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亡国カタルシス







「大丈夫か」
心配そうな男の顔が視界にちらつく。耳鳴りのせいで呼ぶ声はどこか遠く聞こえる。夢と現が判然としない中、徐々に覚醒し始めた意識の末端が思考を始める。ほんの少しの間だが気絶していたかもしれない。とにかく、夢から醒めるのが億劫になるくらいに頭が重い。
「俺は……何で寝ている」
「貴方は戦闘中に頭を強打し、脳震盪を起こした。俺が救護テントまで運び処置をした」
額に手を当てると、ザラザラとした包帯の感触。残念ながら、触り心地は好みじゃない。
「今は……何時いつだ」
「7月9日午後6時14分8秒だ」心配そうな顔のまま懐中時計で時刻を確認した男に、月日から秒までを早口で報告される。「現在14分11秒に更新」
機械的で迅速な対応は軍人として評価できるが、いや、そうじゃねぇ。俺が知りたいのは、もっとこう、大雑把な時間の括りだ。
「つーか7月9日ってあの日じゃねーか!!」
仰向けに横たわったまま、低く迫るテントの天井を見上げて叫ぶ俺に、男は目を丸くして驚いている。
そうだ、思い出したぞ。あの野郎、ナポレオントルネードで調子に乗りやがって。ティルジット条約で被った数々の汚辱を俺は忘れねぇ。今度こそあの髭面ブン殴ってやる……!!
「おいドライゼ。予備の撃針の数は足りてるんだろうな。俺の隊は今何人残ってやがる」
「隊員は20人ほどだが……」
「20人!?」馬鹿な、と思わず上体を起こした。「中隊どころか小隊規模じゃねーか。俺様の軍はそこまで疲弊してるのか!?」
「祖国。ティルジットの屈辱なら、とうに晴らした」
俺がドライゼと呼んだあの男は、やはり心配そうな顔つきのまま、言い難そうに呟いた。
「時代は20世紀末。我々はレジスタンスとして、世界帝の圧制と戦っている」



「無駄に血圧上がっちまったぜ……」
『Oh, Gott 』とギルベルトは項垂れる。7月9日と聞いて、昔の忌々しい記憶が蘇ってしまったようだ。
「お前、紛らわしいんだよ。今でもあの時とおんなじ顔しやがって。19世紀と20世紀で顔変えてこいよ。じゃないと今が何時なのか俺様が混乱するだろうが」
「そうか。では、マスターに進言してみよう。俺を一度壊して、今と違う容貌で再度召銃できないものかと……」
「あのな、冗談だからな?」痛む頭を押さえながら、深い溜め息の後に彼は言った。「時代によって顔変えてこいとか理不尽極まりねーだろ……」
「ギルベルト小隊長殿!」
テントの外から聞こえる部下の呼び声に、「何だ」と彼は返事を寄越す。激しい頭痛を堪えながら、ちっともそのような苦心を感じさせない、芯のある声だ。
こうした軍人らしい冷淡さをもって接する祖国の姿は、ドライゼの目には今でも気高く映る。



常のギルベルトは、レジスタンスでも有名な荒くれ者だ。
視察と称して基地内をぶらぶらし、親睦とかまけて貴銃士たちを冷やかし、腐れ縁だという国の化身と出会えば喧嘩を始め、結果負傷し、マスターのいる衛生室に世話になる、というのが彼の日常のお決まりのパターンだ。普段の生活態度だけを見ていれば悪戯小僧のようだが、ひとたび任務となれば、様子は一変する。
巫山戯てばかりの彼は鳴りを潜め、厳しい目で隊員を監視する。行動に時間配分を定め、遅れた者が一人でもいる班は、連帯責任として全員が罰を負う。そうした生活姿勢の中で一人一人の長所短所を見極め、バランスの良い分隊を構成させる。細かなマニュアルと規律を与え、隊員たちはそれに倣って任務を遂行する。そのため、ギルベルト隊は隙がなく迷いがない。そして、隊員同士の信頼関係は強固だ。厳格な上官の元に集ってしまった隊員たちは、血を吐くような激務をともに乗り越えてきたことで、連帯感を強めている。結果、それが任務の成功率を格段に向上させる。
人を集団として管理し、最も効率よく動かす方法を熟知しているギルベルトは、軍人としては大変有能な上官だ。かといって雲の上の人物なのかと言えば決してそうではなく、むしろ泥臭さの方が目立つ。気さくであっけらかんとしており、贔屓することもなく、皆と平等に接する。粗雑で行儀の悪いところもあるが、完璧でないところにかえって親近感が持てる、と人々の間では好意的に受け入れられていた。
彼の人柄そのものが、彼のカリスマ性。
人を、民を惹きつけて止まない不思議な魅力を、国の化身は備えている。『家』を失い亡国となった今でもその魅力は変わることなく、『民』の代わりにレジスタンスの人々を勇気付けている。
だのに人々は、彼が国であることを知らずにいる。



「なぜ、人の名を使うのですか」
先程訪ねてきた隊員は、本部から届けられた補給物資の報告を終えて帰って行った。二人きりになったテントの中で、『ギルベルト』小隊長殿に尋ねてみる。
「貴方は、欧州に名を馳せたプロイセン王国だ。あの黒鷲の旗を誰もが知っている」
「国の化身なんて誰も信じねーよ」隊員から受け取った物資のリストに目を通して、気怠そうに彼は答える。「気味悪がられるだけだ」
「しかし、以前の貴方は、人々の前でも『国』として立ち居振舞っていたはず」
かつては、そんな彼と共に欧州の戦場を駆け抜けた。
マスターに召銃されるずっと前、ドライゼ銃が開発されプロイセン軍に導入された時代、ドライゼは人の姿で顕在化した。その姿は、貴銃士としてこの世に生を受けた今と同じ見た目だったらしい。先程ギルベルトの記憶が混濁したのも、この姿が当時と変わりないからだ。
「ドライゼ君よ」物資の一覧表から顔を上げ、ギルベルトはニヤリと自虐的な笑みを浮かべる。
「今は20世紀末なんだぜ? 神の御業にしておけば俺たちの存在も受け入れられた時代は、とっくに終わった。今は昔ほど人々の信仰心も厚くない。言うだけ無駄だ」
「……そうか」
「俺たちの存在を認知してんのは、貴銃士とこっちのマスターと、あっちのマスターくらいだろ」簡易ベッドの上で胡座をかくギルベルトは、読み終えたリストを放り投げては、あーあと大きな伸びをする。「生き辛い世の中になったもんだぜ〜」
彼の言う『あっちのマスター』とは、世界帝のことを言っているのであろう。
この世界に独裁体制を敷いている世界帝の元にも、ギルベルトのような国の者たちが集っている。自国の銃を世界帝に献上することで、国の存続と民の保身を約束された者たちだ。
「そういや、ローレンツの様子はどうだ」胡座をかきながら頬杖を突き、ちっとも期待していないが念のため確認する、というような呆れ眼でギルベルトが問いかける。「ちょっとはマシになったか?」
「マシになったかどうかは判断できかねるが、今回の任務にやる気を見せているのは確かだ。……まあ、そのやる気が空回っているとも見受けられるが」
「だよな〜」銀色の短髪をがしがしと乱暴に撫ぜながら、ギルベルトは盛大に嘆息する。
「せっかく俺様が、あの坊ちゃんをレジスタンスに引き入れてやったってのによ……無駄骨だったか?」



国と銃は、共に行動してこそ互いの真価を発揮する。
このギルベルトの持論に必ずと言って良いほど引き合いに出されるのは、アーサーとベスの事例だった。
かつてレジスタンスに所属していたアーサー・カークランドとブラウン・ベスは、まるで兄弟のように息の合った最強コンビとして有名だった。
マスターに呼び覚まされた一人目の貴銃士であるベスは、高貴であることに強い憧れを抱いている。絶対高貴に目覚めた時期は早くはないが、彼のその力は、他の貴銃士のそれを凌駕する強い力を秘めていた。
ギルベルトは、ベスの高貴なる力を高めたのはアーサーの存在なのではないか、と推測した。貴銃士を絶対高貴に目覚めさせるのはマスターだが、目覚めた後の高貴力を増幅させるのは、その銃と関係性の強い国の化身だと踏んだのだ。
アーサーがレジスタンスを去り世界帝の元へと下った途端、ベスの様子は急変した。
驚異的な高貴力は失われ、『ジョージ』という別人格が現れるようになり、情緒不安定になっている。マスターのケアのお陰でベスの精神は安定してきてはいるが、以前のように強力な絶対高貴を発揮することはなくなった。
これらの事象は、ギルベルトの仮説に説得力を持たせた。支部長の恭遠やマスターも、国の化身が貴銃士の高貴力を高めるという仮説を信頼した。その結果、レジスタンスは古銃を探索するとともに、国の化身たちを仲間として集めるという方針を採択する。つい先日、オーストリアの化身であるローデリヒを世界帝からレジスタンスに誘致したのも、そのためだ。



「っま、やる気があるだけまだマシってことにしておくか」ローレンツの愚鈍さに目を瞑り、ギルベルトはそう評価する。「お前ももう休んでいいぞ。俺様の手当てご苦労な」
「祖国」
簡易ベッドの毛布に包まろうとしたギルベルトを、ふいに呼び止める。
何だ、と面倒臭そうな表情で上体を起こす彼の瞳は、錆びつくことを知らない鮮やかな赤。
ドイツ国旗の赤色は、自由を象徴する色だ。
目の前のこの方もまた、自由そのもの。
だから彼は、多くの人間を惹きつける。
国という象徴的な役目を背負いながら、飄々として頼もしく世界を渡り歩き、迷える人々を勇気づける軍国プロイセン。
そんな彼が、なぜ『家』を追われ、亡国にならなければならないのか。
「……今日の戦闘でボルトに煤が溜まっている。時間がある時で構わないから掃除をして欲しい。ボルトが腐食すると発射時のガス漏れで貴方が怪我を負うかもしれな」
「分かった分かった!」ギルベルトはベッドから飛び出して走り寄り、ドライゼの頭を乱暴にわしゃわしゃと撫で回す。「俺がお前のメンテナンスを怠ったことがあったか? 無いだろ!? あとでちゃんと掃除してやっから拗ねんなって!!」
「拗ねてない。そして髪を乱すのはやめてくれ」
「ケセセセ! 触り心地が俺好み!!」無邪気に悪戯に笑うギルベルトは、ドライゼの頭を撫で続けながらこう漏らした。
「お前の素直じゃねーところ、ヴェストにそっくりだぜ〜」


ドイツとして世界帝の元にいる彼の弟。
あれは本当に、ドイツに相応しい器なのだろうか。



(貴方がドイツになるべきだった)



そんな心の声は、未だ口に出せずにいる。





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