side story
【君と共にあるために】
平和になったら銃はいらない。
『マスター』もいらない。
それなら人間はずっと争えばいい。
死と憎しみの連鎖は終わらせないよ。
だって『マスター』のそばにいたいんだもの。
***
戦争は理性的であるべきだ。
これは、世界帝軍 の彼女の口癖だ。
世界帝はレジスタンスの敵に変わりはないが、現代銃のマスターである彼女の意見に、シャルルヴィルは同意した。
だから彼は今、ここにいる。
「シキさん」
薔薇園を歩いている黒髪の乙女に声をかける。
「いやだわ」彼女は振り向き、片手を口元にあててくすっと笑った。
「私のことは、マスターと呼んで頂戴」
それは無理なお願いだ、とシャルルヴィルは苦笑した。
こんな冗談が言えるほど、彼女は回復したということだ。
理性的な争いを続けるために、レジスタンスと世界帝は、短期間の停戦協定を結んだ。
先の大規模戦闘において、双方のマスターは力を使い果たし、心身ともに衰弱した。このままでは共倒れになると危惧した双方の幹部たちは、マスターの回復を待つ充当期間として、停戦という手段を採用することにした。期間は、およそ一ヶ月。この協定の締結は、互いの貴銃士を人質として交換することが条件だった。この人質を尋問にかけるなど、反人道的な扱いをすることは禁じる方向で同意した。
レジスタンスが差し出したのは、激動のフランスに寄り添った麗しの古銃・シャルルヴィル。
誇り高き古銃の貴銃士にとって、自身が人質として敵のアジトへ送られるなど、屈辱以外の何ものでもない。多くの者にとっては気の進まない任務であったが、シャルルは喜んで引き受けた。
諜報活動を得意とする自分には、うってつけの役割だ。自分にしかできない仕事だと、誇らしくさえある。
「もう体調はいいんですか?」
前を歩く彼女に声をかけると、ええ、とご機嫌な返事が返ってくる。
「貴方の作ってくれるスイーツが、美味しいんですもの。おかげでとってもいいかんじ」
「光栄です」シャルルは優雅に微笑んだ。
一ヶ月もこの城に幽閉されるのに、彼には何もやる事がない。人質らしく大人しくする事が本来の役目ではあるのだろうが、城内ではなぜか自由を許された。暇を持て余した彼は、お菓子を作りたいから厨房を借りてもよいか、と尋ねてみた。
「貴方、菓子が作れるのですか」その貴銃士は、助かりますと慇懃に応えた。
聞けば、マスターである彼女は大のスイーツ好きだという。ティータイムのお菓子を用意しているその貴銃士の図らいもあり、シャルルは彼女のティータイム用のお菓子を作るパティシエの職を与えられた。
「今度はこの薔薇園で、貴方のマカロンが食べたいわ」
真っ赤な薔薇に鼻をあてがい、その香りにうっそりと目を細めながら、彼女はささやく。
「ねえシャルル。明日はあそこのガゼボでティータイムをするから、貴方もいかが?」
「喜んで」蕩けるように甘い微笑みを、彼女に向ける。「最高のマカロンをお持ちしましょう」
血の滲んだ白い手袋をした手が、ぱきりと一輪の薔薇を手折る。
「……約束よ?」
手折った薔薇の花びらに口づけて、彼女は妖艶に微笑んだ。
***
シャルルヴィルがお菓子作りで厨房に入るたびに、ホクサイは実験を中断しなければならない。
「毎度キミの酔狂に付き合わされる、このボクの身にもなってほしいよね〜」
彼はスプーンで小ぶりなマカロンをすくい上げ、そう文句を垂れながらもあははと笑った。
「いいから、お前の仕事をしろよ」シャルルはじろりと彼を睨めつける。
「毒を盛られては堪りませんから」というファルの懸念もあり、シャルルヴィルの作ったスイーツは、必ず毒味を通してから彼女の元へと運ばせる。ある程度の毒(薬物?)には耐性があるとファルに見做されたホクサイが、毒味担当となっていた。
「シャルクンてば、こわい顔」
シャルルヴィルの鋭い視線を浴びながら、ホクサイはぱくりとマカロンを口にする。
「う〜ん。今回も毒は入ってないね」
「入れるわけないだろ、そんなもの」
「あはは! …………ウソつき」
和やかだったホクサイの声音が一変する。
「ラボから劇薬を盗んだのって、キミだよね?」
カランとスプーンを皿に置き、頬杖をついてホクサイは目を細める。マカロンを噛み砕く口元は笑っているが、ブルーの瞳は冴えていた。
「なんの話?」シャルルは皿に手早くマカロンを盛りつけている。目を合わさない。「俺、忙しいんだけど」
シャルルヴィルは、この貴銃士が苦手だった。
人畜無害そうな幼い顔で、愛想を振りまいているかと思いきや、ふと黒い影が見え隠れする。
「キミの瞳ってきれいだね」
「は?」女性相手の口説き文句のような台詞に、顔を上げる。
冷たく光る真っ青な両眼と目があった。
「それ、ちょうだい」
素早く動く鈍色に、満ちた殺気を感じとる。
目の前にスプーンが迫っていた。
はっとして身を翻すと、相手の左手に首を掴まれ、強く壁に押しつけられる。
「よこせよ」
ホクサイは笑っていなかった。
左眼に迫るスプーンに、歪んだ自分の顔が映る。
やめてくれ。
奪わないで。
この眼を抉られたら、大好きなあの人のそばにいることも、分からなくなるじゃないか。
「……お楽しみ中に、すみませんねぇ」
殺気の満ち溢れた厨房に、穏やかな声が響き渡る。
「ファルクン、なんか用?」
ケロリといつもの調子に戻ったホクサイが、シャルルヴィルの眼前にスプーンを突き立てたまま振り向いた。
「スイーツの到着が遅いと、マスターが駄々をこねるものですから。様子を見に来たのですが……」ファルはそこまで言ってから、堪えきれずにぷすっと吹き出した。「これはまた、新しいプレイですねぇ」
「ああ、そっか。シャルクン、これからマスターとティータイムだっけ?」
思い出したように呟くホクサイが、シャルルヴィルの首元から手を離す。喉を圧迫されていたシャルルは、げほげほと盛大に咳をして、顔を歪めた。
最悪の事態だ、と判断できた。
この貴銃士に、盗みがバレているなんて。
「あの、……遅れてすみません。すぐお持ちします」
マカロンの皿を持ち上げて、逃げるように厨房を出て行くシャルルヴィル。
「あ〜あ。もう少しだったのに」
残念っと肩をすくめるホクサイに、はてとファルは首を傾げる。
「一体何があったんです」
「キミに言うまでもないことだよ」
惜しかったなぁと真顔で呟いてから、まあいいかとスプーンを手放す。
「だってこの後、どうせトドメを刺すんでしょ?」
残酷だよねぇ〜、と愉快そうにほくそ笑んだ。
***
「いらっしゃい。シャルルヴィル」
待ちわびたわ、とテーブルに腰かけて微笑む女。
彼女を殺すことが、この作戦の目的だった。
これは上層部の指示ではなく、シャルルヴィルの独断だ。
アジトを離れ、世界帝軍の護送車に乗り込む時、立っているのもやっとであろうマスターが仲間に肩を支えられ、見送りに来た光景を思い出す。
「気をつけて」
彼女の唇がそう動いた時、この身が引き裂かれる思いだった。
本当は行きたくない。
人質の役なんて、冗談じゃない。
でもこれは、俺にしか出来ないことだから。
だってそうでしょ?
従順なふりをして近づいて、敵をだまし討つなんて。
高貴が売りなあいつらには、絶対できない事だから。
「私は、マカロンをお願いしたはずよ」
古銃の銃口を向けられた彼女は、顔色ひとつ変えずに、ティーカップを持ち上げる。
「鉛玉ならくれてあげるよ」シャルルヴィルは、引き金にゆっくりと手をかけた。
彼女は、上目遣いに彼を見上げる。
深淵なる闇を見つめるその瞳。
「無能なパティシエね」唇の端を持ち上げた彼女が、ふふっと笑った。
「そうは思わない? ラブワン」
その瞬間、あっという間に世界が反転する。
「オイ」
目が覚めると低い声が耳に響き、ぱしりと頬を叩かれる。
椅子に座っている自分。
眼下には色とりどりのスイーツ。
向かいでは黒髪の女が、優雅に紅茶を味わっている。
「お前さ、いつまで寝てんの。オイラちょーっと殴っただけじゃん。弱っちーの」
椅子の後ろから発せられる声は、殴られた頭にがんがん響く。後頭部に押し当てられた硬いものに、シャルルはひっと息を呑んだ。弄ぶかのようにとんとんと頭を突くそれは、銃口だった。
「安心なさい。ラブワンは、貴方の脳味噌をいきなり撃ち抜いたりはしないわ」銃口を押し当てられて真っ青になったシャルルヴィルに、彼女は優しい笑みを浮かべる。
「彼は『待て』ができるのよ」
「ははっ、当然っしょ!」ラブワンの朗らかな笑い声。
「俺もライたんも、アイちんたちと違って、姫直々に召喚された貴銃士よ? アイツらと一緒にしないでほしいね」
「そう悪く言わないの」父親の召喚した貴銃士たちを格下のように表現するラブワンに、彼女はやれやれと息をつく。「彼らの方が、私とは長い付き合いよ。学ぶことも多いでしょう。先輩は敬いなさい」
「ち〜っす★」
「真面目に聞いているのかしら……」困った子ね、と彼女は呟く。
彼らが雑談を交わしている間も、シャルルヴィルは気が気でない。
劇薬の盗難がホクサイにバレていた。
彼女に銃口を向けた所を、ラブワンに見られた。
ひた隠しにしてきた現代銃マスターへの明確な殺意が、これらの事実で明らかとなる。
奴らに思惑がバレてしまった。
俺は一体どうなるんだ?
「失礼しますよ、マスター」
例の慇懃な眼鏡の貴銃士が、薔薇の園に現れる。ガゼボの下に集う彼らに近づいて、彼女の椅子に手を添えた。
「歓談はここまでです。マスター、恐縮ですが、貴女にはご退室願いたい」
「どうして? シャルルは目を覚ましたばかりなの。私、彼ともっとお話したいわ」
「言い方を変えましょう」清々しくも腹立たしい笑みを向け、ファルの唇が言葉を紡ぐ。
「これからシャルルヴィルさんに話す内容を、貴女に聞かれたくありません。邪魔なので出て行ってください」
「どうせ最後のが本音でしょうに」
彼女は大人しく立ち上がり、ファルが彼女の椅子を引く。絶妙なレディ・ファーストのタイミングに、ラブワンはふうんと頷いた。確かにこの阿吽の呼吸は、長年連れ添っていないとできないワザだ。貴銃士の先輩も伊達じゃない。
「んじゃっ、オイラは姫を薔薇園から連れ出しちゃうよ〜ん。ランデヴー! ッフゥ★」
「どうでもいいんですが、なぜ貴方はマスターを『姫』と呼ぶんですかね」
ファルが心底嫌そうな表情で吐露すると、「え〜っ?」とラブワンは当然のように言い放った。
「だってマスターはオイラたち貴銃士のお姫さまじゃん?」
「……英国の方ってみなさんこうなんですかね」
「貴方、さっきから言いたい放題ね」
ラブワンにエスコートされてガゼボの外に出た彼女が、顰めっ面で振り向いた。
「我がマスターとのティータイムは楽しんでいただけましたか?」
「…………」
「ああ失礼。貴方、あの鈍器に殴られて気絶していたんですよね」
新たに向かいに腰かけた貴銃士は、眼鏡を外して息をつく。スーツの内ポケットから一片の布を取り出した彼は、その布で眼鏡のレンズを拭き始めた。
シャルルヴィルは顔を伏せ、笑う膝をぐっと両手で押さえつける。悔しさに歯を食いしばり、生き残る術を見出そうと、必死で頭を回転させる。
彼が眼鏡を拭き終えたら、俺は殺されてしまうのだろうか。
「帝軍とレジスタンスの争いが終結すれば、我らのマスターは処刑されます」
まるで天気の話をするように、のんびりと単調にファルは告げる。
「……え?」思ってもみない話に、シャルルヴィルは顔を上げる。
その瞬間、恐怖を忘れた。
「あのお嬢様に限った話ではありません」片方の眉を器用につり上げ、ファルは底意地の悪い笑みを浮かべる。
「貴方がたのマスターである田舎娘。彼女もまた、この戦いの後、処刑されるでしょう」
ファルの言い分はこうだった。
貴銃士を従える『マスター』という存在は、謂わば軍神のようなものだ。戦時は祭り上げられるが、平時では争いをもたらすものとして忌み嫌われる。加えて、マスターの能力というものは未だに謎が多く、常人にとっては非科学的で呪術めいた印象が強い。人に理解されない能力を持つ人間は、それだけで怪物のように畏れられ、忌避され、やがて排除されるのだと。
「ジャンヌがそうであったように、彼女たちもまた、自らの行いを死をもって償わされるのです。狡猾な権力者の手によって」
信じるものか、とシャルルヴィルは強く拳を握りしめる。
俺たちのマスターが、戦いのあと処刑される?
そんなもの嘘に決まってる。
「私が嘘をついているとお考えのようですが、それはお門違いです」
眼鏡を丹念に掃除しながら、シャルルの猜疑心を見透かすように、ファルは続ける。
「私たち現代銃が、貴方がたを全滅させないのは何故でしょう」
「どういう意味?」この問いかけには、さすがにシャルルも突っかかる。まるでいつでもレジスタンスを潰せるような言い草だった。
「非効率な銃撃戦で、戦力を削り合うだけの戦闘に、何の意味があるとお思いで?」
そんな事、考えたこともない。
いや、違う。気づかないふりをしていただけだ。
本当は、どこかで気づいていた。最新鋭の兵器を保有する世界帝軍が、なぜこうも自分たちを野放しにするのかと。ファルの言う通り、非効率な銃撃戦で応戦してくるのは、何故なのかと。
最新の兵器を持ち出されてしまったら、自分たちに勝機はない。だから、気づかないふりをしていたのに。
「答えは簡単。この戦争がショーだからです」
ファルはぴかぴかに磨き上げた眼鏡をかけ直し、その視界にはっきりとシャルルヴィルの姿を捉える。
「すべては、マスターを生かすため。マスターという役柄が活躍するうちは、誰も彼女を殺しはしない。その躍進のためには、戦争という舞台が不可欠です」
シャルルヴィルは、ファルの見解に戦慄した。
マスターという存在の複雑さを、今初めて認識する。
心の底のわだかまりが、少しずつ溶けていくような感覚。
これは、洗脳というやつだろうか。
しかし、それにしては腑に落ちる。
「貴方が私のマスターを殺せば、争いは終わる。そうして今度は、民衆が貴方のマスターを殺す。つまり我々のマスターに手を出せば、貴方は自らの手で、貴方のマスターを死に追いやる事になる。
それに、考えてみてください。世界から争いがなくなったら、銃である私たちは、一体どうなると思います? ええ、ゴミですよ。平和な世界には、銃も、マスターも、必要ないんですからね。
そうなったら、貴方もマスターのそばにいられなくなりますよ。彼女と一緒にいたいのでしょう? 生きたいのでしょう? 貴銃士として。
……さて、おわかりいただけましたか?」
***
約束の日は訪れた。
世界帝軍の護送車に揺られて、彼はレジスタンスのアジトへと帰還した。
「シャルルヴィル!」
一ヶ月ぶりに再会した彼女は、すっかり元気になっていて、彼を見つけると人目も憚らず抱きついた。
「向こうで変なことされてない?」彼女は抱きついたまま彼を見上げて、心配そうに問いかける。「尋問されたり、改造されたり……」
「マスターは心配性だなぁ」シャルルは、彼女の不安を笑い飛ばした。「そういうのはナシって、停戦協定の同意条件にもあったでしょ? 大丈夫だって」
「良かった……」
彼女の泣きそうな声音に、シャルルはぐっと胸が詰まる。
「きみを世界帝軍へ預けてから、わたし、とっても不安だった……」
その柔らかな肌に触れる。
あたたかなぬくもりを感じ得る。
この世で一番尊いものは、絶対高貴なんかじゃない。
「ごめんね」
彼女をそっと抱き寄せて、失うものかと決意した。
この世界に生まれおちた瞬間に、俺は君と生きていくことを誓ったんだ。
殺させはしない。
奪わせはしない。
「ただいま、アジザ」
燃えるような赤毛に指を絡めて、その毛先にキスをする。
これはお祈り。そうして、懺悔だ。
君と俺が共にあるために戦争が必要なら、赤の他人には、存分に殺し合ってもらおう。
「おかえり、シャルル!」
照れを誤魔化すかのように、彼女は大きな声でそう言い、弾けるような笑顔を見せた。
君は知らないままでいて。
その笑顔を守るためなら、俺はいくらでも、この手を汚せるんだよ。
平和になったら銃はいらない。
『マスター』もいらない。
それなら人間はずっと争えばいい。
死と憎しみの連鎖を永遠と繰り返せ。
俺が『君』とあるために。
平和になったら銃はいらない。
『マスター』もいらない。
それなら人間はずっと争えばいい。
死と憎しみの連鎖は終わらせないよ。
だって『マスター』のそばにいたいんだもの。
***
戦争は理性的であるべきだ。
これは、
世界帝はレジスタンスの敵に変わりはないが、現代銃のマスターである彼女の意見に、シャルルヴィルは同意した。
だから彼は今、ここにいる。
「シキさん」
薔薇園を歩いている黒髪の乙女に声をかける。
「いやだわ」彼女は振り向き、片手を口元にあててくすっと笑った。
「私のことは、マスターと呼んで頂戴」
それは無理なお願いだ、とシャルルヴィルは苦笑した。
こんな冗談が言えるほど、彼女は回復したということだ。
理性的な争いを続けるために、レジスタンスと世界帝は、短期間の停戦協定を結んだ。
先の大規模戦闘において、双方のマスターは力を使い果たし、心身ともに衰弱した。このままでは共倒れになると危惧した双方の幹部たちは、マスターの回復を待つ充当期間として、停戦という手段を採用することにした。期間は、およそ一ヶ月。この協定の締結は、互いの貴銃士を人質として交換することが条件だった。この人質を尋問にかけるなど、反人道的な扱いをすることは禁じる方向で同意した。
レジスタンスが差し出したのは、激動のフランスに寄り添った麗しの古銃・シャルルヴィル。
誇り高き古銃の貴銃士にとって、自身が人質として敵のアジトへ送られるなど、屈辱以外の何ものでもない。多くの者にとっては気の進まない任務であったが、シャルルは喜んで引き受けた。
諜報活動を得意とする自分には、うってつけの役割だ。自分にしかできない仕事だと、誇らしくさえある。
「もう体調はいいんですか?」
前を歩く彼女に声をかけると、ええ、とご機嫌な返事が返ってくる。
「貴方の作ってくれるスイーツが、美味しいんですもの。おかげでとってもいいかんじ」
「光栄です」シャルルは優雅に微笑んだ。
一ヶ月もこの城に幽閉されるのに、彼には何もやる事がない。人質らしく大人しくする事が本来の役目ではあるのだろうが、城内ではなぜか自由を許された。暇を持て余した彼は、お菓子を作りたいから厨房を借りてもよいか、と尋ねてみた。
「貴方、菓子が作れるのですか」その貴銃士は、助かりますと慇懃に応えた。
聞けば、マスターである彼女は大のスイーツ好きだという。ティータイムのお菓子を用意しているその貴銃士の図らいもあり、シャルルは彼女のティータイム用のお菓子を作るパティシエの職を与えられた。
「今度はこの薔薇園で、貴方のマカロンが食べたいわ」
真っ赤な薔薇に鼻をあてがい、その香りにうっそりと目を細めながら、彼女はささやく。
「ねえシャルル。明日はあそこのガゼボでティータイムをするから、貴方もいかが?」
「喜んで」蕩けるように甘い微笑みを、彼女に向ける。「最高のマカロンをお持ちしましょう」
血の滲んだ白い手袋をした手が、ぱきりと一輪の薔薇を手折る。
「……約束よ?」
手折った薔薇の花びらに口づけて、彼女は妖艶に微笑んだ。
***
シャルルヴィルがお菓子作りで厨房に入るたびに、ホクサイは実験を中断しなければならない。
「毎度キミの酔狂に付き合わされる、このボクの身にもなってほしいよね〜」
彼はスプーンで小ぶりなマカロンをすくい上げ、そう文句を垂れながらもあははと笑った。
「いいから、お前の仕事をしろよ」シャルルはじろりと彼を睨めつける。
「毒を盛られては堪りませんから」というファルの懸念もあり、シャルルヴィルの作ったスイーツは、必ず毒味を通してから彼女の元へと運ばせる。ある程度の毒(薬物?)には耐性があるとファルに見做されたホクサイが、毒味担当となっていた。
「シャルクンてば、こわい顔」
シャルルヴィルの鋭い視線を浴びながら、ホクサイはぱくりとマカロンを口にする。
「う〜ん。今回も毒は入ってないね」
「入れるわけないだろ、そんなもの」
「あはは! …………ウソつき」
和やかだったホクサイの声音が一変する。
「ラボから劇薬を盗んだのって、キミだよね?」
カランとスプーンを皿に置き、頬杖をついてホクサイは目を細める。マカロンを噛み砕く口元は笑っているが、ブルーの瞳は冴えていた。
「なんの話?」シャルルは皿に手早くマカロンを盛りつけている。目を合わさない。「俺、忙しいんだけど」
シャルルヴィルは、この貴銃士が苦手だった。
人畜無害そうな幼い顔で、愛想を振りまいているかと思いきや、ふと黒い影が見え隠れする。
「キミの瞳ってきれいだね」
「は?」女性相手の口説き文句のような台詞に、顔を上げる。
冷たく光る真っ青な両眼と目があった。
「それ、ちょうだい」
素早く動く鈍色に、満ちた殺気を感じとる。
目の前にスプーンが迫っていた。
はっとして身を翻すと、相手の左手に首を掴まれ、強く壁に押しつけられる。
「よこせよ」
ホクサイは笑っていなかった。
左眼に迫るスプーンに、歪んだ自分の顔が映る。
やめてくれ。
奪わないで。
この眼を抉られたら、大好きなあの人のそばにいることも、分からなくなるじゃないか。
「……お楽しみ中に、すみませんねぇ」
殺気の満ち溢れた厨房に、穏やかな声が響き渡る。
「ファルクン、なんか用?」
ケロリといつもの調子に戻ったホクサイが、シャルルヴィルの眼前にスプーンを突き立てたまま振り向いた。
「スイーツの到着が遅いと、マスターが駄々をこねるものですから。様子を見に来たのですが……」ファルはそこまで言ってから、堪えきれずにぷすっと吹き出した。「これはまた、新しいプレイですねぇ」
「ああ、そっか。シャルクン、これからマスターとティータイムだっけ?」
思い出したように呟くホクサイが、シャルルヴィルの首元から手を離す。喉を圧迫されていたシャルルは、げほげほと盛大に咳をして、顔を歪めた。
最悪の事態だ、と判断できた。
この貴銃士に、盗みがバレているなんて。
「あの、……遅れてすみません。すぐお持ちします」
マカロンの皿を持ち上げて、逃げるように厨房を出て行くシャルルヴィル。
「あ〜あ。もう少しだったのに」
残念っと肩をすくめるホクサイに、はてとファルは首を傾げる。
「一体何があったんです」
「キミに言うまでもないことだよ」
惜しかったなぁと真顔で呟いてから、まあいいかとスプーンを手放す。
「だってこの後、どうせトドメを刺すんでしょ?」
残酷だよねぇ〜、と愉快そうにほくそ笑んだ。
***
「いらっしゃい。シャルルヴィル」
待ちわびたわ、とテーブルに腰かけて微笑む女。
彼女を殺すことが、この作戦の目的だった。
これは上層部の指示ではなく、シャルルヴィルの独断だ。
アジトを離れ、世界帝軍の護送車に乗り込む時、立っているのもやっとであろうマスターが仲間に肩を支えられ、見送りに来た光景を思い出す。
「気をつけて」
彼女の唇がそう動いた時、この身が引き裂かれる思いだった。
本当は行きたくない。
人質の役なんて、冗談じゃない。
でもこれは、俺にしか出来ないことだから。
だってそうでしょ?
従順なふりをして近づいて、敵をだまし討つなんて。
高貴が売りなあいつらには、絶対できない事だから。
「私は、マカロンをお願いしたはずよ」
古銃の銃口を向けられた彼女は、顔色ひとつ変えずに、ティーカップを持ち上げる。
「鉛玉ならくれてあげるよ」シャルルヴィルは、引き金にゆっくりと手をかけた。
彼女は、上目遣いに彼を見上げる。
深淵なる闇を見つめるその瞳。
「無能なパティシエね」唇の端を持ち上げた彼女が、ふふっと笑った。
「そうは思わない? ラブワン」
その瞬間、あっという間に世界が反転する。
「オイ」
目が覚めると低い声が耳に響き、ぱしりと頬を叩かれる。
椅子に座っている自分。
眼下には色とりどりのスイーツ。
向かいでは黒髪の女が、優雅に紅茶を味わっている。
「お前さ、いつまで寝てんの。オイラちょーっと殴っただけじゃん。弱っちーの」
椅子の後ろから発せられる声は、殴られた頭にがんがん響く。後頭部に押し当てられた硬いものに、シャルルはひっと息を呑んだ。弄ぶかのようにとんとんと頭を突くそれは、銃口だった。
「安心なさい。ラブワンは、貴方の脳味噌をいきなり撃ち抜いたりはしないわ」銃口を押し当てられて真っ青になったシャルルヴィルに、彼女は優しい笑みを浮かべる。
「彼は『待て』ができるのよ」
「ははっ、当然っしょ!」ラブワンの朗らかな笑い声。
「俺もライたんも、アイちんたちと違って、姫直々に召喚された貴銃士よ? アイツらと一緒にしないでほしいね」
「そう悪く言わないの」父親の召喚した貴銃士たちを格下のように表現するラブワンに、彼女はやれやれと息をつく。「彼らの方が、私とは長い付き合いよ。学ぶことも多いでしょう。先輩は敬いなさい」
「ち〜っす★」
「真面目に聞いているのかしら……」困った子ね、と彼女は呟く。
彼らが雑談を交わしている間も、シャルルヴィルは気が気でない。
劇薬の盗難がホクサイにバレていた。
彼女に銃口を向けた所を、ラブワンに見られた。
ひた隠しにしてきた現代銃マスターへの明確な殺意が、これらの事実で明らかとなる。
奴らに思惑がバレてしまった。
俺は一体どうなるんだ?
「失礼しますよ、マスター」
例の慇懃な眼鏡の貴銃士が、薔薇の園に現れる。ガゼボの下に集う彼らに近づいて、彼女の椅子に手を添えた。
「歓談はここまでです。マスター、恐縮ですが、貴女にはご退室願いたい」
「どうして? シャルルは目を覚ましたばかりなの。私、彼ともっとお話したいわ」
「言い方を変えましょう」清々しくも腹立たしい笑みを向け、ファルの唇が言葉を紡ぐ。
「これからシャルルヴィルさんに話す内容を、貴女に聞かれたくありません。邪魔なので出て行ってください」
「どうせ最後のが本音でしょうに」
彼女は大人しく立ち上がり、ファルが彼女の椅子を引く。絶妙なレディ・ファーストのタイミングに、ラブワンはふうんと頷いた。確かにこの阿吽の呼吸は、長年連れ添っていないとできないワザだ。貴銃士の先輩も伊達じゃない。
「んじゃっ、オイラは姫を薔薇園から連れ出しちゃうよ〜ん。ランデヴー! ッフゥ★」
「どうでもいいんですが、なぜ貴方はマスターを『姫』と呼ぶんですかね」
ファルが心底嫌そうな表情で吐露すると、「え〜っ?」とラブワンは当然のように言い放った。
「だってマスターはオイラたち貴銃士のお姫さまじゃん?」
「……英国の方ってみなさんこうなんですかね」
「貴方、さっきから言いたい放題ね」
ラブワンにエスコートされてガゼボの外に出た彼女が、顰めっ面で振り向いた。
「我がマスターとのティータイムは楽しんでいただけましたか?」
「…………」
「ああ失礼。貴方、あの鈍器に殴られて気絶していたんですよね」
新たに向かいに腰かけた貴銃士は、眼鏡を外して息をつく。スーツの内ポケットから一片の布を取り出した彼は、その布で眼鏡のレンズを拭き始めた。
シャルルヴィルは顔を伏せ、笑う膝をぐっと両手で押さえつける。悔しさに歯を食いしばり、生き残る術を見出そうと、必死で頭を回転させる。
彼が眼鏡を拭き終えたら、俺は殺されてしまうのだろうか。
「帝軍とレジスタンスの争いが終結すれば、我らのマスターは処刑されます」
まるで天気の話をするように、のんびりと単調にファルは告げる。
「……え?」思ってもみない話に、シャルルヴィルは顔を上げる。
その瞬間、恐怖を忘れた。
「あのお嬢様に限った話ではありません」片方の眉を器用につり上げ、ファルは底意地の悪い笑みを浮かべる。
「貴方がたのマスターである田舎娘。彼女もまた、この戦いの後、処刑されるでしょう」
ファルの言い分はこうだった。
貴銃士を従える『マスター』という存在は、謂わば軍神のようなものだ。戦時は祭り上げられるが、平時では争いをもたらすものとして忌み嫌われる。加えて、マスターの能力というものは未だに謎が多く、常人にとっては非科学的で呪術めいた印象が強い。人に理解されない能力を持つ人間は、それだけで怪物のように畏れられ、忌避され、やがて排除されるのだと。
「ジャンヌがそうであったように、彼女たちもまた、自らの行いを死をもって償わされるのです。狡猾な権力者の手によって」
信じるものか、とシャルルヴィルは強く拳を握りしめる。
俺たちのマスターが、戦いのあと処刑される?
そんなもの嘘に決まってる。
「私が嘘をついているとお考えのようですが、それはお門違いです」
眼鏡を丹念に掃除しながら、シャルルの猜疑心を見透かすように、ファルは続ける。
「私たち現代銃が、貴方がたを全滅させないのは何故でしょう」
「どういう意味?」この問いかけには、さすがにシャルルも突っかかる。まるでいつでもレジスタンスを潰せるような言い草だった。
「非効率な銃撃戦で、戦力を削り合うだけの戦闘に、何の意味があるとお思いで?」
そんな事、考えたこともない。
いや、違う。気づかないふりをしていただけだ。
本当は、どこかで気づいていた。最新鋭の兵器を保有する世界帝軍が、なぜこうも自分たちを野放しにするのかと。ファルの言う通り、非効率な銃撃戦で応戦してくるのは、何故なのかと。
最新の兵器を持ち出されてしまったら、自分たちに勝機はない。だから、気づかないふりをしていたのに。
「答えは簡単。この戦争がショーだからです」
ファルはぴかぴかに磨き上げた眼鏡をかけ直し、その視界にはっきりとシャルルヴィルの姿を捉える。
「すべては、マスターを生かすため。マスターという役柄が活躍するうちは、誰も彼女を殺しはしない。その躍進のためには、戦争という舞台が不可欠です」
シャルルヴィルは、ファルの見解に戦慄した。
マスターという存在の複雑さを、今初めて認識する。
心の底のわだかまりが、少しずつ溶けていくような感覚。
これは、洗脳というやつだろうか。
しかし、それにしては腑に落ちる。
「貴方が私のマスターを殺せば、争いは終わる。そうして今度は、民衆が貴方のマスターを殺す。つまり我々のマスターに手を出せば、貴方は自らの手で、貴方のマスターを死に追いやる事になる。
それに、考えてみてください。世界から争いがなくなったら、銃である私たちは、一体どうなると思います? ええ、ゴミですよ。平和な世界には、銃も、マスターも、必要ないんですからね。
そうなったら、貴方もマスターのそばにいられなくなりますよ。彼女と一緒にいたいのでしょう? 生きたいのでしょう? 貴銃士として。
……さて、おわかりいただけましたか?」
***
約束の日は訪れた。
世界帝軍の護送車に揺られて、彼はレジスタンスのアジトへと帰還した。
「シャルルヴィル!」
一ヶ月ぶりに再会した彼女は、すっかり元気になっていて、彼を見つけると人目も憚らず抱きついた。
「向こうで変なことされてない?」彼女は抱きついたまま彼を見上げて、心配そうに問いかける。「尋問されたり、改造されたり……」
「マスターは心配性だなぁ」シャルルは、彼女の不安を笑い飛ばした。「そういうのはナシって、停戦協定の同意条件にもあったでしょ? 大丈夫だって」
「良かった……」
彼女の泣きそうな声音に、シャルルはぐっと胸が詰まる。
「きみを世界帝軍へ預けてから、わたし、とっても不安だった……」
その柔らかな肌に触れる。
あたたかなぬくもりを感じ得る。
この世で一番尊いものは、絶対高貴なんかじゃない。
「ごめんね」
彼女をそっと抱き寄せて、失うものかと決意した。
この世界に生まれおちた瞬間に、俺は君と生きていくことを誓ったんだ。
殺させはしない。
奪わせはしない。
「ただいま、アジザ」
燃えるような赤毛に指を絡めて、その毛先にキスをする。
これはお祈り。そうして、懺悔だ。
君と俺が共にあるために戦争が必要なら、赤の他人には、存分に殺し合ってもらおう。
「おかえり、シャルル!」
照れを誤魔化すかのように、彼女は大きな声でそう言い、弾けるような笑顔を見せた。
君は知らないままでいて。
その笑顔を守るためなら、俺はいくらでも、この手を汚せるんだよ。
平和になったら銃はいらない。
『マスター』もいらない。
それなら人間はずっと争えばいい。
死と憎しみの連鎖を永遠と繰り返せ。
俺が『君』とあるために。