現代銃と娘ちゃん
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【ひとえに君を思うがため】
(プルシアンブルー)
少女はベッドの上に座り込み、本を広げて、色見本のページを食い入るように見つめている。その本によると、プルシアンブルーとは和名で「紺青色」と呼ぶそうだ。
(こんじょういろ…)
彼女の良く知る貴銃士は、紺青色の事を「プルシアンブルー」と呼びこよなく愛している。彼が英語でその名を呼ぶという事は、やはり欧州の生まれなのであろうか。コードネームは「ホクサイ」なのに。
ふーむと難しい顔で顎に片手を添えて考え込んでいると、コンコンとドアをノックする音。振り返ると、ドアの隙間から「やあ」とホクサイがひょっこり顔を出していた。
「お嬢ちゃん、今晩の御守りはボクちゃんだよ!」
「おまえの好きなプルシアンブルーは、『花紺青』と呼ぶそうよ」
腹這いになってベッドに潜り込んだ二人は、一冊の本を広げている。『日本の伝統色』という題の本で、彼女が通っている学校の図書館で借りてきたものだ。
「へえ?」ホクサイは、彼女の知識欲に感心しながら、頬杖をついて問いかける。「花紺青って呼ぶくらいなら、花と関係のある色なのかい?」
いいえ、植物の花は関係ないの。彼女はそう首を横に振って、文面を指先でなぞりながら説明した。
「正しくは、『紺青色』と呼ばれるのだけど、その中でも『石紺青 』と『花紺青 』に分けられていて……」
紺青色とは、紫色を帯びた暗い青を差す。
「群青」と同じ藍銅鉱を原料とし、色が濃く結晶し冴えた紫みの青色を「紺青色」と呼ぶ。その中でも、天然に産するものを「石紺青」、人造のものを「花紺青」といい区別され、後者がホクサイの好むプルシアンブルーである。
プルシアンブルーとは「プロシアの青」の意だ。その名の通り、1700年代初頭のベルリンで、錬金術師のもとで顔料の製造を行っていた者によって偶然発明されたとされている。
「錬金術? ワオ」
彼女がそこまで説明すると、ホクサイは驚いたように笑った。錬金術というトラディショナルな言葉に、科学者としての血が騒いだようだ。
「それって今で言うところの科学だけど、昔のそれは呪術と大差ない代物だからね〜。はあ〜でも、なんだかワクワクする響きだね」
「その後パリで改良されたようだけれど、製造方法は秘密にされていたみたい。それが解明されたのは、1720年代のイギリス。その原料は、草木の灰と…」
彼女はそこまで読んで、うっと僅かに顔を顰めた。
「……ウシの血液ですって。生々しい」
「ほーらね」やっぱりだ、とホクサイは愉快そうにあははと笑った。「呪術っぽいだろう?」
その後プルシアンブルーは、中国の商人によって日本に大量に輸出され、急速に広まったという。大量輸入によって値段が下落したその顔料は、安価に入手できる美しい紺青色として、多くの浮世絵師たちに用いられた。
かくして紺青色は、天然物である「石紺青」と、人の手によって造られた「花紺青」に分かたれたのである。
「はあ…」
少女はごろんと仰向けに姿勢を変え、ページを広げたままお腹の上に本を乗せ、満足そうに呟いた。
「色にも歴史あり、ね。なかなか興味深い内容だったわ」
「ウンウン! ボクちゃんも、君がそんなにプルシアンブルーを愛していたなんて知らなかったよ〜」
「愛してないわ。だから知ろうとしたの。でも、お陰で良く分かった。おまえが気に入るのも、拘るのも良く分かる」
彼女はもう一度本を持ち上げ、色見本のページを眺めながら感嘆の声を漏らした。
「同じだと思っていた青色でも、こんなに種類があるんだもの。しかも、その一つ一つに意味や歴史がある。色の世界って深いのね。底無しね」
「君も自分の血を青くしたいと思う?」
ホクサイからの怪しげな問い掛けを、「いえ別に」と彼女はすっぱり断っておく。プルシアンブルーの歴史は存外興味深いものであったが、それとこれとは話が別だ。飛躍し過ぎている。
「血よりも他に、青くしたら美しいものがあるんじゃなくて?」
「ええ〜、例えば?」
「そうね……、桜の花とか」
その昔、夜空に浮かぶ月を持ち帰りたいと無茶を言った幼い将軍がいた。桜の花を青くすると言うことは、その伝承と同じくらい、非科学的で望みのない思いつきだと自覚している。「君の血をボクちゃんが青くしてあげるよ!」とホクサイに迫られる事が怖くて、彼の興味をそこから離せる話題を提供できるのならば、内容は何でも良かった。適当な答えだった。
「桜の花……」
ホクサイは、少女の零した何気ない一言を反芻する。なるほどそれは盲点だったと言わんばかりの、目から鱗の大発見だったようで、彼の瞳に科学者の光が宿る。
「オーケー、お嬢ちゃん」
眠そうな様子の彼女にクスリと小さく笑みを浮かべ、ホクサイは自分に言い聞かせるように囁いた。
「君を感動させるくらいの青い桜を、ボクちゃんがきっと見せてあげるよ」
***
「マスタああ〜!!」
勤務中、廊下を歩いていると後ろから声をかけられる。振り向くと、声の主がズイと顔を近づけて、「ほら!」と何かを差し出された。思わず両手で受け取ってしまう。
「ホクサイ…、これは?」
「イチゴだよ、マスター! しかも、真っ青だよ。マスターの好きなプルシアンブルー!」
「プルシアンブルーは好きだけれど、果物はちょっと…」
アメリカンスイーツか、と突っ込みを入れたくなるほど、見事なまでに真っっっ青なイチゴである。毒でも入っているんじゃないのか、と無条件に身構えてしまう。
「これを食べろと?」
警戒したまま彼女が尋ねると、「ウン」とホクサイはあっさりと頷いた。
「ダイジョーブ、味は保証するよ〜」
「きちんと試食したんでしょうね?」
「ヘーキヘーキ」
一体何が平気なのだ。試食しなくても平気ということだろうか。だとしたら、彼女は彼のモルモット第一号ということになる。
「モルモットは御免だわ」
そう言って青いイチゴを突き返したのも束の間、ホクサイと彼女の目の前をビュンと何かが高速で過ぎ去り、手にしていたイチゴの房を掠め取られる。
「…ナインティ」
彼女の冷静な呼び声に反応した物体が、高速バック転で移動し再び側へと戻ってきた。
『ウマイ。いただき』
ブラックボードにはそう感想が記され、ナインティは満足そうに目を細めている。
「美味しい? そっかそっか〜」
それを見て、ホクサイも嬉しそうに声を弾ませる。実験成功というわけだ。
「ナインティ、勝手に食べ物を掠め取ってはいけません。はしたないから止しなさい」
「ーー、ーーー!!」
何かを必死で訴えかけるナインティ。ブラックボードに目をやると、『マスター、たべない。モッタイナイ』とある。
「それはホクサイの実験作なの。確認もせず簡単に口に入れて…。異物が混入していたらどうするの」彼女は深い溜息をついて、ナインティの頭を優しく撫でた。「私はおまえの怪我は癒せても、食中毒まで治癒できる自信は無いわ」
「マスター〜、酷い言い草だよぉ…」ボクちゃん傷ついちゃう、泣いちゃう、とホクサイが構ってちゃんモードに突入しかけたので、「お黙り」と彼女はそれを制す。
『………』
「私の心配が分かるわね?」
ナインティはこくりと神妙に頷く。この貴銃士は決して口を開かないが、誰よりも素直で物分かりが良い。
『はんせい。ゴメン』
「良い子ね」
彼女はナインティの頭を軽く叩いて、行ってよろしいと合図する。腹ペコ貴銃士は、驚異的な身体能力ですぐさま廊下の角へと姿を消した。
「今度はきっと、マスターちゃんに食べさせてあげるからね!」
大きく手を振ってナインティを見送ったホクサイは、目をきらきらと輝かせて意気揚々と宣言する。
「青いイチゴね…」彼女は先ほど手渡された真っ青なイチゴを思い出して、顔を顰めた。
「やっぱり駄目。舌まで青くなりそう」
「マスタあああ〜〜〜!」
ホクサイの我慢が限界に達したらしい。ガバッと首根っこに抱きつかれて、わあわあと大袈裟に泣きつかれてしまった。
「ヒドイ! ヒドイよ!! イチゴを青くする実験は、サクラを青く咲かせるための準備段階だったのに!!」
「桜を青く…?」
彼女の脳裏を何かが掠める。遠い記憶の糸を辿れば、この既視感の正体が掴める。そんな気がした。
(……? きっと気のせいね)
だが、戦いの日々に押し流された日常の記憶は、簡単には引き戻せないらしい。
幼き頃、彼に語った言葉をすっかり忘れて、彼女はクスッと可笑しそうに微笑んだ。
「随分と、ロマンチックなこと」
青い桜は美しいだろう、と君は言った。
君が忘れてしまっても、僕はそれを覚えている。
イチゴは青くした。カーネーションも青くなったよ。これから色々な植物で、青い桜のヒントを探るんだ。
君にそれを見せるために。
そうしたら君が言ったこと、君は思い出してくれるかな。
幼い彼女と『日本の伝統色』を夢中で覗き込んだ夜から、もう12年。
花紺青の桜は、まだ咲かない。
(プルシアンブルー)
少女はベッドの上に座り込み、本を広げて、色見本のページを食い入るように見つめている。その本によると、プルシアンブルーとは和名で「紺青色」と呼ぶそうだ。
(こんじょういろ…)
彼女の良く知る貴銃士は、紺青色の事を「プルシアンブルー」と呼びこよなく愛している。彼が英語でその名を呼ぶという事は、やはり欧州の生まれなのであろうか。コードネームは「ホクサイ」なのに。
ふーむと難しい顔で顎に片手を添えて考え込んでいると、コンコンとドアをノックする音。振り返ると、ドアの隙間から「やあ」とホクサイがひょっこり顔を出していた。
「お嬢ちゃん、今晩の御守りはボクちゃんだよ!」
「おまえの好きなプルシアンブルーは、『花紺青』と呼ぶそうよ」
腹這いになってベッドに潜り込んだ二人は、一冊の本を広げている。『日本の伝統色』という題の本で、彼女が通っている学校の図書館で借りてきたものだ。
「へえ?」ホクサイは、彼女の知識欲に感心しながら、頬杖をついて問いかける。「花紺青って呼ぶくらいなら、花と関係のある色なのかい?」
いいえ、植物の花は関係ないの。彼女はそう首を横に振って、文面を指先でなぞりながら説明した。
「正しくは、『紺青色』と呼ばれるのだけど、その中でも『
紺青色とは、紫色を帯びた暗い青を差す。
「群青」と同じ藍銅鉱を原料とし、色が濃く結晶し冴えた紫みの青色を「紺青色」と呼ぶ。その中でも、天然に産するものを「石紺青」、人造のものを「花紺青」といい区別され、後者がホクサイの好むプルシアンブルーである。
プルシアンブルーとは「プロシアの青」の意だ。その名の通り、1700年代初頭のベルリンで、錬金術師のもとで顔料の製造を行っていた者によって偶然発明されたとされている。
「錬金術? ワオ」
彼女がそこまで説明すると、ホクサイは驚いたように笑った。錬金術というトラディショナルな言葉に、科学者としての血が騒いだようだ。
「それって今で言うところの科学だけど、昔のそれは呪術と大差ない代物だからね〜。はあ〜でも、なんだかワクワクする響きだね」
「その後パリで改良されたようだけれど、製造方法は秘密にされていたみたい。それが解明されたのは、1720年代のイギリス。その原料は、草木の灰と…」
彼女はそこまで読んで、うっと僅かに顔を顰めた。
「……ウシの血液ですって。生々しい」
「ほーらね」やっぱりだ、とホクサイは愉快そうにあははと笑った。「呪術っぽいだろう?」
その後プルシアンブルーは、中国の商人によって日本に大量に輸出され、急速に広まったという。大量輸入によって値段が下落したその顔料は、安価に入手できる美しい紺青色として、多くの浮世絵師たちに用いられた。
かくして紺青色は、天然物である「石紺青」と、人の手によって造られた「花紺青」に分かたれたのである。
「はあ…」
少女はごろんと仰向けに姿勢を変え、ページを広げたままお腹の上に本を乗せ、満足そうに呟いた。
「色にも歴史あり、ね。なかなか興味深い内容だったわ」
「ウンウン! ボクちゃんも、君がそんなにプルシアンブルーを愛していたなんて知らなかったよ〜」
「愛してないわ。だから知ろうとしたの。でも、お陰で良く分かった。おまえが気に入るのも、拘るのも良く分かる」
彼女はもう一度本を持ち上げ、色見本のページを眺めながら感嘆の声を漏らした。
「同じだと思っていた青色でも、こんなに種類があるんだもの。しかも、その一つ一つに意味や歴史がある。色の世界って深いのね。底無しね」
「君も自分の血を青くしたいと思う?」
ホクサイからの怪しげな問い掛けを、「いえ別に」と彼女はすっぱり断っておく。プルシアンブルーの歴史は存外興味深いものであったが、それとこれとは話が別だ。飛躍し過ぎている。
「血よりも他に、青くしたら美しいものがあるんじゃなくて?」
「ええ〜、例えば?」
「そうね……、桜の花とか」
その昔、夜空に浮かぶ月を持ち帰りたいと無茶を言った幼い将軍がいた。桜の花を青くすると言うことは、その伝承と同じくらい、非科学的で望みのない思いつきだと自覚している。「君の血をボクちゃんが青くしてあげるよ!」とホクサイに迫られる事が怖くて、彼の興味をそこから離せる話題を提供できるのならば、内容は何でも良かった。適当な答えだった。
「桜の花……」
ホクサイは、少女の零した何気ない一言を反芻する。なるほどそれは盲点だったと言わんばかりの、目から鱗の大発見だったようで、彼の瞳に科学者の光が宿る。
「オーケー、お嬢ちゃん」
眠そうな様子の彼女にクスリと小さく笑みを浮かべ、ホクサイは自分に言い聞かせるように囁いた。
「君を感動させるくらいの青い桜を、ボクちゃんがきっと見せてあげるよ」
***
「マスタああ〜!!」
勤務中、廊下を歩いていると後ろから声をかけられる。振り向くと、声の主がズイと顔を近づけて、「ほら!」と何かを差し出された。思わず両手で受け取ってしまう。
「ホクサイ…、これは?」
「イチゴだよ、マスター! しかも、真っ青だよ。マスターの好きなプルシアンブルー!」
「プルシアンブルーは好きだけれど、果物はちょっと…」
アメリカンスイーツか、と突っ込みを入れたくなるほど、見事なまでに真っっっ青なイチゴである。毒でも入っているんじゃないのか、と無条件に身構えてしまう。
「これを食べろと?」
警戒したまま彼女が尋ねると、「ウン」とホクサイはあっさりと頷いた。
「ダイジョーブ、味は保証するよ〜」
「きちんと試食したんでしょうね?」
「ヘーキヘーキ」
一体何が平気なのだ。試食しなくても平気ということだろうか。だとしたら、彼女は彼のモルモット第一号ということになる。
「モルモットは御免だわ」
そう言って青いイチゴを突き返したのも束の間、ホクサイと彼女の目の前をビュンと何かが高速で過ぎ去り、手にしていたイチゴの房を掠め取られる。
「…ナインティ」
彼女の冷静な呼び声に反応した物体が、高速バック転で移動し再び側へと戻ってきた。
『ウマイ。いただき』
ブラックボードにはそう感想が記され、ナインティは満足そうに目を細めている。
「美味しい? そっかそっか〜」
それを見て、ホクサイも嬉しそうに声を弾ませる。実験成功というわけだ。
「ナインティ、勝手に食べ物を掠め取ってはいけません。はしたないから止しなさい」
「ーー、ーーー!!」
何かを必死で訴えかけるナインティ。ブラックボードに目をやると、『マスター、たべない。モッタイナイ』とある。
「それはホクサイの実験作なの。確認もせず簡単に口に入れて…。異物が混入していたらどうするの」彼女は深い溜息をついて、ナインティの頭を優しく撫でた。「私はおまえの怪我は癒せても、食中毒まで治癒できる自信は無いわ」
「マスター〜、酷い言い草だよぉ…」ボクちゃん傷ついちゃう、泣いちゃう、とホクサイが構ってちゃんモードに突入しかけたので、「お黙り」と彼女はそれを制す。
『………』
「私の心配が分かるわね?」
ナインティはこくりと神妙に頷く。この貴銃士は決して口を開かないが、誰よりも素直で物分かりが良い。
『はんせい。ゴメン』
「良い子ね」
彼女はナインティの頭を軽く叩いて、行ってよろしいと合図する。腹ペコ貴銃士は、驚異的な身体能力ですぐさま廊下の角へと姿を消した。
「今度はきっと、マスターちゃんに食べさせてあげるからね!」
大きく手を振ってナインティを見送ったホクサイは、目をきらきらと輝かせて意気揚々と宣言する。
「青いイチゴね…」彼女は先ほど手渡された真っ青なイチゴを思い出して、顔を顰めた。
「やっぱり駄目。舌まで青くなりそう」
「マスタあああ〜〜〜!」
ホクサイの我慢が限界に達したらしい。ガバッと首根っこに抱きつかれて、わあわあと大袈裟に泣きつかれてしまった。
「ヒドイ! ヒドイよ!! イチゴを青くする実験は、サクラを青く咲かせるための準備段階だったのに!!」
「桜を青く…?」
彼女の脳裏を何かが掠める。遠い記憶の糸を辿れば、この既視感の正体が掴める。そんな気がした。
(……? きっと気のせいね)
だが、戦いの日々に押し流された日常の記憶は、簡単には引き戻せないらしい。
幼き頃、彼に語った言葉をすっかり忘れて、彼女はクスッと可笑しそうに微笑んだ。
「随分と、ロマンチックなこと」
青い桜は美しいだろう、と君は言った。
君が忘れてしまっても、僕はそれを覚えている。
イチゴは青くした。カーネーションも青くなったよ。これから色々な植物で、青い桜のヒントを探るんだ。
君にそれを見せるために。
そうしたら君が言ったこと、君は思い出してくれるかな。
幼い彼女と『日本の伝統色』を夢中で覗き込んだ夜から、もう12年。
花紺青の桜は、まだ咲かない。