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side story

【向日葵の迷宮】



庭園には向日葵が植えられている。
背の高い花は夏になると一斉に咲き誇り、その一角は、まるで迷路のようになる。
アインスの水遣りに庭へついて行った少女は、向日葵畑で迷子になった。背の高い花々は少女の視界を容易く遮り、何も見えなくなる。
「アインス……」不安になって、彼の名を呼ぶ。「どこ?」
その呼び声ですら、花に呑み込まれてしまいそう。
麦わら帽子のつばを掴み、少女はぐっと唇を噛む。外は暑いからな、と帽子を被せてくれたアインスの、あの大きな手が恋しい。どうしてあの手を離してしまったんだろう。勝手に走るな、と散々言われていたのに。
向日葵が日差しを遮っているから、少女はそれほど暑くない。なのに、汗が止まらない。頰がかっかと熱くて、息が苦しい。
「アインス!」小さな身体で、大きく叫んだ。「私はここ!」
向日葵は、ただ立ち尽くすだけ。
おとぎ話の世界のように、道を開いてもくれない。
「やだぁ……」少女はついに咽び泣き、その場にぺしゃんとうずくまった。

「お嬢」

おなかによく響く重低音。
怖いくらいに低いけれど、優しさもたくさん含んでいる。
少女が恐る恐る顔を上げると、向日葵畑の視界の上に、金の短髪の後頭部。
「アインス!!」喉がひりつくくらいの泣き声。
「こんなところにいやがったのか」やれやれ、と溜め息を漏らす彼の、心配そうな表情。「探したぜ。一体どうした。怪我したか?」
「怖かったぁ!!」少女はアインスの長い片脚にしがみつき、びいびい泣いた。
「怖かった?」彼は怪訝な顔で、少女の前にしゃがみ込む。「何がだ?」
向日葵は、とても背が高い。小さな自分は向日葵に隠れてしまって、誰にも見えない。見つけてもらえない。そう思ったら怖くなったのだと、泣きながら少女は訴える。
なんだそんなこと、とアインスは苦笑した。
「俺は狙撃手ってやつだ。知ってるか?」
アインスはタオルを手に取り、涙と鼻水でぐしゅぐしゅになった彼女の顔面を、ごしごしと拭った。
「そげきしゅ?」少女の濡れた瞳が、ぽかんとアインスを見つめる。「なにそれ」
「狙った獲物を、必ず仕留める奴のことだ。獲物がどこに隠れてもな。だから俺は、お嬢がどこに隠れても、必ず見つける。必ずだ」
「うん……」ほっと安心した様子で、彼女はこくりと小さく頷く。「私もアインスのこと、見つけたよ」
「俺が見つけてやったんだろーが」生意気なことを言いやがる、とアインスは朗らかに笑っていた。
「ほらよ。次は勝手に走るんじゃねぇぞ」
差し出された手を握ると、ぬっと彼の影が伸びる。
向日葵に囲まれたこの場所でも、アインスの身長は一番大きい。
「アインスが、向日葵より大きくて良かった」立ち上がる彼を眩しそうに見上げて、少女は呟く。「だから見つけられたんだよ」
「良かったじゃねぇか」
まるで他人事のように、澄ました横顔。
一番大きくて頼もしい、少女にとっての、憧れの狙撃手。



「マスター」
聞き慣れた低い声。
アインスのとはまた違う。けれど、彼に負けず劣らず、優しさを含んでいる声だ。
「枯れてしもたな……」
車椅子を押してくれているゴーストが、残念そうに呟いた。
庭園に咲く向日葵は、みな一様に萎んでいる。お墓のような寒々とした光景に、こちらの胸まで寒くなる。
「兄さんがおらんと、庭園の管理もろくに出来んのかいな。うちの庭師は」
「いいのよ」ゴーストの不満を、彼女はそっと窘めた。「向日葵は、夏の終わりに枯れるものよ。仕方がないの」
「夏の終わり、か」任務に赴いたまま戻らない、憧れの貴銃士をゴーストは思い遣る。「兄さん、いつ帰って来るんやろか」
「……本当にね」
直向きにアインスの帰りを待つゴーストに、彼女は真実を伝えなかった。
瞳を閉じて、幼い頃迷い込んだ迷宮に、想いを馳せる。
鬱蒼とした視界。
青空を突くように咲き誇る向日葵。
それよりも高いところにある、金髪の後ろ姿。
向日葵よりも大きい彼だから、私は彼を見つけられた。
「マスター。疲れたんか?」眠るように目を閉じた私を、ゴーストが気遣ってくれている。「車椅子の振動も、身体に障るやろ。早よ戻ろか」
重い瞼を持ち上げる。
視界に広がる迷宮は灰色に朽ちてゆく。
「アインス……」あの夏の日のように、彼の名を呼ぶ。「どこ?」
向日葵よりも大きいはずの貴方が、見つけられないの。





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