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side story

【ふたりのマスター】



雪の降り積もる森の中で、燃えるような赤毛は恰好の的だった。
「止まりなさい!」
制止の声を無視して逃げ惑う後ろ姿に発砲する。急所は外さなければならない。腿を狙った。だが、太い木の幹が邪魔をする。森は遮蔽物が多くていけない。鬱陶しい、と小さな舌打ち。遠くから狙ってもきりがない。
木々の間を旋回、素早く横切る。先回りし、標的が走ってきたところで、木の陰から拳銃を構えて立ち塞がる。
「止まれ」今度は命令口調にした。
銃口を向けられた赤毛の女は、さっと顔を青くする。
「両手を上げて」右手で銃を構えたまま、私は言った。
女が、ゆっくりと両手を上げる。
にじり寄ると、彼女も一緒に後ずさる。
「お願い」女の声は、死の恐怖に震えていた。「撃たないで」
「銃で殺してもらえると思ったら大間違いよ」吐いた息は白い。私は応えた。
「異端は火刑、国家反逆罪は斬首。古銃のマスターであり、レジスタンスの一員である貴女は、そのどちらにも該当する」
『マスター』という言葉が出てきたところで、女は驚愕したように目を見開く。
「きみ、やっぱり、現代銃の……?」女が言った。
喋り過ぎたな、と思った。
こんな状況で饒舌になるのは、やはりこの身体が追い詰められているからか。
「燃え盛る処刑台の上で、首を落として差し上げましょう」そう引き金を引こうとした。
「血!」
銃口を向けられていた女が、突然弾かれたように声を上げる。
彼女の視線は、力なく垂れた私の左手に注がれていた。白い手袋の甲に鮮血が滲んでいる。それは布を伝い、指先から滴り落ちるくらいだった。
「きみ、怪我してる!」女が叫んだ。
これは、怪我ではない。
忌々しい薔薇の聖痕の呪いだ。
片手で引き金を引く力がないことに、その時やっと気がついた。
どうりでこの女が煩いわけだ。



「なぜ、私を助けるの」
傷の開いた私の左手にせっせと包帯を巻いている女が、私の質問にきょとんとした顔になる。
緩くウェーブのかかった赤毛に、緑の混じる青い瞳。
そばかすの散った凡人じみた容貌が、くしゃりと笑った。
「だって、わたしはメディックだから。怪我をした人を放っておけない」
「貴女、この私を誰だと思って?」
「そういえば名前を知らないね。わたし、アジザって言うの。きみは?」
「私は世界帝軍人。現代銃のマスター。つまり、貴女の敵。おわかり?」
淡々とした私の答えに、知ってる、と古銃のマスターは苦笑した。
「今は戦線を離脱しているから、敵ではないよ」パチンと包帯を金具で留めて、アジザは微笑む。「わたしね、ずっと、きみと友達になりたかったの」
「友達? 殺し合っている私と貴女が?」渇いた声で嘲笑する。笑うと少々傷に響く。彼女の言うことは、間が抜けすぎて笑うしかない。「正気なの? 貴女」
「同じ『マスター』なんだもの。きっと、分かり合えるはず」
「口の利き方を弁えなさい」無礼な物言いに、きっと目つきを鋭くした。
「私と貴女が『同じ』だなんて。自惚れにも程がある」
「どうして?」アジザは、ちょこんと首を傾げる。
「この世界で、銃から貴銃士を召喚できるのは、わたしときみだけ。ほら、『同じ』でしょ? これって、すごい運命だと思わない?」
運命、と彼女は言う。
宿命だと、私は思う。
「ね。きみの名前は?」
古銃のマスターに名乗るつもりなど、毛頭ない。
しかし、彼女が名乗り上げてきた以上、こちらも名乗らなければ、フェアじゃない。
私はアジザを睨み上げながら、素気無く答えた。
「シキ」



また会おうね、と彼女は言った。
「わたしがきみを助けたこと、まだみんなには内緒だよ」
二人だけの秘密、と笑った後ろ姿に、私は銃を向けなかった。
ふわふわと柔らかく揺れる赤毛が、森の木立に消えてゆく。
「アインス」彼女の無事を見送ってから、漂う殺気の主に声をかけた。
「もういいわ。いらっしゃい」
「…………」
本体を担いだ大柄な貴銃士が、ぬっと茂みから現れる。その表情は、ひどく険しい。
「なぜ合図を出さなかった?」苛立ったような声で彼は問う。
「俺は、いつでも撃てた。あの女を捕らえる隙は幾らもあった」
「戦線を離脱したメディックを攻撃することは、国際法に違反します」
「あいつは古銃共のマスターだ。国際法も何もないだろう」
考えていたの、と私は答える。
アインスの言う通り、彼女を捕獲することは容易だった。殺さずに生け捕りを目的とするのは、マスターの証である薔薇の傷痕の秘密を吐かせるためだ。
今日、初めて自分の目で彼女の痣を確認した。
私とは比べ物にならないくらいの、希薄な薔薇。美しくさえあった。
なぜなの、と憎悪の念が湧く。
私たちは『同じ』マスターなのだと、彼女は言った。
同じであるはずがない。
なぜおまえの傷だけが、癒えるように薄くなるのだ。
「彼女と交渉すれば、薔薇の傷を癒す方法も知れるかもしれない」アインスの不満を宥めるように、私はわざと緩慢に話した。「うまくいけば、古銃共の弱点も」
「非効率的過ぎるな」はあと呆れたように嘆息して、アインスは顔を顰める。
「しっかりしてくれよ、マスター。そんなもん、捕らえてファルに尋問させた方が、手早く済む」
「人は、苦痛だけでは口を割らない生き物よ」
志があるものは特に、と私は付け足した。
「幸いあの女は、私と友達になりたいみたい」
ふふっと上ずった声が漏れる。友達だなんて。いつ思い出しても笑えてくる。
「だから、トモダチ作戦といきましょう」
世界帝あのかたには私から事情を報告するわ、と話を結ぶ。
「古銃のマスターが友達か……」
やれやれ、と遠い目をしたアインスが独り言ちた。
「帝軍中の笑いダネだ」


***



どこかで誰かが命を賭して争っている。
そんな幻想が、平和の尊さを人々の胸に刻み、新たな戦争の抑止力となる。


核戦争以前の抑止力は、核爆弾そのものだった。
核を保有する複数の大国は、他国にその技術力と軍事力を誇示した。核を持たない小国は、核を持つ強大な国に追随する。当然、大国同士の睨み合いに発展したが、核戦争には至らなかった。その大量殺戮兵器を投下すれば、世界は未曾有の大戦争に陥ることを、人々は理解していたからだ。
この膠着した軍事情勢を、当時の世界は『平和』と名付けた。
それは皮肉にも、核爆弾そのものによって破壊される。

平和とは、無から生まれた独裁者によって成し得るものだと、私は学んだ。
抑止力を分散させたことが、そもそもの間違いだったのだ。核爆弾は、一つで良かった。
だからこそ世界帝は、この世のありとあらゆる武器を、人々から取り上げた。そして、あえて古い武器を人々の手元に残したのだ。
反逆者を生み出すための布石。それが古銃。
世界帝対レジスタンスの戦争が、新たな戦争の火種を消すための抑止力。
その戦いが熾烈を極めるほど、世界は平和を享受する。
あえて人々の目に晒されることを望まれた、本物の殺し合い。
私はこの戦いを、『ショーとしての戦争』と呼んでいる。

敵味方双方の『マスター』という立場の女が、『ショーとしての戦争』の中で、偽りの友情を育むのだ。
そんなドラマチックな筋書で、この見世物を華々しく飾るのも、悪くはない。




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