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幻想即興曲

2.






「ロディは俺のこと、嫌いなんだろ」
ガキみたいに卑屈な甘え方だった。
俺にこんな情けないことをさせるほど、
あいつは非道い奴だった。


***



城内の地下射撃場で、89とつまらない口喧嘩をした。
奴と言い争うのはいつものことだ。きっかけなんて何でもいい。とにかく奴を揶揄いたいから、俺は隙あらば89にちょっかいをかけるんだ。
「うちの子が、どうもすみません」
「どうして貴方が謝るのです」
銃の化身である俺たちの後ろでは、国の化身であるキクとローデリヒがそう囁き合っている。
キクは、89の本体が製造された極東の島国の化身だ。ローデリヒは、俺の本体が製造された中央ヨーロッパの中立国、オーストリアという国の化身だった。つまりキクは89の祖国で、ローデリヒが俺の祖国。祖国なんて言われてもピンとこないが、まあ親みたいなもんだよな。
「おい菊、お前が謝ってどうする。つーか俺は悪くねぇぞ」
89の野郎が、俺の胸倉を掴んだまま振り向き、キクに訴える。
「確かに挑発してきたのはベルガー君の方ですが、その挑発に易々と乗せられるハチ君もまた、未熟と言いますか、私の教育不足と言いますか……」
「おい爺。俺を貶してるのか、自分を責めてるのか、はっきりしろよ」
もだもだと曖昧な意見を述べる童顔な祖国に、89は小さく舌を打った。
「あ〜あ。ハチ君はま〜たキクちゃん頼みですかぁ〜?」俺は得意の濁声で、喧嘩相手の神経を逆撫でしてやる。「つーかチクるとかマジだっせ!」
「っあぁ!?」89は額に青筋を浮かべて憤る。胸倉を掴む手の力が強まった。
思い通りの醜態に、思わずほくそ笑んでしまう。
「ベルガー。いい加減になさい」ローデリヒの淡々とした声。
その声音は怒りでも、侮蔑でもない。義務感から発せられた、機械的な音だった。キクが89を叱る時とは全く違う、無機質な響き。そう、俺は、こいつに叱られたことが無い。
「ハチ君も暴力はいけませんよ。日本男児たるもの、ここは穏和にいきましょう。ほら、ベルガー君を離してあげて」
「……クソッ」二度目の舌打ちと共に、89は俺の胸倉を突き飛ばすようにして手離した。こいつは、キクのお説教にはしこたま弱い。
いい気味だ、と俺は嗤った。
無様に醜態を晒して、お前もキクに嫌われろ。
「つーか、あんた。ローデリヒだったか?」腰に両手を当てて溜息を吐いた89は、突然俺の祖国に顔を向け、目つきを鋭くする。
「ベルガーは、あんたのとこの銃だろ。いつもお澄まし顔で俺たちの喧嘩見てるけどよ、あんたがこいつを何とかしろよ」
「彼は私の言う事なんて聞きませんよ」腕組みをしたローデリヒが、憮然とした態度で冷たく答えた。
「残念だったなぁ、ドーテー君!」俺は渇いた声で、笑う。
「ローデリヒは俺の事が嫌いだから、関わりたくないんだよ。そいつに告げ口したって、無視されるだけだぜ〜?」
「はあ?」89が心底呆れた表情で、俺の顔を盗み見た。
「お前それ、自分で言ってて虚しくねぇのかよ。寂しい奴」


正直なことを言うと、俺は89が羨ましくて、妬ましくて、憎らしかった。
この感情は「嫉妬」だと、随分後になってから気がついた。
キクと89は、ジジイと孫みたいにベタベタくっついてて、気持ち悪いくらい仲が良かった。そんな二人の化身を見て、祖国とその銃とは、特別な絆で結ばれているのだと、誰しもが思った。
そんなものは大嘘だ。
特別な絆で結ばれているのは、あいつらだけ。
だってローデリヒは、俺と目も合わそうとしない。
俺と89がいがみ合ったって、「我関せず」というように、ついとそっぽを向く。俺と89の喧嘩の仲裁に入るのは、いつだってキクだ。当然キクは、89の味方だった。そして、毎度のように89を叱った。
当たり前のようにキクの説教を聞き流すあいつが嫌いだった。
あいつも俺みたいに、キクに嫌われればいいと思った。
そして同時に、ローデリヒが俺を叱ってくれればいいのに、と期待した。
だから俺は、89に喧嘩を売ることがやめられない。


***



俺は頭が悪いから、祖国の歴史はよく知らない。
ローデリヒは、確か、ハプスブルクとかいう名家のお坊ちゃんで、貴族然とした男だった。音楽が好きで、ピアノをよく弾いている。俺との共通点なんて、まるで無い。むしろ、同じピアノ好きのミカエルの方が、ローデリヒと仲が良かった。
二人はよくピアノの演奏で「会話」をしている。四六時中城内に響く二つの音色に、「この騒音はどうにかならないものですかね」とファルがマスターに苦情を申し立てたくらいには、狂ったようにピアノを弾く。
俺はピアノの演奏を耳で聴くだけで、奏者がミカエルなのか、ローデリヒなのか、判別することができた。これは俺の数少ない自慢の一つだ。俺はこれでもオーストリアの銃だから、やっぱり耳は良いらしい。クラシックに興味は無いが、流行りの歌を聴くことや、それらを歌うことも大好きだった。


その日も、ピアノの音が鳴っていた。
しかし、音色は一つだった。これはミカエルの音じゃない。ローデリヒの演奏だ。あいつが一人でピアノを弾いているなんて、珍しい。
俺は無意識のうちに、その音色に誘われるように、ある部屋の前に辿り着く。
ドアは開け放たれていた。
グランドピアノと、鍵盤を弾く奏者の影。
ゲルマン人らしい大きな背中が、力強く躍動している。
俺はドアに寄りかかり、その音色に耳を澄ました。聞いたことのあるメロディーだが、曲名は知らない。
どこか寂しげで、悲しくて、だけど力強い響き。
気持ちが良くなって、俺はピアノの音に合わせるように、意味のない鼻歌を歌っていた。
ピタリと奏者の手が止まる。
躍動していた背中が、凍り付いたように動かなくなる。
ピアノの音が止んだ時、俺はやっと、自分が鼻歌を歌っていたことに気がついた。
しまった、やらかした。
ローデリヒは、俺の濁声が嫌いなんだ。演奏の邪魔をした、と怒られるだろうか。
それでもいい、とふと思いついた。
あいつの感情を動かすことができるなら、それが怒りでも憎しみでも、構わない。
「……ベルガー」
しかし返ってきた言葉は、予想外に穏やかな音色を含んでいた。
「そんなところに立っていないで、ちゃんと座ってお聴きなさい」


「貴方、ショパンはお好きですか?」
「ショパン?」話しかけられたことに驚いて、俺はへっと息を漏らして呟いた。
「先程貴方が鼻歌を奏でていた曲が、ショパンだったものですから。何なら、もう一曲演奏してみせましょう」
彼はそう言って、再び鍵盤に両手を広げる。
斜め後ろの椅子に座っていた俺には、ローデリヒの指の動きがよく見えた。この曲は音が細やかで、雨のように降ってくる。彼の指先はしなやかに、だけど激しく鍵盤を叩く。そうして響く音色は荘厳で、とても綺麗だ。
彼が曲を弾き終えても、俺は圧倒されて息を止めていた。
「すっげ……」咄嗟に口から出た感想。
「ショパンの幻想即興曲です」ローデリヒの横顔が、微笑む。
部屋に沈黙が流れた。
何か話さなければ、と途端に焦った。会話をしないと、彼はこのまま部屋を出て行ってしまうかもしれない。
「なんで俺に、ピアノ聴かせてくれんの」
思いついたのは、ひどく卑屈な台詞だった。
「ロディは俺のこと、嫌いなんだろ」話したいことは山ほどあるはずなのに、こんなことしか言葉にならない。「俺、馬鹿だもんな」
「貴方は品こそありませんが、お馬鹿さんではないですよ」
顔を上げて、彼を見つめる。
ピアノの椅子に腰掛けたままの祖国は、背中を向けたままだった。
その目は俺を映さない。
だけど、口は語りかけている。
「良いですか、ベルガー。鍛錬を重ねて、一流の貴銃士におなりなさい。そうすれば、世界帝も貴方を重宝することでしょう」
「チョーホー?」
「大事にする、ということです」
何だよそれ、と口の中で舌打ちをした。
だったらお前が、俺をチョーホーしてくれよ。
「私は、貴方が期待するような祖国になれなかった」
彼はそう言って、立ち上がる。
振り向いて、じっと俺の目を見つめていた。
そのどこか寂しげな、疲れ切ったような瞳に射抜かれて、俺は言葉が出なかった。
「お手を」
彼は片手を差し出した。俺はそれに応えるように、右手を差し出す。握手でもするつもりだろうか、と思った。
ローデリヒは、椅子に座った俺の前に跪き、
俺の差し出した右手を左手で掬い上げ、
指先に軽くキスをする。
「貴方に高貴を」
口を離すとそう囁いて、眼鏡の奥の優しい瞳で、俺を見上げた。


***



「君が残ってくれたことは幸いだった」
世界帝は言った。
「君の誠意に、私は心から感謝する」


世界帝であるマスターからの賞賛を軽く受け流し、俺は早々とその場を切り上げた。
昨日俺にピアノを弾いてくれたロディは、もうこの城には居なかった。
マスターの説明によると、彼は世界帝府を裏切り、レジスタンス側へ寝返ったのだという。
ローデリヒを監視する兵士の中に、レジスタンスのスパイが紛れ込んでいたらしい。奴の手引きで、彼は城を抜け出した。俺をこの城へ置いたまま。
彼がなぜレジスタンスを選んだのかは分からない。でも、俺が城に残ったことを、マスターは褒めてくれた。感謝してくれた。俺は、評価されたのだ。世界帝への忠誠とやらを。
もしかしたら彼の逃亡は、それさえも見越した上での行いだったのではないか。
馬鹿な俺がマスターの信頼を得るために、あいつは取り計らったのだ。


ほどなくして、キクが遠方に飛ばされた。
ローデリヒの裏切りが原因だと、俺は思う。
キクが居なくなった後の89は、少し変わった。以前のように任務にやる気を出さず、怠そうに文句を言うばかりで、ゲームにのめり込む姿勢が目立った。
優しい世話焼きなキクを、89はチョーホーし過ぎたんだ。
ロディが俺に冷たい態度をとる理由が、やっと分かった。
いつか来るこの時のために、わざと距離を置いてくれたのだ。
あいつは優しい奴だった。






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