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マスターちゃんとホクサイくん

【共鳴】



焼け付くような痛みが、右目を襲った。
薔薇の痣の件で痛みに耐性はあるはずなのだが、眼球が痛むのは想定外だ。とてもじゃないが耐えられない。
会議の席についていた私は、体調不良を理由に席を外した。燃えるような痛みが走る右目を片手で押さえて、部屋を飛び出す。
「ナインティ!」
付き添いで廊下に控えていた貴銃士の名を叫ぶ。言葉を発することのない彼は、私の只ならぬ気配を察知し、目を見開く。
『どうした』とブラックボードを掲げる彼に、私は願った。
「ホクサイのラボまで連れて行って!」


片目だけで歩くのは至難の技だった。物との距離が掴めず、何度も胸像にぶつかった。そんな私を心配して、ナインティは手を繋いでくれた。何というレディーファースト。彼の爪の垢を煎じて、あの科学者に飲ませたい。
『着いたぞ』
片目では見え難いが、ナインティのボードには、確かにそう書いてある。城内の一角、実験室の前に、私たちは立っていた。
「ありがとう」痛みを我慢し、片側の顔だけで笑ってみせる。
「貴方は部屋の前で待機。長く待たせるかもしれないけれど、我慢してね」
ナインティは心配そうな顔でこくりと頷く。なんて優しい。
何が起きても動じないよう、覚悟を決める。
「ホクサイ!」実験室の引き戸に手をかけ、ノックもなしに開け放った。「怒られたいの!?」
「うん」部屋の中から肯定の声。「お願い」
ホクサイの返答に、ナインティが引いているのが気配で分かった。
『……ごゆっくり』
閉めた扉の隙間から、ナインティはこそっとボードを見せる。
ナインティ違うの、そうじゃない。


実験室の扉を開けた時、「お願い」と振り向いて笑った彼は、右目が無かった。暗く空洞になっていて、赤黒い血が涙のように滴っている。
シャーレの上に乗っている、濁った瞳と目が合った。抉り取られた彼の右目。
ちょっとした恐怖体験だが、今日のこれはまだマシだ。この子のマッドサイエンティズムは、こんなものではないのだから。
「今度同じことをしたら、ファルの尋問部屋に強制送還するから」
恨みを込めて私は告げる。ホクサイの落ち窪んだ右目に手を当てて、力を使った。
「ゴメンナサイ」
即座に返される謝罪の言葉。彼もあの部屋で行われる遊戯には恐れをなしているらしい。
「自分の身体で人体実験をする時は、事前に私へ報告する決まりよね?」私は、これでもかと彼を睨みあげる。「なぜ破ったの」
「だってさ〜」
「だってじゃない」
「急に思いついたんだ」実験の話をするホクサイは、何を言っても止められない。私は付き合うことにした。
「思いついたって、自分の眼球をくり抜くことを?」
「そうだよ」
「おまえの目的は、その血を青くすることよね。それがどうして、目玉を抉ることになるのかしら」
「別にさ、赤を青にする必要なんて無かったんだよね」ホクサイは機嫌良さそうに答えた。
「眼球からの信号を受け取った脳が、赤を赤と認識する。それなら、赤を青と認識させる信号を作れば、脳は赤を青に変換して、ボクちゃんの目に全ての赤が青く見えるようになるわけ。ね、画期的でしょ?」
この眼を変えてしまえばいい、というわけか。
「本末転倒ね」私は呆れて溜め息をつく。「もしそれが成功したとして、おまえの目に映る青は、他人から見たら赤いままなのでしょう? それって、おまえの血も赤いままということになるけれど」
「でも、ボクちゃんから見たら青い」彼はそう言って、うふふと微笑む。「他の人にどう見えるかなんて、どうでもいいね。この目に見えるものだけが、ボクちゃんの世界の全てだから」
「理系のくせに哲学的な言い訳ね」いっそ哲学者になったら、と精一杯の皮肉を込めて私は言う。そうすれば、彼のおかしな生体実験に振り回されることもなくなる。
「マスター、いつになく辛辣だね〜」いつも通りのゆったりとした口調のまま、可笑しそうに彼は言った。
「私、おまえのせいで、大事な会議をすっぽかす羽目になったんだから」
お偉い様方に、また嫌味を言われる。今から憂鬱になり、溜め息が漏れた。


マスターである私は、貴銃士がある程度の大きなダメージを受けると、その痛みを共有した。
これを「共鳴」と呼んでいる。
さっきの私は、右目を抉ったホクサイと共鳴したのだ。
共鳴する貴銃士は全員ではないが、ホクサイはそのうちの一人で、しかもその特性を悪用する曲者だ。
私が同じように痛み苦しむことを知っていて、自分の身体で無謀な人体実験を繰り返す。
その度に、全ての予定を投げ打って、私は彼の治療に時間を費やすことになる。
たぶん、幾分かの寿命も。
「私の可愛い顔が見える?」
彼の右目を完璧に再生させて、その瞳を覗き込む。ビー玉のような青く澄んだ瞳は、子どもの頃からの憧れだ。口に出したことはないけれど、私もホクサイのような、綺麗なブルーの瞳に生まれたかった。
「見えるよ」可笑しそうに、彼は微笑む。「怒った顔も可愛いよね」
「陳腐な台詞でご機嫌とり?」呆れた、と私は目を瞑って溜息を漏らす。「笑わせないで」
構造の複雑な眼球を再生するには集中力を要したため、少々疲れた。会議には戻れそうにない。
「ごめんね」
降ってきた言葉に目を開ける。疲れた様子の私を心配してなのか、彼の真新しい瞳が、私の顔色をうかがっていた。
「キミも、痛かったかい?」真っ青な二つの眼が、焦がれたように私を見つめる。
言葉というのは、裏腹だ。
謝るホクサイの口元が、笑いを噛み殺している。
いや、噛み殺せていない。滲み出ている。嬉しそうな微笑が。
自分と同じように痛み苦しむ私に、悦びをおぼえているのだろう。
「いつかおまえの人体実験で殺されそうだわ」
「まっさかぁ」なに言ってるの、と彼はヘラヘラ笑い出す。「死なない程度に抑えてるんだよ。この身体は、ボクだけのものじゃないからね」
ナインティに聞かれたら、また誤解されそうな言い方だ。
彼の悪癖にはうんざりしているはずなのに、嫌いになれないものだから、困っている。





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