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可愛い子には旅をさせよ

【金曜日】



芝生の上に寝転がりぼうっと空を見上げる彼女は、「気疲れしたわ…」と独り言ちた。
ファルの顔でも見て、元気出したい。
「ちょっとやだ。女が外で大の字に寝そべるんじゃないわよ。襲われたいの?」
通りすがりのエフが彼女を見つけて声をかける。
「エフ。見てあの雲」彼女は右手を上げて、空に浮かぶ白い雲を指差した。「ファルの右肩に付いてる肩パッドみたいなヤツ。アレみたい」
「ああそうね」だめだわこのお嬢様、早くなんとかしないと。ファルちゃん不足でおかしくなってる。
「アンタってほんと、ファルちゃんの事好きよね」
呆れた様子のエフは、しゃがみ込んで彼女の顔を覗く。
「ええ好きよ」彼女は、ファルの顔立ちに何処と無く似ているエフの容貌に少々癒され、微笑み返す。「あの容貌は国宝級だもの」
性格なかみは?」
「なかみ?」ふんと彼女は鼻で笑った。
「クズね」
あの容貌がファルであることが悔やまれる、と彼女は忌々しそうに呟く。どうやら、彼の顔だけが好きなのだと思い込んでいるらしい。顔が好み過ぎて愛が歪みまくっちゃったのかしら、とエフは微笑んだ。
「エフ。なぜ笑うの?」
「良かったわねぇ、アンタ。ファルちゃん、もうすぐ基地に戻るって。さっきマスターの所に連絡寄越してきたのよ」
彼女はがばっと素早く上体を起こして眼を見張る。「凄い反応ね」とエフも驚いた。
「今日は金曜よね? 明日帰ってくるはずじゃ……」
「ファルちゃん社畜だからね〜。仕事が気になって休めもしないんじゃないかしら」
もしかしたらアンタに会いたくなったのかもよ、とエフは変な事を口にする。
「笑えない冗談ね」
そう言いつつも、彼女の瞳は生き生きと輝いていた。



「只今戻りました」
「遅い」
「予定よりは早いと思うのですが」
出発の日に彼を見送ったエントランスで、彼女は彼を迎え撃つ。腕を組んで、スーツケースとお土産袋を抱えた浮かれた男を睨み上げる。
「お姫様抱っこ」
「はい?」
「お姫様抱っこを要求します」
一体どんな貶し文句が飛び出すのかと思ったら、予想の斜め上をいく我儘発言に、ファルは肩透かしをくらった。
「……兵達がじろじろ見ますよ」
「構わないわ。貴方が嫌なら、見世物じゃありませんと威嚇射撃でもなさい」
「そんな野蛮な事誰がしますか。アインスじゃあるまいし」
ああ言えばこう言う。そう、この感じだ。やっと彼が帰ってきた実感が湧いてくる。
「仕方ないですね」ファルは困惑した表情で肩をすくめ、近くの見張りの兵士に荷物を持つよう指示を出す。スーツケースと土産を預け、手ぶらになった彼は、横向きになった彼女を易々と持ち上げてみせた。「これでよろしいですか」
「そのまま父の部屋まで運んで」
「正気ですか」こんな姿でマスターに挨拶に行ったら、殺されますよ私。
「マスターに休暇のお礼を言いに行くのでしょう?」彼女は楽しそうに微笑む。
「お言葉ですが、お嬢様」ファルの代わりにスーツケースを持った兵士が、おずおずと控え目に口を開いた。「あまりこの方に構われますと、お父上が……」
「黙りなさい」
「はっ」
彼女がイケメンにロックオンしてしまっては、モブ兵士の言葉など耳に入れるわけもない。兵士Aは、大人しく引き下がることにした。
「おまえ、今迄何をしていたの」
この私を差し置いて、と彼女の顔に書いてある。淑女がそのような表情を見せるとは、まだまだ私の教育が行き届いていませんね、とファルは気持ちを新たにした。
「それはお察しの通りかと。パリジェンヌは貴女と違って大層魅力的でした」
「……そう」
恨めしそうな瞳で睨む彼女。分かりやすい不貞腐れ方だ。
「ワインもそれは美味しかったですよ。つい飲みすぎてしまいまして。残念ながらよく覚えていませんが、もしかしたら男女の一線を越えてしまったことも無きにしも非ず」
「その顔に免じて許します」
「貴女どんだけ私のこと顔で甘やかすんですか」
二階へと上がる階段を進む。通行人の兵士たちが、何食わぬ顔で通り過ぎ、離れた場所から興味津々で見つめてくる。みな我が目を疑っていることだろう。
それにしても素敵な顔だ。彼女は久し振りにファルの容貌を見上げては思わず溜息を漏らす。この角度から見上げるのもまた絶景だ。お姫様抱っこも悪くない。
「会いたかったの」ファルの首に腕を回して彼女は囁く。絶景を眺めてすっかり機嫌を良くしている。
「気でも触れましたか」彼は全く動じない。
「私、おまえに会えなくて寂しかった」
「……医務室はまだ開いてましたかね」
これは重症だ、とファルは堪らず顔を顰める。こんな彼女は出会ってこの方見たことが無い。どうしたものか。
「それより貴女、重いですよ。たった5日間でどうやって太るんです?」
「…………」
「どうせ私が居ないのをいいことに、不摂生極まりない生活をしたのでしょう?」
「貴方がいなくなるのが悪い」彼女はぷんと頰を膨らませた。「しばらくこうして側にいなさい」
「まったく。その歳で駄々っ子ですか、貴女様は」
言いながら、そんな彼女を愛らしいと思っていることに気づき、おやとファルは首を傾げる。はて、これはアインスの親馬鹿に当てられたかな。
「マスターの部屋に着く前に貴女は降ろしますよ。変な誤解を招いては困ります」
「招いてみたら?」彼女は可笑しそうにクスッと笑った。「お父様の驚く顔が楽しみね」
「お気楽で羨ましい限りです……」
それよりいい加減腕が捥げるんですが、とファルは彼女に苦情を呈した。



『マスター娘ちゃん、おひめさま』
「あはは、どうしたのナインティ。急にそんなこと書いちゃって」
確かにおねーちゃんはお姫様扱いしたくなるくらい可愛いけど、ときゅるちゅは笑う。しかしナインティが指差す先に目を向けると、その愛らしい笑顔は一瞬消え、すぐに別の表情へと変化する。
「うわあ、何あれ〜! ファルがぼくのおねーちゃんをお姫様抱っこしてる!!」
口元に手を当ててわっと大袈裟に驚いてみせてから、ぼそりと低く呟いた。
「パパに報告しなくっちゃ」



きゅるちゅから迅速に報告を受けたマスターは、「いつかやると思っていた」などと呟いて、冷静であろうと努力した。
花壇を汚され憔悴していたアインスも、マスターの感情に同調してすっかりいつもの調子を取り戻すことが出来たようだ。
結成された冷徹なバディは、四階の踊り場で息を殺して目標を待つ。しばらくすると、三階へと上がる階段に、愛娘を抱えたファルが姿を現わす。娘はあろう事か、男の首に腕を回して楽しげにお喋りをしている。
彼の行為は私の信頼を侮辱する重大な裏切りだ。よって厳重に忠告する。
「アインス。あの間男を狙撃しろ」
マスターの冷血で厳かな命令に、アインスはぬっと本体を担ぎ上げる。
「Ja」
音もなく装填を完了させたスナイパーが、標的の眼鏡を打ち砕くまであと3秒。



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