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side story

【きれいな水】



蛍の光は虚げだ。
光ったかと思いきや、すぐに消える。
「神出鬼没のおまえみたいね」
手のひらに乗せた光を見つめて、私は言う。
ナインティになら、何でも言えた。
弱いところも、この貴銃士には曝け出せた。
彼は、何も言わないから。
私が言わせなかったから。
そんな狡さを知ってもなお、彼は話を聞いてくれる。
ナインティの沈黙は、優しい。
その優しさを噛み締めて、マスターの痛みに、私は耐える。


もうすぐ夏が来てしまう。
私から最も遠い季節。


***



「神出鬼没のおまえみたいね」
手のひらに乗せた光を見つめて、マスターの横顔が微笑んだ。
任務の帰りに野宿をした場所には、きれいな小川が流れていた。夜になると、沢山の小さな光が灯る。光っているのは、蛍という虫なのだそうだ。
蛍はきれいな水のある環境でしか生きられない。この土地が汚染されていない証拠ね、とマスターは関心を示していた。
「蛍が光るのは、配偶行動なのよ」
彼女が手のひらに乗せた光は、ふわりと浮かんだ。その光は徐々に小さくなり、やがて夜の闇へ溶け込む。
「雄と雌が、互いの光で交信するの。コミュニケーションなのね。ロマンチックでしょう?」
蛍の成虫期間は短く、1〜2週間で一生を終えるのだという。
短い命を燃やして生きる夏の虫。
ロマンチックとは、儚いものを意味するのだろうか。
蛍の光も、命も、とても儚い。
光ったかと思えば、すぐに消えて見えなくなる。
蛍の交信の話で思い出したが、今はブラックボードを持っていない。山の夜道では邪魔になるかと思い、あえて置いてきてしまった。たとえ持っていたとしても、暗闇で文字など見えないだろう。どちらにせよ、彼女に言葉を伝えることはできない。すなわち、今できるのは受信すること。だから今は、彼女が一方的に発信している。
「ナインティは夏が好き?」
彼女の急な問いかけには、首を捻った。季節の好き嫌いなど、考えたこともないからだ。
「私は苦手」
彼女はそう言って、話し続ける。
「夏は、私が生まれた日から、一番遠い季節なの。だから勝手が知れなくて、少し怖い」
彼女が生まれた冬になると、この地域は真っ白い雪に覆われ、平均気温は氷点下となる。冬と対比される春は、実は隣り合わせなのだ。そう考えると、彼女が夏を「冬から一番遠い季節」と表したのは、納得できる。そんな夏を、彼女はなぜか怖がっているのだ。季節を怖がるなんて、不思議だ。生きていれば、何度も巡ってくるじゃないか。
「いいえ。違うわね」
自分の中にある違和感を察してなのか、彼女は発言を撤回した。
「本当は、夏だけじゃない。これから巡ってくる、すべての四季。その全部に、怖くなるの」
彼女の声が、震えていた。
「近いうちに、どこかの季節で、おまえたちを失うんじゃないかって」
ナインティは、ただ黙っている。
彼女の言っていることの意味が、よく分からない。
貴銃士が消えることの、何を怖がるというのだろう。
自分たちは、量産型の消耗品だ。
壊れて消えてなくなっても、同等の品質のものは、すぐに手に入る。
幾らでも替えがきくというのに。
「私、もう、自分がどうして戦っているのか、分からない」
途切れ途切れに紡がれる、彼女の言葉。そんな彼女に同調してなのか、周囲の蛍たちの光も弱々しく、途切れ途切れになっていた。
「おまえたちを、全員失うかもしれないのに。どうして、私は……」
たとえ口がきけたとしても、これは答えられない問いかけだ。
正解も、間違いもない。
答えを見つけ出し、納得できるかどうかは、マスター自身の問題だ。貴銃士たちが口を挟むことではない。
ナインティにとっての戦う理由は、ただひとつ。
彼女に、きれいな水を与えてあげたい。
少しでも長く、生きられるように。
「…………」
マスターの左手を、両手でぎゅっと握りしめる。
「ナインティ?」闇の中で、彼女の瞳の見開く気配。「どうしたの」
ナインティはただ一心に、彼女の左手に願いを込めた。
怖がらなくていい。
守ってあげるから。
だからマスターは、蛍みたいにならないで。
「私を励ましてくれているの?」彼女の、嬉しそうな笑い声。「ありがとう。ナインティは、優しいのね」
周囲の闇に、ぽつぽつと蛍の光が灯る。まるで、彼女の気持ちを代弁しているみたいだった。
「私ったら、喋り過ぎたわ」彼女は左手でナインティの手を握り返し、歩き出した。「帰りましょう」
彼女に手を引かれながら、ナインティはぐるぐると考える。
励ます、というのは、少し違う。
だけどマスターがそう思うのなら、それで良い。


***



夏になると、彼には思い出す景色がある。
あの光景を、もう一度彼女に見せてあげたい。
だけど最近、マスターには元気がない。
「夏が来たから」ベッドの上で、彼女は力無く笑っていた。
「暑いのが苦手なの。だから元気を無くすのよ」
それは違う、とナインティは思う。
寝室にいる彼女は、嘘ばかり吐く。
以前は、あんなに弱音を吐いていたのに。



任務で赴いた山奥に、きれいな小川が流れていた。
夜になると、沢山の小さな光が灯る。
マスターに教えてもらった、蛍の光だ。
嬉しくなって、食べないように気をつけて、蛍を一匹捕まえた。
お菓子の空箱に閉じ込めて、城まで持って帰ろうとした。
マスターに見せたかったんだ。
彼女が外に出られないのなら、蛍を持ち帰れば良いのだ。この光を、見せてあげたい。
願うだけでは叶わなかった。
空箱に押し込めた虫は、あっという間に死んでしまった。
やっと思い出したのだ。
蛍は、きれいな水のある環境でしか生きられない。
マスターのためのきれいな水は、一体どこにあるのだろう。





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