【ボクと天才は紙一重】



「風邪って何だい？」
研究室を訪ねてきた来客に、ホクサイはきょとんとした表情で振り向いた。
「貴銃士って……風邪は引かないのだったかしら……？」
「何言ってんの。ゴーストちゃんなんかよく引いてるじゃないの」
それよりマスター、無理に喋らない方が良いわよ、とエフは注意する。エフの両腕には、勤務中に発熱でぶっ倒れた風邪っぴきのマスターがお姫様抱っこで抱えられている。先ほど熱を測らせたら、39度近くまで上がっていた。手っ取り早く解熱剤を貰うため、ホクサイの研究室を訪れたわけである。
「きっとホクサイちゃんは、風邪を引いたことがないのね〜。さっすが、無茶な人体実験で身体を鍛えているだけあるわ。丈夫よね〜」
とはいえ、彼の場合は超が付くほどの研究オタクだ。たとえ風邪を引いていたとしても、実験に夢中で気付いていないだけ、というオチも考えられなくはない。
「てゆーか、マスターちゃんはエフクンの腕の中でぐったりしちゃってどうしちゃったの。二人でイヤラシイことでもしてきたの？ 既成事実の証拠隠滅のためにボクちゃんの研究室に来たの？ も〜〜〜やめてよ〜〜〜ボクちゃん闇医者じゃないからさすがに堕胎は無理」
「ホクサイちゃん。ちょっと黙ろ？」
エフはにっこりとホクサイに微笑みかける。彼の微笑みに並々ならぬ圧を感じたホクサイは、「は〜い……」と気弱な返事を返す。
度が過ぎた悪ふざけを聞いても、エフの腕の中でマスターはぴくりとも反応しない。今日は発熱でダウン中のマスターの代わりに、自分が突っ込み役を演じなければならないようだ、とエフは自覚した。
「この通りマスターは熱があって具合が悪いから、解熱剤が欲しいのよ。ホクサイちゃん持ってない？」
「なあんだぁ、そういうことなら早く言ってよ〜」
そう言ってホクサイは戸棚の前までゆるりと歩み寄り、ガラリとその硝子戸を開ける。中から茶や青の色付きの小瓶、曇り硝子の薬瓶など、とにかく中身が正体不明の瓶を仰山並べて、「今なら選び放題だよ〜！」と謎の大売り出しを始めた。
「アタシ解熱剤が欲しいんだけど」
「熱を感じなくなっちゃえば解熱剤とおんなじでしょ？」ホクサイはにっこりと無邪気に微笑んでいる。
「さ〜て、どれがいいかな？ 強めの幻覚が見えるお薬？ 神経を麻痺させるお薬も良いよ〜」
「劇薬っ！？」ひんっと甲高いしゃっくりのような悲鳴を上げて、エフは叫んだ。「マスターを実験体にするのはやめて頂戴！！」
「ほんと……馬鹿は風邪引かないってよく言うわよね……」
エフの腕の中で、苦しげに彼女が呟いた。自分に劇薬を投薬しようと企んだホクサイへの、恨みを込めた低音だった。
「馬鹿と天才は紙一重とも言うけどね」
マスターの怨念が込められた一言も、ホクサイはアハハと笑い飛ばしてしまう。
「ボクと天才は紙一重〜、なんちゃって」
「貴方ねぇ。自分が天才だとでも言いたいの？」
「えっ。違うの？」エフの呆れ半分の返答に、ホクサイはきょとんと目を丸くした。
「このボクが天才じゃなかったら、この世界の誰が天才だっていうんだい？」
「っふぐ……！」マスターが変な声を上げる。
エフの腕の中でぐったりしていたはずの彼女は、片手で口元をはしっと押さえ、ぷるぷると小刻みに震えている。
「アンタ……今のがときめきポイントってどういうこと？」
ホクサイの「ボクちゃん天才」発言に身悶えているマスターを、エフは不審者を見下ろすような瞳で見つめる。
そんな元気があるのなら、投げ飛ばしてやろうかしら、とも思った。