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マスターちゃんとホクサイくん

【古銃の真似事】



「行かないで」
アインスが壊れてなくなった時、私はこの言葉で引き止めなかったことを今でも後悔している。
つまらない見栄で自分を飾って、強かな女だと好ましく思われたかったのだ。なんて愚かな思考回路。壊れてなくなってしまっては、意味がないのに。
あんな後悔は二度と御免だから、今度の私は躊躇わなかった。
「お願い」返答がなく不安になり、繰り返した。「行かないで」
「キミ壊れちゃったの?」
ベッドの端に腰かけて、ブーツの靴紐を結びながら、ホクサイは笑った。
「マスター、そんな事言う柄じゃないのにさ〜」
彼の背中を、穴が開くほど見つめていた。行かせるものかと、力いっぱい抱きしめたかった。私には、そんな力もない。腰から下が、もう動かない。このベッドから動けない。
「私が死ぬところを見たいでしょう?」我ながら、凄まじい台詞だと思う。頭がおかしくなったと思われても、仕方がない。「おまえが教えてくれたのよ。死は、青い光を放つのよね。私の青い光、見たくない?」
「きっと綺麗だろうね」反対側のブーツの靴紐をぎゅっと縛って、ホクサイは呟いた。
「ここで一緒に朽ちましょう」私は言った。
「あは! 凄い台詞だ」いつも通りに戯けてみせて、彼が振り向く。笑っていた。
薄情な笑顔を、私は無言で見つめ返す。
「……行かないで」
ゆっくりと、慎重に発音した。
三度目の正直に全てを賭けた。
「もう行くよ」ホクサイは立ち上がり、手近に立て掛けてあった本体を持ち上げては、きっぱりと言いきる。「あの人の命令だからね」
彼の薄情を、私は内心で呪ってやった。
アインスやゴーストなら、私が望めば、この願いを聞き入れてくれただろう。城に籠もり、最期まで私の側に仕えてくれただろう。それに比べてホクサイは、私の言うことなんて全然聞いてくれない。御構い無しだ。
「おまえも私を置いて行くのね」
ぎゅっと毛布を握りしめて、私はぼそりと言ってやった。目に涙が溜まるのを自覚した。
「別に心配しなくていいよ〜」泣き出しそうな私の心中を察してか、ホクサイは呑気な声で応える。「ボクちゃん、一度死んでみたいと思ってたし」
『死んでみたい』という彼の言葉が、私の喉を詰まらせた。
彼も自覚しているのだ。
戦場に向かえば、この城に戻れない。私とは、二度と会えない。今の私には、貴銃士を癒すことも、召銃することも不可能だ。それほどまでに消耗してしまった。だから、戦いに身を投じることは、死と直結する。それを知っていても尚、彼は「行く」と、つまり「死ぬ」と言い張るのだ。
「自己犠牲だなんて。らしくないわよ」
「そういう台詞は、キミらしいよ」
本体を肩に担いだ彼は、うんうんと満足げに頷いた。
何を言っても無駄だった。
「さよなら。マスター」
コツコツとブーツの音を響かせて、彼はドアへと向かっていく。こんなお別れの挨拶、あまりにも呆気ない。
「行かないで……」
涙を堪えて、私は言った。絞り出した声は掠れていて、鼻がつんとした。こんな涙声で彼の気を引こうとするなんて。この私も、いよいよ狡い女に成り下がった。
「…………」
ドアノブに手をかけたところで、彼の動きがぴたりと止まった。
そのままくるりと向きを変え、つかつかとベッドへ歩み寄ってくる。
「ホクサイ?」私は驚いて、涙も引っ込んでしまった。
あれほど頑なに言い張っていたのに、急にどうしたのだろう。気が変わったのだろうか。
何でもいい。
「側にいてくれるのね……!」
彼が戻ってきてくれて、私の心は晴れやかになる。
嬉しくなって抱きとめようと、手を伸ばす。
「マスター」
ホクサイは床に片膝をつき、ベッドの傍に跪く。
私が伸ばした左手を恭しく掬い上げ、そっと口元に引き寄せる。
そこに刻まれた薔薇の傷痕は、私がマスターである証。
その証に、彼は優しく口付けた。
「高貴って、こんな感じかな?」
離れた唇から零れる、えへへと照れ臭そうな笑み。
彼のそんな笑顔を、私は初めて見た。
眩しそうに細められた、私を見上げるブルーの瞳。
その色合いが、憎らしいほどに美しい。
「ばいばい」
冷たい指先が、ぱっと私の手から離れる。
猫が逃げ出すように、さっと彼は背を向けた。
その素早さが、彼の優しさ。
私はただ呆然と、その背中を見つめている。
薔薇の咲いた左手が、虚しく宙を掴む。
あの後姿に、手が届かない。





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