。もしやこれは、解を求められているのだろうか。いやしかし、式の末尾にイコールがある。「 x²+(y-√|x|)² 」という式の解が「 1 」なのだろう。完結している。意味が分からない。

【 ダイイングメッセージ? 】

彼女は数式の下にそう書き加えて、メモをホクサイへ突き返す。普通の人間なら、こんな難しい数式を死に際に書いたりしないだろうが。

【 勝手に殺さないでくれよ 】

ホクサイが不貞腐れた表情でごりごりとメモに書き込んでいると、背後から忍び寄るスーツの影。
「何馬鹿なことやってるんです?」
二人のやりとりが記されたメモを掠め取り、ファルは丸めた資料でホクサイの頭をポカリと叩いた。



「今日の議題を覚えておいでで? マスター」
会合を終え、貴銃士たちが出払った会議室。
ファルは備品のノートパソコンを起動し、議事録を作成していた。モーゼルへ提出するためである。彼は秘書官として世界帝に付きっきりのため、会合には参加しない。
「ごめんなさい。全然聞いてなかったわ」会議室に残っていた彼女は、正直に告白する。「貴方の顔が良すぎるせいね」
「どうもすみません」タイピングを続けながら、しれっと応えるファル。キーボードを叩く音が軽やかに響く。「私がイケメン過ぎるばかりに……。面目ない」
「貴方、本当に可愛げがないんだから」
彼女は頬杖をつき、はあと深い溜め息をつく。宙を見上げて、二人の美少年の愛くるしい仕草を思い出していた。
「きゅるちゅやナインティは、あんなに可愛いのに」
「ああ。例の下らないジェスチャーゲームのことですか」
ファルの眼鏡が、液晶の光を冷たく反射している。先ほどの秘密の遊戯も、全てお見通しだったわけだ。彼のこういった隙のないところは、優秀だが手に余る。
「ところで、マスターは関数グラフをご存知ですか?」
「x軸とy軸の?」確か、斜線や放射線状のグラフだった筈だ。かつて数学で学んだ記憶はあるが、内容までは覚えていない。彼女は怪訝な顔になる。「それが何?」
「ホクサイがメモに記している、この数式が気になりましてね。グラフ作成ツールで試してみたのですが……」
ファルは、ホクサイから掠め取った例のメモを取り出して、「お返しします」と彼女に差し出す。
「まさか、これが関数グラフの式だと言うの?」メモを受け取り、彼女は眉間に皺を寄せる。
「そのまさかです」やれやれとファルは肩をすくめて、パソコンの液晶を彼女に向けた。「ご覧の通り」
関数グラフは、斜線と放射線状の線画の筈だ。
しかし、ファルがグラフ作成ツールで作ったというそれは、座標にハート型の図形が描かれている。数式を入力する項目には、ホクサイがメモに書き出したそれが、正確に打ち込まれていた。
「嘘でしょう」グラフを食い入るように見つめ、彼女は目を丸くする。開いた口が塞がらないとは、まさにこの事だ。「これ、バグじゃないわよね?」
「グラフツールは正常です」ファルが答える。
彼女は、青いペンで走り書きされたその数式を、まじまじと見つめる。
きゅるちゅは口パクとウインクで、彼女にハートを送っていた。
口のきけないナインティは、両手でハートマークを作っていた。
そうしてホクサイは、数式でハートマークを作っていたのだ。
「なんて頭の良い子なのかしら……」
英才教育を施した息子を賞賛するような声音で、彼女は囁く。彼はペンを回しながら、関数グラフでハートマークを描くための数式を、頭の中だけで弾き出したのだ。
その驚異的な才能に、ははあ、とファルは唸りを上げていた。
「器用なんだか、不器用なんだか。よく分からない方ですねぇ」



「なにそれキモ。数学お化けじゃん」
後日、ハート型の関数グラフの件をマスターから聞いたライクツーは、無感動にそう言い放った。
この一言が現代銃たちの間で流行り、ホクサイのあだ名はしばらく「数学お化け」になったという。





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