現代銃と娘ちゃん
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【銃と喧嘩は城の華】
「おねーちゃん、機嫌悪いねぇ」
一緒に遊んでいたきゅるちゅが、会議室の窓から庭を眺めて、目敏くその姿を見つける。
「誰かと破局したのかな?」きゅるちゅは、心配するどころか嬉しそうに微笑む。
「そうしたらぼくがちょーっと細工して、そいつとおねーちゃんの仲を再起不能にしてやるんだ〜」
そうして一人ずつ潰していって、いつかおねーちゃんをぼくだけのモノにするの、と彼は得意げに言った。
ナインティは呆れたようなジト目を向けつつ、『がんばれ』と優しい言葉を掲げる。
言葉は、優しい気持ちを伝えるためにあるのだ。誰かを傷つける為の道具であってはならない。そんな事をこの小悪魔に伝えたところで、一笑されて終了だ。だからナインティは黙っている。
きゅるちゅと一緒に窓から顔を出し、彼女の姿を捉える。
ナインティは、いつも彼女を注意深く観察していた。その表情を読み取れば、彼女が誰と喧嘩をしたのかが分かるからだ。ここからでは彼女の顔を伺う事は難しいが、表情というのは、なにも顔だけに表れるものではない。歩き方や仕草も、立派な表情なのだ。
彼女は肩を位切らせて歩いている。お気に入りのハイヒールを片手で持ち、裸足で芝生を踏み締め、時たま地面を蹴るように歩を進める。随分とご立腹な様子だ。
これはあいつと喧嘩したな、とナインティの目には明らかだった。
気配を感じて、彼女は目を開ける。
視界に広がる青空を遮るように、ナインティが覗き込んでいる。
芝生の上に仰向けに寝転んでいた彼女は、突然の来訪者に深い溜息を吐いた。
「ごめんねナインティ。今、お菓子の持ち合わせが無いの。おまえにあげられる物は何も無いわ」
そう追い返そうとした彼女は、彼の掲げたブラックボードの文字を追い、驚いたように目を見開く。
「大丈夫って、一体何が?」
ナインティは、彼女の問いかけへの答えを書き込む。
『ベルガーと、けんか。よくない』
「どうして分かったの?」彼女は上体を起こして、目を丸くしてナインティを見つめる。こんな風に驚いた表情の彼女は、隙があって愛らしい。彼はそう思い、目を細めた。
『ベルガー、なにした?』
「あの子、私のチョコミントアイスを食べちゃったの! 次の任務を完遂したら食べようと思って、冷蔵庫に保管してたのに……」
『ヒドイ。サイアク』
「でしょう?」
『でも、もっとヒドイの、イライラ』
「え?」
『ビヨウのタイテキ。だいもんだい!』
「まあ、ナインティったら」思わず吹き出して、彼女は明るい声を上げた。「エフみたいな事を言うのね。びっくりだわ」
彼女が笑顔を見せたところで、ナインティは小さく折り畳んだ一枚の紙を差し出した。彼女はそれを不思議そうに受け取り、首を傾げる。
「なあに、これ。手紙?」
真っ白な紙。そこに記された、お世辞にも上手いとは言えぬ文字。
「……ベルガーの字ね」
ナインティは、彼女の呟きにただ頷く。
「まったく、あの子ったら。こんなの、直接私に言えばいいのに。変に小心者なんだから」
そう言いつつも、彼女は嬉しそうに目を細める。紙の上に残されたベルガーの稚拙な文字に、慈愛に満ちた優しい瞳を向ける。
【悪かった。許せ】
手紙とも呼べぬ短い一文。
その言葉を、君に届けたかったんだ。
届いて、良かった。
「ベルガーを許しに行くわ」
彼女は足の裏についた土を払いながら、芝生に放り投げてしまったハイヒールをきょろきょろと探す。
『オッケイ』
ボードを持った方とは反対の手で、彼は彼女にハイヒールを差し出した。
準備がいいのね、と彼女は微笑む。
ナインティは、自分がベルガーに無理やりその一文を書かせた事は言わなかった。
あの貴銃士は、謝罪の言葉も思いつかない程の大馬鹿だ。自分が悪いと分かってはいるのだが、何が悪いのかまでは把握していない。彼から事情を聞き出したナインティが、ベルガーらしい謝罪の言葉を並べ立てたのである。
ベルガーと彼女の喧嘩は、ほとんどの確率でベルガーに非がある。そのため、彼が謝って彼女が許せば、事は丸く収まるのだ。
どうしてわざわざ面倒な仲裁役に回るのかって?
単純な事だ。
苛々を募らせる彼女より、こうして笑ってくれる彼女の方が、断然喜ばしいからね。
***
「何でファルちゃんがマスターの事務仕事を引き受けてるの?」
本来であればマスターから受け取るはずの資料を届けに来た兄に、エフは目を丸くする。
「急に呼び出されたと思ったら、あっという間に押し付けられました」
「あら珍しい。でも、そんな間が抜けたファルちゃんも素敵よ」
「わざと引き受けて差し上げたのです。マスターは何やらお怒りのご様子でした。下手に断って機嫌を損ねでもしたら終わりです」
女性のヒステリーほど面倒なものは無いですからね、とファルは眼鏡を押し上げる。
「ファルちゃんって、相手の女の子が本気になったら速攻逃げるタイプよね。ほんと、罪な男」
「どうも」
エフの分析に構う事無く、ファルはさっさと自分の仕事に戻ろうとした。その時、偶然居合わせたナインティとはたと目が合う。
「あら、ナインティちゃん。どうしたの?」
やっほー、とエフが片手で挨拶をする。ナインティも真似して片手で応える。
『マスター、ごきげんナナメ?』
先程の会話を聞いていたのか、ブラックボードにはそう記されている。ええ、とファルは頷いた。
「変なとばっちりを食らわぬよう、貴方も気をつけた方が良いですよ」
『マスター、どんなふうに、おこ?』
「おこ? ……どんな様子で怒っていたか、という事でしょうか」
ファルは飲み込みが早くて助かる。ナインティは頷き、彼に先を促した。
「そうですねぇ。むすっ、という感じでしょうか。何やらご不満のようで、なんとも幼稚な顔でした」
ファルの観察眼もなかなかのものだ、とナインティは素直に感心した。
間違いないと確信する。
『マスター、きっと、ホクサイとケンカ』
「……そうなんですか?」何で分かるんだ、とファルは納得がいかない様子だ。
「すご〜い。エスパー・ナインティちゃん!」
エフが小さく拍手を送った。
「ホクサイがどうかしたか、ですって?」
羽根ペンでさらさらと書類にサインを書き込みながら、彼女はじろりとブラックボードの文字を睨んだ。ファルに押し付けた仕事など、ほんの一部である。マスターは何かと忙しい。
ナインティは、彼女のデスクの向かいにあるソファに腰掛け、クッキーをもさもさと頬張りながら、冷たい視線を受け止める。神出鬼没のナインティがいつ来ても困らぬよう、彼女は執務室に大量のお菓子を常備していた。このクッキーもその一つだ。
ナインティの呑気なお菓子タイムに毒気を抜かれた彼女は、羽根ペンをインク壺に戻し、椅子の背もたれに背中を預け、はあと大きな溜息を吐く。そうして、事の顛末を話し始めた。
ホクサイは、食事中にいちいち食べ物の熱量を計算し、その食事を摂取することにより増加する彼女の体重をグラム単位で指摘した。それを三日三晩続け、ついに彼女の堪忍袋の尾が切れた。
「貴銃士やめて管理栄養士でもやりなさいよ」
そう言い捨てて、今日一日無視を決め込んでいるらしい。
なぜ彼がそのような奇行に走ったのかは想像できる。大方、「痩せたい」という彼女の口癖を真に受けたのだろう。そう言いながら甘い物で幸福を得るのが女というもの。
女性にとって「痩せたい」願望は虚構なのだ。
「カロリー計算機か!!」
一通り話し終えたところで沸々と怒りが湧いたのか、声を荒げて重厚なデスクをばしんと片手で叩きつける。インク壺が振動し、僅かにインクが溢れたが、彼女はお構い無しに話を続けた。
「ねえナインティ。私、悪くないわよね?」
『わ』
「そうよね? 私悪くないの」
ナインティは手を止め、まだ何も書いてないぜ、と非難の視線を彼女に向けた。
「おかげで三度の食事が億劫になったわ。食事が楽しくないだなんて、生き地獄よ。この世の苦痛の集大成」
分かるぜ、とナインティは深々と頷く。食に対する姿勢に関しては、彼女と全く同意見だ。
「あの子は食に興味が無いのよ。任務中も、レーションが美味しいなんて言い出すの。私からしてみれば粗食の極みなのだけど。そう言ったら、食べる物があるだけマシでしょ、なんて偉そうな事言うのよ?」
生意気なんだから、と彼女はむくれる。確かに生意気かもしれないが、ホクサイの言う事は正しい。彼女もそれを理解している。だからこそ、自分の未熟さを指摘されて腹を立てるのだ。
まったく、コイツらはややこしい。
マスターとホクサイは正反対だ。
法と歴史、文化や芸術に重きを置く彼女は文系。はたまた彼は、物理・化学・薬学その他数理科学に精通する理系。前者は言葉で、後者は数字で思考する。話す言語が異なっている、と言っても過言ではない。
そんな正反対の性質を持つ彼らは、不思議な事に仲が良い。話が噛み合わないと思いきや、相手の発想に新鮮な伊吹を感じるようで、なかなか気が合っている。磁石のプラスとマイナスのようだ。
しかし、元々異なる性質を持つ二人だから、一旦歯車が狂い出すとさあ大変。喧嘩を始めると、互いに相手が悪いと決めつけ、自身を完全に正当化する。泥沼の長期戦となる場合もあれば、一気に燃え上り急速に収束する短期決戦の場合もある。気まぐれ者同士のペースで、勝手に争いを終えるのだ。
要するに、マスターとホクサイが喧嘩をした場合は、変に仲裁に入らず聞き役に徹して、ゆっくりと経過を観察すればいい。彼らは飽きっぽい質だから、怒りもそれほど持続しない。ある日突然けろっと仲直りをするはずだ。それを気長に待てば良い。
だからナインティは、彼女の愚痴を聞きながら、のんびりとクッキーを咀嚼できた。
「来年度の研究予算、大幅に削減してやろうかしら」
彼女はデスクに頬杖を突き、宙を見つめてぼそりと呟く。
『職権濫用』
ナインティが堪らずそう窘めると、あらと彼女は可笑しそうに笑った。
「ナインティってば、難しい字を知っているのね」
愚痴を聞いてもらいすっきりしたのか、マスターは機嫌を直したようだ。後はホクサイの所へ出向いて、あいつの言い分も聞いてやれば、二人とも気が済むだろう。
やれやれ、とナインティは大きな溜息。
こいつらのお守りもラクじゃないぜ。
***
ッダァン、という大音響。
「鬼畜眼鏡」
「我儘お嬢様」
ナインティは、城内地下の射撃場で、隣り合ってハンドガンを撃ち込んでいるマスターとファルの姿を目撃した。
「変態」
「傲慢」
ズダン、と鈍い重低音。
「非人間」マガジンを装着した彼女は、右隣の貴銃士に冷たい視線を送る。
「銃ですからね」同じくマガジンを取り替えたファルは、左隣の彼女にふんと笑いかけた。
実銃の発砲音が響く中でも、彼らは相手の貶し文句を漏れなく聞きとり、マグナム弾を的に命中させながら、言葉の弾をも発射する。こんな器用な口喧嘩は見た事も無い。ナインティは二人の後ろ姿を見守りながら、その鮮やかな手口に思わず見惚れてしまった。
彼らが射撃場で撃ち合っているのは、威力と実用性をギリギリレベルで共存させたハンドガン、デザートイーグル。「ハンドキャノン」の異名を持ち、殺傷力は非常に強い。貫通力に関しては、アサルトライフルの弾丸と肩を並べる程だと云う。
マスターは、時たま射撃場にデザートイーグルを撃ちに来る。射撃の訓練も兼ねてはいるが、専ら趣味で撃っている。ハンドガンでありながら、威力は強力、実用性もまずまず。そんなデザートイーグルは、彼女のお気に入りなのだ。
しかし残念な事に、この銃を戦闘で扱う事は彼女にはまだ難しい。正しい射撃姿勢で撃てば非力な女性でも扱い易いと言われるが、実戦で扱うにはそれなりの訓練が必要だ。高威力ゆえに、横着な扱いをすれば反動で怪我をする事になる。
射撃場は、彼女がデザートイーグルに触れられる憩いの場、ストレス発散の聖地であるはず。
そこにファルが現れたものだから、自分の聖域が侵された事に腹を立てたに違いない。
彼女の不機嫌そうな後ろ姿を見つめながら、はてとナインティは首を傾げた。
彼女は今、不機嫌なのだろうか?
「デザートイーグルの方がよっぽど紳士ね」彼女は小さく溜息を漏らし、再び射撃姿勢をとる。「少しはこの子の命中率を見習ったら?」
「聞き捨てならない台詞ですね」ファルはやれやれと肩をすくめる。「本体 の命中率が悪いとでも仰るのですか?」
「ベトナムの件、忘れたとは言わせないわよ」
「お〜っと。射撃音が煩くて聞こえませんねぇ〜」
ドンドン、パンパンと渇いた音を響かせながら、言葉の応酬を交わす彼ら。
一見、ぴんと張り詰めたように感じる空気は、実は和やかなものだった、とナインティは気が付いた。
「あら珍しい。貴方がそんな風にとぼけるなんて。余程ジャングルに懲りたのね」
「ジャングル舐めると死にますよ、貴女」
ファルはそう言って冷たく微笑む。その地に何か嫌な思い出でもあるようだ。
彼の弱味を突く事に成功した彼女は、楽しそうに笑っていた。ナインティはそんなマスターの横顔を確認し、自分が関わるまでもないと射撃場を後にする。
あの二人は、ああして嫌味を酌み交わす事で、相手の気分や調子を推し測っているらしい。口喧嘩がコミュニケーションだなんて、歪んでいるにも程がある。
呆れてものも言えないが、元来自分はものが言えない貴銃士だった、とくすりと微笑む。
喧嘩するほど貴銃士たちと仲が良いマスターを、ナインティは今日も見守っている。
「おねーちゃん、機嫌悪いねぇ」
一緒に遊んでいたきゅるちゅが、会議室の窓から庭を眺めて、目敏くその姿を見つける。
「誰かと破局したのかな?」きゅるちゅは、心配するどころか嬉しそうに微笑む。
「そうしたらぼくがちょーっと細工して、そいつとおねーちゃんの仲を再起不能にしてやるんだ〜」
そうして一人ずつ潰していって、いつかおねーちゃんをぼくだけのモノにするの、と彼は得意げに言った。
ナインティは呆れたようなジト目を向けつつ、『がんばれ』と優しい言葉を掲げる。
言葉は、優しい気持ちを伝えるためにあるのだ。誰かを傷つける為の道具であってはならない。そんな事をこの小悪魔に伝えたところで、一笑されて終了だ。だからナインティは黙っている。
きゅるちゅと一緒に窓から顔を出し、彼女の姿を捉える。
ナインティは、いつも彼女を注意深く観察していた。その表情を読み取れば、彼女が誰と喧嘩をしたのかが分かるからだ。ここからでは彼女の顔を伺う事は難しいが、表情というのは、なにも顔だけに表れるものではない。歩き方や仕草も、立派な表情なのだ。
彼女は肩を位切らせて歩いている。お気に入りのハイヒールを片手で持ち、裸足で芝生を踏み締め、時たま地面を蹴るように歩を進める。随分とご立腹な様子だ。
これはあいつと喧嘩したな、とナインティの目には明らかだった。
気配を感じて、彼女は目を開ける。
視界に広がる青空を遮るように、ナインティが覗き込んでいる。
芝生の上に仰向けに寝転んでいた彼女は、突然の来訪者に深い溜息を吐いた。
「ごめんねナインティ。今、お菓子の持ち合わせが無いの。おまえにあげられる物は何も無いわ」
そう追い返そうとした彼女は、彼の掲げたブラックボードの文字を追い、驚いたように目を見開く。
「大丈夫って、一体何が?」
ナインティは、彼女の問いかけへの答えを書き込む。
『ベルガーと、けんか。よくない』
「どうして分かったの?」彼女は上体を起こして、目を丸くしてナインティを見つめる。こんな風に驚いた表情の彼女は、隙があって愛らしい。彼はそう思い、目を細めた。
『ベルガー、なにした?』
「あの子、私のチョコミントアイスを食べちゃったの! 次の任務を完遂したら食べようと思って、冷蔵庫に保管してたのに……」
『ヒドイ。サイアク』
「でしょう?」
『でも、もっとヒドイの、イライラ』
「え?」
『ビヨウのタイテキ。だいもんだい!』
「まあ、ナインティったら」思わず吹き出して、彼女は明るい声を上げた。「エフみたいな事を言うのね。びっくりだわ」
彼女が笑顔を見せたところで、ナインティは小さく折り畳んだ一枚の紙を差し出した。彼女はそれを不思議そうに受け取り、首を傾げる。
「なあに、これ。手紙?」
真っ白な紙。そこに記された、お世辞にも上手いとは言えぬ文字。
「……ベルガーの字ね」
ナインティは、彼女の呟きにただ頷く。
「まったく、あの子ったら。こんなの、直接私に言えばいいのに。変に小心者なんだから」
そう言いつつも、彼女は嬉しそうに目を細める。紙の上に残されたベルガーの稚拙な文字に、慈愛に満ちた優しい瞳を向ける。
【悪かった。許せ】
手紙とも呼べぬ短い一文。
その言葉を、君に届けたかったんだ。
届いて、良かった。
「ベルガーを許しに行くわ」
彼女は足の裏についた土を払いながら、芝生に放り投げてしまったハイヒールをきょろきょろと探す。
『オッケイ』
ボードを持った方とは反対の手で、彼は彼女にハイヒールを差し出した。
準備がいいのね、と彼女は微笑む。
ナインティは、自分がベルガーに無理やりその一文を書かせた事は言わなかった。
あの貴銃士は、謝罪の言葉も思いつかない程の大馬鹿だ。自分が悪いと分かってはいるのだが、何が悪いのかまでは把握していない。彼から事情を聞き出したナインティが、ベルガーらしい謝罪の言葉を並べ立てたのである。
ベルガーと彼女の喧嘩は、ほとんどの確率でベルガーに非がある。そのため、彼が謝って彼女が許せば、事は丸く収まるのだ。
どうしてわざわざ面倒な仲裁役に回るのかって?
単純な事だ。
苛々を募らせる彼女より、こうして笑ってくれる彼女の方が、断然喜ばしいからね。
***
「何でファルちゃんがマスターの事務仕事を引き受けてるの?」
本来であればマスターから受け取るはずの資料を届けに来た兄に、エフは目を丸くする。
「急に呼び出されたと思ったら、あっという間に押し付けられました」
「あら珍しい。でも、そんな間が抜けたファルちゃんも素敵よ」
「わざと引き受けて差し上げたのです。マスターは何やらお怒りのご様子でした。下手に断って機嫌を損ねでもしたら終わりです」
女性のヒステリーほど面倒なものは無いですからね、とファルは眼鏡を押し上げる。
「ファルちゃんって、相手の女の子が本気になったら速攻逃げるタイプよね。ほんと、罪な男」
「どうも」
エフの分析に構う事無く、ファルはさっさと自分の仕事に戻ろうとした。その時、偶然居合わせたナインティとはたと目が合う。
「あら、ナインティちゃん。どうしたの?」
やっほー、とエフが片手で挨拶をする。ナインティも真似して片手で応える。
『マスター、ごきげんナナメ?』
先程の会話を聞いていたのか、ブラックボードにはそう記されている。ええ、とファルは頷いた。
「変なとばっちりを食らわぬよう、貴方も気をつけた方が良いですよ」
『マスター、どんなふうに、おこ?』
「おこ? ……どんな様子で怒っていたか、という事でしょうか」
ファルは飲み込みが早くて助かる。ナインティは頷き、彼に先を促した。
「そうですねぇ。むすっ、という感じでしょうか。何やらご不満のようで、なんとも幼稚な顔でした」
ファルの観察眼もなかなかのものだ、とナインティは素直に感心した。
間違いないと確信する。
『マスター、きっと、ホクサイとケンカ』
「……そうなんですか?」何で分かるんだ、とファルは納得がいかない様子だ。
「すご〜い。エスパー・ナインティちゃん!」
エフが小さく拍手を送った。
「ホクサイがどうかしたか、ですって?」
羽根ペンでさらさらと書類にサインを書き込みながら、彼女はじろりとブラックボードの文字を睨んだ。ファルに押し付けた仕事など、ほんの一部である。マスターは何かと忙しい。
ナインティは、彼女のデスクの向かいにあるソファに腰掛け、クッキーをもさもさと頬張りながら、冷たい視線を受け止める。神出鬼没のナインティがいつ来ても困らぬよう、彼女は執務室に大量のお菓子を常備していた。このクッキーもその一つだ。
ナインティの呑気なお菓子タイムに毒気を抜かれた彼女は、羽根ペンをインク壺に戻し、椅子の背もたれに背中を預け、はあと大きな溜息を吐く。そうして、事の顛末を話し始めた。
ホクサイは、食事中にいちいち食べ物の熱量を計算し、その食事を摂取することにより増加する彼女の体重をグラム単位で指摘した。それを三日三晩続け、ついに彼女の堪忍袋の尾が切れた。
「貴銃士やめて管理栄養士でもやりなさいよ」
そう言い捨てて、今日一日無視を決め込んでいるらしい。
なぜ彼がそのような奇行に走ったのかは想像できる。大方、「痩せたい」という彼女の口癖を真に受けたのだろう。そう言いながら甘い物で幸福を得るのが女というもの。
女性にとって「痩せたい」願望は虚構なのだ。
「カロリー計算機か!!」
一通り話し終えたところで沸々と怒りが湧いたのか、声を荒げて重厚なデスクをばしんと片手で叩きつける。インク壺が振動し、僅かにインクが溢れたが、彼女はお構い無しに話を続けた。
「ねえナインティ。私、悪くないわよね?」
『わ』
「そうよね? 私悪くないの」
ナインティは手を止め、まだ何も書いてないぜ、と非難の視線を彼女に向けた。
「おかげで三度の食事が億劫になったわ。食事が楽しくないだなんて、生き地獄よ。この世の苦痛の集大成」
分かるぜ、とナインティは深々と頷く。食に対する姿勢に関しては、彼女と全く同意見だ。
「あの子は食に興味が無いのよ。任務中も、レーションが美味しいなんて言い出すの。私からしてみれば粗食の極みなのだけど。そう言ったら、食べる物があるだけマシでしょ、なんて偉そうな事言うのよ?」
生意気なんだから、と彼女はむくれる。確かに生意気かもしれないが、ホクサイの言う事は正しい。彼女もそれを理解している。だからこそ、自分の未熟さを指摘されて腹を立てるのだ。
まったく、コイツらはややこしい。
マスターとホクサイは正反対だ。
法と歴史、文化や芸術に重きを置く彼女は文系。はたまた彼は、物理・化学・薬学その他数理科学に精通する理系。前者は言葉で、後者は数字で思考する。話す言語が異なっている、と言っても過言ではない。
そんな正反対の性質を持つ彼らは、不思議な事に仲が良い。話が噛み合わないと思いきや、相手の発想に新鮮な伊吹を感じるようで、なかなか気が合っている。磁石のプラスとマイナスのようだ。
しかし、元々異なる性質を持つ二人だから、一旦歯車が狂い出すとさあ大変。喧嘩を始めると、互いに相手が悪いと決めつけ、自身を完全に正当化する。泥沼の長期戦となる場合もあれば、一気に燃え上り急速に収束する短期決戦の場合もある。気まぐれ者同士のペースで、勝手に争いを終えるのだ。
要するに、マスターとホクサイが喧嘩をした場合は、変に仲裁に入らず聞き役に徹して、ゆっくりと経過を観察すればいい。彼らは飽きっぽい質だから、怒りもそれほど持続しない。ある日突然けろっと仲直りをするはずだ。それを気長に待てば良い。
だからナインティは、彼女の愚痴を聞きながら、のんびりとクッキーを咀嚼できた。
「来年度の研究予算、大幅に削減してやろうかしら」
彼女はデスクに頬杖を突き、宙を見つめてぼそりと呟く。
『職権濫用』
ナインティが堪らずそう窘めると、あらと彼女は可笑しそうに笑った。
「ナインティってば、難しい字を知っているのね」
愚痴を聞いてもらいすっきりしたのか、マスターは機嫌を直したようだ。後はホクサイの所へ出向いて、あいつの言い分も聞いてやれば、二人とも気が済むだろう。
やれやれ、とナインティは大きな溜息。
こいつらのお守りもラクじゃないぜ。
***
ッダァン、という大音響。
「鬼畜眼鏡」
「我儘お嬢様」
ナインティは、城内地下の射撃場で、隣り合ってハンドガンを撃ち込んでいるマスターとファルの姿を目撃した。
「変態」
「傲慢」
ズダン、と鈍い重低音。
「非人間」マガジンを装着した彼女は、右隣の貴銃士に冷たい視線を送る。
「銃ですからね」同じくマガジンを取り替えたファルは、左隣の彼女にふんと笑いかけた。
実銃の発砲音が響く中でも、彼らは相手の貶し文句を漏れなく聞きとり、マグナム弾を的に命中させながら、言葉の弾をも発射する。こんな器用な口喧嘩は見た事も無い。ナインティは二人の後ろ姿を見守りながら、その鮮やかな手口に思わず見惚れてしまった。
彼らが射撃場で撃ち合っているのは、威力と実用性をギリギリレベルで共存させたハンドガン、デザートイーグル。「ハンドキャノン」の異名を持ち、殺傷力は非常に強い。貫通力に関しては、アサルトライフルの弾丸と肩を並べる程だと云う。
マスターは、時たま射撃場にデザートイーグルを撃ちに来る。射撃の訓練も兼ねてはいるが、専ら趣味で撃っている。ハンドガンでありながら、威力は強力、実用性もまずまず。そんなデザートイーグルは、彼女のお気に入りなのだ。
しかし残念な事に、この銃を戦闘で扱う事は彼女にはまだ難しい。正しい射撃姿勢で撃てば非力な女性でも扱い易いと言われるが、実戦で扱うにはそれなりの訓練が必要だ。高威力ゆえに、横着な扱いをすれば反動で怪我をする事になる。
射撃場は、彼女がデザートイーグルに触れられる憩いの場、ストレス発散の聖地であるはず。
そこにファルが現れたものだから、自分の聖域が侵された事に腹を立てたに違いない。
彼女の不機嫌そうな後ろ姿を見つめながら、はてとナインティは首を傾げた。
彼女は今、不機嫌なのだろうか?
「デザートイーグルの方がよっぽど紳士ね」彼女は小さく溜息を漏らし、再び射撃姿勢をとる。「少しはこの子の命中率を見習ったら?」
「聞き捨てならない台詞ですね」ファルはやれやれと肩をすくめる。「
「ベトナムの件、忘れたとは言わせないわよ」
「お〜っと。射撃音が煩くて聞こえませんねぇ〜」
ドンドン、パンパンと渇いた音を響かせながら、言葉の応酬を交わす彼ら。
一見、ぴんと張り詰めたように感じる空気は、実は和やかなものだった、とナインティは気が付いた。
「あら珍しい。貴方がそんな風にとぼけるなんて。余程ジャングルに懲りたのね」
「ジャングル舐めると死にますよ、貴女」
ファルはそう言って冷たく微笑む。その地に何か嫌な思い出でもあるようだ。
彼の弱味を突く事に成功した彼女は、楽しそうに笑っていた。ナインティはそんなマスターの横顔を確認し、自分が関わるまでもないと射撃場を後にする。
あの二人は、ああして嫌味を酌み交わす事で、相手の気分や調子を推し測っているらしい。口喧嘩がコミュニケーションだなんて、歪んでいるにも程がある。
呆れてものも言えないが、元来自分はものが言えない貴銃士だった、とくすりと微笑む。
喧嘩するほど貴銃士たちと仲が良いマスターを、ナインティは今日も見守っている。