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薔薇よりも甘く

3.






パチン、と鋏の小気味良い音がした。



真っ赤な薔薇を気に入っていたアインスは、時たま薔薇園を散策した。豊かな株に実る赤い果実のようなその花は、血が滴るような鮮やかな赤で、大層美しい。
はじめは、薔薇の剪定にいたく熱心な庭師がいるな、と思っただけだった。しかし、その男の顔を覗いた時、アインスに戦慄が走った。
癖のある濃い金色の頭髪に、エメラルドをはめ込んだような碧の双眸。
その容貌は、アインスが一対一で撃ち合ったことのある、忌まわしい古銃の貴銃士の一人とよく似ている。
「貴様」自然と声に憎しみが乗る。「こんなところで何してやがる」
あの古銃の貴銃士を捕らえたという報告は受けていない。だが、奴の顔はあの貴銃士のそれに違いなかった。
「何って……。あの人の命令で、薔薇の手入れをしているんだが」いきなりなんだよ、と顔を顰めながら、男は答える。
碧の瞳がちらとアインスの姿を捉えると、不機嫌そうな眼は、すぐにぱあと明るくなった。
「お前、アインスだったか? ルートヴィッヒのとこの」
ルートヴィッヒという名前に、アインスの眉がぴくりと動いた。
「そんな名前の男は知らない」咄嗟に口を突く素気無い返答。
「ルートのことか?」男はにやっと口の端を持ち上げる。「っじゃ、お前がアインスってのは、合ってるんだな」
「何が言いたい?」勿体ぶった話し方に苛々した。
はっと我に返ったように目を見開き、男は調子を整えるように、ごほんと大きな咳をする。
「いきなり悪い。俺は、アーサー・カークランド」
剪定鋏を仕舞った彼は、堂々たる出で立ちで、誇らしげにこう答えた。
「偉大なる大英帝国の化身だ」


国の化身などという不確かな存在を、アインスは信じなかった。
銃の化身である彼が国の化身を認めないなど、可笑しな話に思われる。だが、銃と国は全くの別物だ。前者は物であり、実体がある。後者は概念であり、実体はない。概念である国が、人の姿で存在できるものだろうか。
「俺のことは、薔薇の妖精だとでも思ってくれ」
自分でも詰まらないジョークだと思ったのだろう。国の化身など信じない、とアインスが言い放つと、その男は苦笑して答えた。


そんな妄言、信じるものか。
もし本当に彼らが存在するならば、
あの男は俺たちの祖国として、
俺たちに関心を持っていいはずだ。



***



「薔薇の妖精」は、まるで本物の妖精でも見えているかのように、一人で楽しげに話し込んでいる姿が目撃された。特に庭園に居る時はそれが顕著になる。彼に言わせてみれば、城内の庭園には、沢山の愛らしい妖精が住み着いているのだそうだ。
「妖精さんたちのお陰で、お前の好きな薔薇は美しく咲けるんだぞ?」
アーサーは紅茶を片手に持ち、向かいのアインスに言い聞かせる。白いテーブルに白い椅子。薔薇園の中に設えたガゼボの下では、ティータイムが楽しめるようになっていた。
「こらお前ら、はしゃぐなって。俺は今、こいつと優雅なアフターヌーンティーをだな……」
また始まった。一人でに笑い出し、嬉しそうに話し出すアーサーを訝しげに見つめながら、アインスは紅茶を一口含む。彼とこうしてティータイムを囲むようになってから、アインスは紅茶の味を覚えた。以前はコーヒーを愛飲していたが、「俺の薔薇園でそんな泥水飲むんじゃねぇ!!」と、アーサーに凄い剣幕で脅されたのだ。何か訳あってのことなのだろうが、彼のコーヒーに対する拒絶反応は異様なものだ。
「カークランド」彼の気を確かにするため、アインスはそう呼びかける。
アーサーとはありふれた名だが、カークランドというのは良い。格調高い響きがある。
「俺は、お前によく似たレジスタンスの貴銃士と戦ったことがある」
紅茶のカップをソーサーに置き、アインスは向かいの彼を見つめる。前々から抱いていた、大いなる疑問だった。
「奴は一体何者だ」
アーサーは、碧の瞳をそっと伏せる。
「俺によく似た貴銃士、か」ティーカップの紅い水面を見つめながら、その唇が優雅に微笑む。「あいつは、俺の半身だ」
「半身?」
「大英帝国の繁栄を築いた、誇り高きブラウン・ベス。俺の一番の愛銃で、戦友だ」
「……なぜ、そんな大事な半身を置いて、お前は世界帝へ来た?」
「んなもん、決まってるだろ」カップから離れた唇は、歪むように笑おうとしている。
「俺の大事な弟が、世界帝による統治を選んだからだ」
それでも、ベスと俺には切っても切れない縁がある、とアーサーは語った。
「俺の高潔な騎士道は、全部ベスに預けてきた」
ティーカップを音もなく置き、英国紳士は脚を組む。組んだ脚の膝の上で祈るように両手を合わせ、穏やかな瞳でアインスを見つめる。
「もしあいつとまた戦うことになったら、正々堂々、相手をしてやってくれ」
記憶を反芻しているであろう彼の瞳が、懐かしさに丸みを帯びる。その優しげな眼差しに、アインスは氷の刃で心臓を貫かれたような気分だった。


ルートヴィッヒ。
アインスの祖国は、銃に愛着を持たない男だ。
国とはそういうものかと思っていたが、そうでもないことが分かってきた。アーサーだけではなく、89のところのキクも、自国の銃を大切に扱っていたからだ。
四挺もの銃を献上したルートヴィッヒを、世界帝は歓迎した。また、その真面目な性格と職人気質を気に入っていた。国の化身の中では、最も世界帝の信頼を集めている男だと言える。
そんな祖国が貴銃士に抱いている感情は、無だった。
親しみがなければ、憎しみもない。
たまにアインスと顔を合わせることがあっても、事務的な挨拶を交わすのみで、碌に会話をしたこともない。ホクサイ、ゴースト、きゅるちゅも同様。四挺もの銃を躊躇なく差し出せるのは、彼が銃たちに無関心だったからに他ならない。
自国の銃とは切っても切れない縁がある、とアーサーは語った。
アインスとルートヴィッヒの間に、そのような強い結びつきは皆無だった。
だからこそ彼は、祖国ではなく、自分と同じ貴銃士たちに絆を求めた。
そうして彼らを、家族と思うことに決めた。
アインスがとりわけ家族を大切に想うのは、祖国に関心を持たれないことへの虚しさや、悔しさの裏返し。
そして、弟を大切に想っているアーサーの影響が強かった。
彼は大事な古銃を捨て置いてまで、弟と共にあることを選んだのだ。
家族とは、他の何よりも優先されるべき存在なのだと、アインスは学んだ。


そんな強い結びつきを祖国に見出せないあいつらに、せめて俺が、教えてやりたいのだ。
家族の絆ってやつを。



***



アーサーと共に行う薔薇の剪定が、アインスは好きだった。
切り口の芯が茶色く弱っている枝を、付け根からばちりと切り落とす。
この思い切りが大事なのだ。
「上手くなったな」
鋏捌きを見たアーサーが、並びの良い白い歯を覗かせて笑った。
薔薇園は、この世界の縮図だ。
土が乾燥しすぎても、また湿っていても花が枯れてしまうため、常に土の状態に気を配る必要がある。また、環境管理を怠ると病害虫の被害を受けやすい。そのため、弱い葉や枝を切り取る剪定は、花を美しく健康に保つために欠かせない作業であった。
この美しき花の女王は、かように手間暇のかかる植物だと、アーサーは言う。
人間の群衆と同じだ、とアインスは思う。
「アイち〜ん!!」
遠くから陽気な声がした。
顔を上げると、日の光を浴びて輝く、眩いばかりの金髪が近づいてくる。
「ラブワンじゃねぇか」アインスよりも先に、アーサーが貴銃士の名を呼んだ。
「おっとぉ? 祖国サマも一緒じゃ〜ん★」
フゥッとラブワンが甲高い声を上げる。
「さっすがガーデニング仲間。アイちんが祖国と仲良しで、オイラ嫉妬しちゃうな〜」
「だったら、お前も薔薇の世話をしてみるか?」アーサーがそわそわとラブワンに訊いている。お前ともっと仲良くなりたい、という健気な思いが見てとれた。「その、俺が特別に、教えてやってもいいぜ。お前は一応、英国の銃だしな……」
「遠慮しときま〜っす」ラブワンは祖国のデレを躊躇なく斬って捨てる。
「オイラ、人を潰すのが仕事なんで、花も枯らしちゃいそうでマジ怖ぇ!っス!!」
「そうか……」アーサーは明らかに落ち込んでいた。
「あーそうだそうだ。オイラ、アイちんに言伝があってね〜。この前炙り出した、運の良い町長さんがいたじゃん?」
「いたな」アインスの目が鋭く光る。反逆行為を家族の処刑で済まされた、幸運な町長の話だ。
「あのクソ町長の街、今から焼き払うことになったからっ★」ピースサインでもしそうなはっちゃけた声で、ラブワンは続ける。「でもって、俺とアイちんが殲滅隊に選ばれたから! はい、早速出掛けるよ〜ん!!」
「そうか……。それは忙がねぇとな」
枯れた枝や腐った葉は、放置すれば他の枝葉をも駄目にする。早急に切り取らねばならない。
これは、人間にも言えることだ。
根も葉も腐った人間が一人でも出てきたら、街ごと焼き払わねばなるまい。
向きの悪い邪魔になる枝を根元から取り払うことで、薔薇は美しく花を咲かせるのだから。
「悪いな。カークランド」
鋏を差し出して、アインスは詫びる。大事な薔薇の剪定を中断して、任務に向かうことが心苦しい。
「仕事だろ? 構わねぇよ」アーサーは鋏を受け取り、アインスを見上げて微笑んだ。「行ってこい」
こうして彼を見下ろす時、いつも想うことがある。
薔薇の世話をしている間や、妖精と話している時の彼は、輝いている。僅かでも、生きる希望を持っている。しかし、ブラウン・ベスと別たれた大英帝国は、酷くやつれ、衰えているようにも見える。
常のアーサーは、無理に弟と連れ添い、過去の栄光を夢見るだけの、空虚な半身になってしまった。
誇りもなければ大義もない。
街一つを滅ぼしに行く貴銃士たちを笑顔で送り出せるほどには、その心は歪んでいた。
まるで骨を埋める場所を整えるかのように、昼も夜も、アーサーはこの薔薇園にいる。
彼も腐ってしまったのだ。
剪定が必要なのだ。
差し出した鋏の刃を強く握りしめては、アインスは願った。
この空っぽな国の化身を、殺してやりたい。
苦しみもなく、悲しみもなく、
弱る枝を根元からばちりと断つように。
この思い切りが、慈悲というものだろう。






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