マスターちゃんとホクサイくん
【ある研究者の蛮行】
街のお菓子屋で、少女は大きな瞳を目一杯に輝かせ、並ぶ菓子に笑みを浮かべた。
彼女は甘いものが大好きだ。チョコ、ケーキ、クッキー、アイス。最近は和菓子の味も覚えたようで、鯛焼きと餡蜜を食しているところも見かけた。
子供と女性の大部分は、甘いものが大好物らしい。菓子屋の店内の様子を観察すれば、そう推測できる。どこを見ても、子供と女性ばかりだ。そんな中で、帝軍の迷彩服姿の自分はひどく浮いている。店主も、突然の軍人の来訪に恐れ慄いている様子だ。
店の外で待っているべきだったかな、と思い直した。しかし、店の前に軍人が突っ立っていたら、それこそ営業妨害になるのではないか。それに、少しの間でも少女から目を離すのは良くない。ここはやはり、彼女に付いて買い物を続行しよう。
「どれがいいかな?」少女は、量り売りされている小包装のチョコの山を眺めながら、弾んだ声で尋ねてくる。「ねえ。ホクサイはどれがいい?」
どれがいいかと聞かれても、食べてみないと分からないので判断しかねる。
「迷うなら、店ごと買ってあげよっか?」
それが一番手っ取り早い。
へらりと笑って紡がれた言葉に、店主がひっと小さく悲鳴を上げたのが分かった。
もうっ、と彼女は小さくむくれる。
「私はお店じゃなくって、チョコが欲しいの!」
「はいはい。お姫さまはチョコをご所望だね〜」
面倒なので、量り売り用のチョコをごっそり大人買いした。チョコレートの大量購入など、店を丸ごと買い取るのに比べたら痛くも痒くもない。
重さで値段が決まるようだが、個数で買うのと重さで買うのと、どちらがお得かなんて損得勘定には興味が無かった。数理科学の数値計算は大いに楽しいが、金銭の計算は退屈だ。金銭的自由など、選択の自由に比例するだけのこと。
会計を済ませ、大量のチョコレートが詰まった大きな紙袋を受け取る。片腕で抱えるとなかなかに重い。
マスターに買い過ぎだと怒られるだろうな、と思いながら、店のドアを開ける。
お腹が大きく膨らんでいる女性と鉢合わせた。
女性は小さな男の子と手を繋いでいる。親子だろうか。
「どうぞ」
物珍しさに立ち止まっていると、少女は店のドアを開け放ち、親子に道を譲らせた。
「ありがとう」
女性は重そうな腹を抱えて、親切な少女へにこりと微笑む。
親子が店内に入った後に、少女に続いて店を出る。ドアが閉まるのと同時に、彼女がそっと教えてくれた。
「妊婦さんには、優しくしないといけないのよ」
「ニンプさん?」
「さっきの女の人。お腹の中に、赤ちゃんがいるの」
「赤ちゃん…」
「産まれてくる前の、人間の子供よ」
なるほど。妊婦とは、胎児を体内で育成する母親の事らしい。さっきの女性、体つきは華奢なのに、腹だけやたらと大きかったのはそのためか。
「へえ。貴重なものを見たね」
そうかなぁ、と彼女は首を傾げる。
少女には分からないかもしれないが、軍人をやっていると、特定の人物を除いては、女性と関わる機会が極端に少ない。ましてや、妊婦と出会う事などそうそう無い事だ。
ダ・ヴィンチの解剖図を思い出した。
彼は妊婦の胎内も解剖している。胎児と、胎盤の様子をスケッチした紙が残っている。神の創造物とされた人間を切り開き、人体の仕組みを明らかにする行為は、神への冒涜と見做され、禁忌とされた時代だ。なんとも勇敢な偉業である。
人間の内臓は、男も女も全て見た。ファルの許可を得て、尋問で死した哀れな捕虜を解剖したのだ。しかし、妊婦の胎盤は見たことがない。
妊婦を解剖してみたいな、と思った。
ダ・ヴィンチの蛮行が羨ましい。
ああそういえば、ここに最高の被験体がいるではないか。
少女は怪我も病気も無く至って健康。薬物の投与も手術歴もないナチュラルな状態なのだから、どんな実験にも活用できる。
「ねえ、お嬢ちゃん。人間の子供はどうしたら出来るの?」
そもそも、女性が妊娠するための仕組みを知らない。これは重大な問題だ。
「キミを妊娠させるには、どうしたらいいのかな」
「………」
質問の意味が分からなかったのか、少女は黙ったまま、何も答えない。
「お嬢ちゃん。聞いてる?」
「知らない」彼女は下を向いたまま、答えた。「お父様に訊いて」
それもそうか、とホクサイは頷いた。
彼女だって、まだ子供なのだ。自身が成長するために生きているのだから、子孫を残すための本能や知識があるわけもない。ましてや、妊娠するための機能も整っていないはず。
解剖してみたいから妊婦になってくれだなんて、時期尚早というものだろう。
「マスター。子供ってどうしたら出来るの?」
大人買いした大量のチョコ袋を片腕に抱えながら、待ち合わせ場所に現れたマスターへ、彼は質問する。
「……ホクサイ」マスターは眉間を指で押さえ、渋い表情で溜息をついた。「何があったんだね?」
大量のチョコと質問の内容に、頭を痛めた。
街のお菓子屋で、少女は大きな瞳を目一杯に輝かせ、並ぶ菓子に笑みを浮かべた。
彼女は甘いものが大好きだ。チョコ、ケーキ、クッキー、アイス。最近は和菓子の味も覚えたようで、鯛焼きと餡蜜を食しているところも見かけた。
子供と女性の大部分は、甘いものが大好物らしい。菓子屋の店内の様子を観察すれば、そう推測できる。どこを見ても、子供と女性ばかりだ。そんな中で、帝軍の迷彩服姿の自分はひどく浮いている。店主も、突然の軍人の来訪に恐れ慄いている様子だ。
店の外で待っているべきだったかな、と思い直した。しかし、店の前に軍人が突っ立っていたら、それこそ営業妨害になるのではないか。それに、少しの間でも少女から目を離すのは良くない。ここはやはり、彼女に付いて買い物を続行しよう。
「どれがいいかな?」少女は、量り売りされている小包装のチョコの山を眺めながら、弾んだ声で尋ねてくる。「ねえ。ホクサイはどれがいい?」
どれがいいかと聞かれても、食べてみないと分からないので判断しかねる。
「迷うなら、店ごと買ってあげよっか?」
それが一番手っ取り早い。
へらりと笑って紡がれた言葉に、店主がひっと小さく悲鳴を上げたのが分かった。
もうっ、と彼女は小さくむくれる。
「私はお店じゃなくって、チョコが欲しいの!」
「はいはい。お姫さまはチョコをご所望だね〜」
面倒なので、量り売り用のチョコをごっそり大人買いした。チョコレートの大量購入など、店を丸ごと買い取るのに比べたら痛くも痒くもない。
重さで値段が決まるようだが、個数で買うのと重さで買うのと、どちらがお得かなんて損得勘定には興味が無かった。数理科学の数値計算は大いに楽しいが、金銭の計算は退屈だ。金銭的自由など、選択の自由に比例するだけのこと。
会計を済ませ、大量のチョコレートが詰まった大きな紙袋を受け取る。片腕で抱えるとなかなかに重い。
マスターに買い過ぎだと怒られるだろうな、と思いながら、店のドアを開ける。
お腹が大きく膨らんでいる女性と鉢合わせた。
女性は小さな男の子と手を繋いでいる。親子だろうか。
「どうぞ」
物珍しさに立ち止まっていると、少女は店のドアを開け放ち、親子に道を譲らせた。
「ありがとう」
女性は重そうな腹を抱えて、親切な少女へにこりと微笑む。
親子が店内に入った後に、少女に続いて店を出る。ドアが閉まるのと同時に、彼女がそっと教えてくれた。
「妊婦さんには、優しくしないといけないのよ」
「ニンプさん?」
「さっきの女の人。お腹の中に、赤ちゃんがいるの」
「赤ちゃん…」
「産まれてくる前の、人間の子供よ」
なるほど。妊婦とは、胎児を体内で育成する母親の事らしい。さっきの女性、体つきは華奢なのに、腹だけやたらと大きかったのはそのためか。
「へえ。貴重なものを見たね」
そうかなぁ、と彼女は首を傾げる。
少女には分からないかもしれないが、軍人をやっていると、特定の人物を除いては、女性と関わる機会が極端に少ない。ましてや、妊婦と出会う事などそうそう無い事だ。
ダ・ヴィンチの解剖図を思い出した。
彼は妊婦の胎内も解剖している。胎児と、胎盤の様子をスケッチした紙が残っている。神の創造物とされた人間を切り開き、人体の仕組みを明らかにする行為は、神への冒涜と見做され、禁忌とされた時代だ。なんとも勇敢な偉業である。
人間の内臓は、男も女も全て見た。ファルの許可を得て、尋問で死した哀れな捕虜を解剖したのだ。しかし、妊婦の胎盤は見たことがない。
妊婦を解剖してみたいな、と思った。
ダ・ヴィンチの蛮行が羨ましい。
ああそういえば、ここに最高の被験体がいるではないか。
少女は怪我も病気も無く至って健康。薬物の投与も手術歴もないナチュラルな状態なのだから、どんな実験にも活用できる。
「ねえ、お嬢ちゃん。人間の子供はどうしたら出来るの?」
そもそも、女性が妊娠するための仕組みを知らない。これは重大な問題だ。
「キミを妊娠させるには、どうしたらいいのかな」
「………」
質問の意味が分からなかったのか、少女は黙ったまま、何も答えない。
「お嬢ちゃん。聞いてる?」
「知らない」彼女は下を向いたまま、答えた。「お父様に訊いて」
それもそうか、とホクサイは頷いた。
彼女だって、まだ子供なのだ。自身が成長するために生きているのだから、子孫を残すための本能や知識があるわけもない。ましてや、妊娠するための機能も整っていないはず。
解剖してみたいから妊婦になってくれだなんて、時期尚早というものだろう。
「マスター。子供ってどうしたら出来るの?」
大人買いした大量のチョコ袋を片腕に抱えながら、待ち合わせ場所に現れたマスターへ、彼は質問する。
「……ホクサイ」マスターは眉間を指で押さえ、渋い表情で溜息をついた。「何があったんだね?」
大量のチョコと質問の内容に、頭を痛めた。