side story
【GIFT】
マスターは帝都の美術館に足繁く通っていた。子供の頃、よく父親と一緒に来ていたらしい。その思い出も相まって、美術館という空間そのものに愛着を抱いているようだった。
父親がそうであったように、絵画・彫刻・建築など、文化財の類を彼女は重んじている。掃討任務の際にも、女子供を含め残党は煮るなり焼くなり好きにしても構わないと言う傍ら、歴史的・文化的価値のある建造物、また美術品などの破壊・略奪は頑なに禁止した。それらは兵士たちに持ち帰らせ、この美術館に寄贈していた。
彼女の言い分はこうだった。今を生きる人間の命より、先人の残した素晴らしき財産、それらを今日まで存続させてきた時間と労力の方が、遥かに価値が重い。つまり、人々を魅了し、長く大切にされてきた物や文化を粉砕することは、ひとりの人間を葬ることよりも重い罪だと。
美術品の保護を優先し、人の命を粗末に扱う彼女への批判は、帝軍の中に無いとは言えない。しかし、それほど悪いものではないだろう、と安易に考えている。掃討任務の際に限ってだが、兵士達は、彼女のお達し通り文化財に手を出さなければどんな横暴も許された。
酒と金と女。
「男の三禁」と呼ばれるそれらが、その時ばかりは存分に楽しめる。命を賭して戦場に身を捧げる兵士達にとっては最高の褒美だ。
彼女の行いがどんなに行き過ぎ、また歪んだ見解であるのか、銃である自分には到底分からない。しかし、たとえ軍の中で彼女への非難が爆発したとしても特段問題はない。
争いの火種なら大歓迎だ。
少なくとも、こんな退屈な場所に引っ張り出されるよりはずっと良い。
「アンタはこういうのが好きだな」
絵画を熱心に眺めている彼女の背後で、ぼそりと囁く。俺には、こうした芸術の価値が理解できない。
当然でしょうと言うように、振り向いた彼女は静謐な展示室に相応しい笑みを浮かべる。
「89はこういうのが嫌い?」
「興味がねぇ」
「戦利品だと思えばいいわ。この絵画も、あそこのレリーフも、貴方と私が指揮を執った作戦で街から攫ってきたものよ。勝利の証」
本当の勝利の証は、それらの美術品を壊すことだ。滅ぼした街の美術品を持ち帰って展示するなど、馬鹿げている。過去の栄光を誇るようでみっともない。
反論は山程思いついたが、この場所で議論を交わしては周囲の迷惑になると考え、控える。
「納得がいかない。けれど、この場で意見を述べるべきではない。周りの迷惑になる。……そんなところかしら」
彼女は俺の思考を見事にトレースし、言い当ててみせた。勝手に心を読むなよと一瞥を投げ、静かに溜息を漏らす。
「俺は、戦争の方が好きだ」戦争よりも好きなものが、ゲームだ。
「もっともな意見ね」絵を眺めたまま、彼女はその瞳を柔和に細める。「貴方は、人を殺めるための道具だもの。武器らしくって、とっても素敵」
皮肉なのか、それとも率直な考えを述べたのか。真意が分からず黙り込むと、「気を悪くした?」と絵から視線を逸らした彼女と目が合った。
無言で首を横に振る。
銃である自分たちの役目は、さながら火消し仕事のように単純だ。
蝋燭の炎を消すように、命の灯火を吹いては消してゆくだけの作業。
人によって造られた、人を殺めるための武器。
「貴銃士は武器であって、人ではないの。たとえそれが、意思を持つ人型であったとしても」
躊躇いもなく放たれた彼女の言葉に、ただ頷いた。
この女は、余計な感情がなくて良い。
ああでも、と彼女は思い出したように喋り始めた。
「古銃の貴銃士は、『武器』という気がしないわね。貴方達と比べたら、あまりにも性能が劣り過ぎて……」
彼女は顎に片手を添えて、しばらく思案してからくすっと笑った。
「ねえ89、こういうのはどう? レジスタンスの古銃の貴銃士を生け捕りにして、博物館に展示するの」
「は?」
「彼等だって、本体の銃は骨董品の芸術よ。つまり、古銃の貴銃士は人型の美術品。昆虫みたいに標本にして飾ったら、美しいと思わない?」
自分が人型のまま標本にされているところを想像した。
飼い殺しなんてものじゃない。
死にながらにして、生き地獄だ。
「完成したら古銃のマスターを呼んで、館長にして差し上げましょう。これが貴方のコレクションよ、ってね」
彼女の思いつきに薄ら寒くなる。
レジスタンスを潰し、古銃共を生きたまま収集。貴銃士としての姿のままでこれを標本とし、博物館に整然と並べて展示する。「館長」という称号の名の下に、それらを丸ごと古銃のマスターに贈与するのだ。
「きっと泣いて喜ぶだろうな」眉間に深い皺を刻み、苦々しい顔で皮肉を吐露する。「良い趣味してるぜ、アンタ」
「裏切者の末路、というのはどうかしら」
「あ?」
「古銃博物館の名前」
静謐な展示室に相応しい笑みを浮かべたまま、彼女は小首を傾げる。
ただの見せしめじゃねぇか、と顔を歪めた。
「古銃の貴銃士の保存方法については、ホクサイに相談してみましょう」
まったく笑えない冗談だ。
***
「マスターと89クン、遅いねぇ」
「そうだねぇ」
「ボクちゃん退屈だねぇ」
スリングで身体の前面に固定した自分の本体と会話をしてみる。本体が「そうだねぇ」と相槌を打った時、人形を喋らせるように銃を両手で揺すった。「ホクサイ」の姿で噴水の縁に腰掛けた貴銃士と、彼が持っている「HK33」という銃の本体は、どちらも自分であるから、これは独り言を呟いていることに他ならない。それでも、誰かと会話をしているような錯覚だけは得られた。
母親に手を引かれて歩く小さな子供が、興味深そうにこちらを見ている。銃と喋っている変な軍人さん、と思われたかもしれない。もしくは、俺の見た目が強烈だったか。
今日はいつものガスマスクを外している。常日頃パトロールをしている汚染区域とは異なり、華の帝都はクリーンだ。そんな環境下でガスマスクを装着していたら確かに目立つかもしれないが、こうして素顔を晒す方がかえって目立つような気もする。髪色や瞳の色も含め、俺の姿形は人間の目に珍しく映るものらしい。マスターの言うことを鵜呑みにしているだけだから、この容姿を珍しいと認識する感性はイマイチよく分からない。
感性と言えば、美術館に篭りっきりでなかなか外に出てこない彼女の嗜好も理解不能だ。
「ゲイジュツ?って言うのかな。そんなものを造ったり、眺めたりすることに、何の意味があるの?」
「さあね。人間って、無駄なことをするよね〜」
プルシアンブルーは美しいと思うし、ミカエルクンのピアノは面白い。価値あるものと許容できるゲイジュツはこの範囲に限られる。だけど、マスターが価値あるものと捉えるゲイジュツの範囲は、より広義で深い。そして厄介だ。
「教会や美術館の中に銃を持ち込むな」と彼女は口酸っぱく言う。価値ある文化財が銃撃で破壊される事を懸念しての命令だった。マスターがそう言うなら従うまでだが、困ったことに西欧の街は教会と美術館だらけだ。おまけに、今自分が腰掛けている噴水の彫刻。これも美術品にカウントされてしまうので、ここで銃を撃つことも禁じられた。今スリングで固定している本体も、この場所ではただの鈍に過ぎない。
そういえば、スリングで左肩に掛けているもう一つの鈍があった。89式自動小銃だ。89クンの本体で、当の本人は、護衛としてマスターに連れられ美術館の中にいる。たとえ貴銃士であっても、美術館内に銃を持参することは許されない。だから渋々、大切な本体を俺に預けることになったのだ。
「89クン、本体と離れ離れになって、心細いだろうな〜。ねっ、89式」
出来心で89クンの本体に話しかけてはみたものの、89式の返答が思い浮かばず、早々と諦めた。そろそろこの遊戯にも飽きてきた頃合いか。
マスター遅いな、と小首を傾げる。
ボクちゃん大人しく待ってるのに。
早く帰ってこないかな……。
彼女をあの四角い箱の中から引き摺り出すには、どうしたらいいのだろうと思案する。
弾き出された答えは、至極単純だ。
命令を無視して、今この場所で噴水の彫刻目がけて発砲すればいい。彼女は血相を変えてあの建物から飛び出してくるだろう。向こうから出てきてくれるのだから、この方法が最も合理的だ。
タイムが気になった。
彼女は、銃声が響いてから、何秒でここへ走ってくるだろう。
その速さが、つまり、関心度の高さだ。
むくむくと好奇心が湧く。
やってみる?
「ホクサイ」
焦がれたその呼び声に、はっと両目を見開いた。
顰めっ面の89クンを連れた彼女が歩いて来る。
嬉しくなって、笑みが溢れた。
なんて絶妙なタイミングだろう。
あともう少し遅ければ、噴水の彫刻を的にして、射撃の腕前を披露するところだった。
「待たせてごめんなさい。良い子にしてた?」
重量約四キログラムの銃を二挺担いで、もちろんだよ、と胸を張ってアピールする。その仕草が可笑しかったのか、彼女はくすくすと肩を小さく揺らして笑った。
「本当に? 何か、不穏なことを考えていたでしょう」
「う〜ん……、ナイショ!」
「分かりやすい子ね」
「アンタ、そうやって俺たちの心を見透かすのやめろよな」
苦虫を噛み潰したような顔で、ぼそりと89クンが呟く。
彼女は、貴銃士の感情の起伏を読み取るエスパーかもしれない。
***
「兵器の全てを独占した世界帝が、古銃を野放しにしたのは失策でした」彼女は言った。「はじめから古銃を破壊、もしくは回収していれば、レジスタンスの手に『貴銃士』という存在が渡ることも無かったわ」
マスターと護衛の貴銃士二人は、大通りに面したカフェのテラス席を囲んでいた。サーブされた紅茶に角砂糖を一つ落として、ティースプーンでくるくるとかき混ぜながら、彼女は話を続けた。
「私は、彼らが武器として存在することが我慢ならないの。美術品は大人しく展示されれば良い」喋りながら、二つ目の角砂糖を紅茶に投入する。
「私の古銃博物館が完成したら、世界帝 もお喜びになることでしょう」
「あはは。最高のGIFTだね〜」
「ギフトか……」
血のように赤い紅茶を見つめ、89が呟く。「GIFT」という単語は、英語では「贈り物」を意味するが、ドイツ語では「毒」を意味すると聞いている。ホクサイはたまに気の利いたことを言うな、と妙に感心した。
彼女が三つ目の角砂糖を紅茶に落としたところで、「どんだけ入れるんだよ」と咄嗟に89が窘める。
「そうねぇ。向こうの古銃は三十挺ほどあるみたいだし、少な目に見積もっても、二十五挺は収集したいものね」
「そっちの話じゃねぇよ。砂糖だよ、砂糖」
「キミの言う古銃博物館とやらは、貴銃士を人型のまま保存して展示するんだろう?」赤みの強い紅茶の色にうげっと顔を顰めながら、ホクサイが淡々と意見を述べた。「ちょっと考えてみたけれど、それは無理があると思うなぁ」
「無理って、一体どうして?」
「人間は、昆虫のように乾燥させて標本にすることはできない。身体の水分が多すぎるからね。遺体の保存方法といえば、せいぜいミイラ化させるか、冷凍するくらいかな」エンバーミングっていう技法もあるけど、とホクサイは付け足した。
「ミイラ化……」89は、包帯でぐるぐる巻きにされた、古銃の貴銃士たちの姿を想像した。これはこれで、愉快なものだ。
「でもね〜、人間をミイラにするのって大変なんだよね〜。内臓も脳も筋肉も全部取り出したうえで、水分も残さず乾燥させなきゃならないし。手間隙かかるわりには綺麗に保存できなくってさぁ〜」
「おいやめろ。食事中だぞ」内臓も脳も、という単語が出てきたところで89はホクサイを睨みつける。紅茶が不味くなるだろうが、という非難の目だ。
「その点、冷凍保存は遺体を綺麗に保てるし凍らせるだけだから楽なんだけど、維持費が高くつくよねぇ」
「維持費?」彼女が首を傾げた。
「だって、人一人まるごと入った冷凍庫を、約三十台、半永久的に稼働させないといけないわけだから」コストがかかり過ぎるよね、とホクサイは肩をすくめて見せる。
「やっぱり古銃は、壊しちゃうのが一番だよ。生け捕りなんて面倒臭いしね」
ミイラ化も無理、冷凍保存も無理。
マスターの古銃博物館計画はあっさりと頓挫してしまった。
「良いアイデアだと思ったのに……」四つ目の角砂糖を紅茶に落としてかき混ぜながら、空を見つめて彼女は溜息を吐く。
いっそ角砂糖を舐めりゃあいいだろ、と89が思ったのは言うまでもない。
マスターは帝都の美術館に足繁く通っていた。子供の頃、よく父親と一緒に来ていたらしい。その思い出も相まって、美術館という空間そのものに愛着を抱いているようだった。
父親がそうであったように、絵画・彫刻・建築など、文化財の類を彼女は重んじている。掃討任務の際にも、女子供を含め残党は煮るなり焼くなり好きにしても構わないと言う傍ら、歴史的・文化的価値のある建造物、また美術品などの破壊・略奪は頑なに禁止した。それらは兵士たちに持ち帰らせ、この美術館に寄贈していた。
彼女の言い分はこうだった。今を生きる人間の命より、先人の残した素晴らしき財産、それらを今日まで存続させてきた時間と労力の方が、遥かに価値が重い。つまり、人々を魅了し、長く大切にされてきた物や文化を粉砕することは、ひとりの人間を葬ることよりも重い罪だと。
美術品の保護を優先し、人の命を粗末に扱う彼女への批判は、帝軍の中に無いとは言えない。しかし、それほど悪いものではないだろう、と安易に考えている。掃討任務の際に限ってだが、兵士達は、彼女のお達し通り文化財に手を出さなければどんな横暴も許された。
酒と金と女。
「男の三禁」と呼ばれるそれらが、その時ばかりは存分に楽しめる。命を賭して戦場に身を捧げる兵士達にとっては最高の褒美だ。
彼女の行いがどんなに行き過ぎ、また歪んだ見解であるのか、銃である自分には到底分からない。しかし、たとえ軍の中で彼女への非難が爆発したとしても特段問題はない。
争いの火種なら大歓迎だ。
少なくとも、こんな退屈な場所に引っ張り出されるよりはずっと良い。
「アンタはこういうのが好きだな」
絵画を熱心に眺めている彼女の背後で、ぼそりと囁く。俺には、こうした芸術の価値が理解できない。
当然でしょうと言うように、振り向いた彼女は静謐な展示室に相応しい笑みを浮かべる。
「89はこういうのが嫌い?」
「興味がねぇ」
「戦利品だと思えばいいわ。この絵画も、あそこのレリーフも、貴方と私が指揮を執った作戦で街から攫ってきたものよ。勝利の証」
本当の勝利の証は、それらの美術品を壊すことだ。滅ぼした街の美術品を持ち帰って展示するなど、馬鹿げている。過去の栄光を誇るようでみっともない。
反論は山程思いついたが、この場所で議論を交わしては周囲の迷惑になると考え、控える。
「納得がいかない。けれど、この場で意見を述べるべきではない。周りの迷惑になる。……そんなところかしら」
彼女は俺の思考を見事にトレースし、言い当ててみせた。勝手に心を読むなよと一瞥を投げ、静かに溜息を漏らす。
「俺は、戦争の方が好きだ」戦争よりも好きなものが、ゲームだ。
「もっともな意見ね」絵を眺めたまま、彼女はその瞳を柔和に細める。「貴方は、人を殺めるための道具だもの。武器らしくって、とっても素敵」
皮肉なのか、それとも率直な考えを述べたのか。真意が分からず黙り込むと、「気を悪くした?」と絵から視線を逸らした彼女と目が合った。
無言で首を横に振る。
銃である自分たちの役目は、さながら火消し仕事のように単純だ。
蝋燭の炎を消すように、命の灯火を吹いては消してゆくだけの作業。
人によって造られた、人を殺めるための武器。
「貴銃士は武器であって、人ではないの。たとえそれが、意思を持つ人型であったとしても」
躊躇いもなく放たれた彼女の言葉に、ただ頷いた。
この女は、余計な感情がなくて良い。
ああでも、と彼女は思い出したように喋り始めた。
「古銃の貴銃士は、『武器』という気がしないわね。貴方達と比べたら、あまりにも性能が劣り過ぎて……」
彼女は顎に片手を添えて、しばらく思案してからくすっと笑った。
「ねえ89、こういうのはどう? レジスタンスの古銃の貴銃士を生け捕りにして、博物館に展示するの」
「は?」
「彼等だって、本体の銃は骨董品の芸術よ。つまり、古銃の貴銃士は人型の美術品。昆虫みたいに標本にして飾ったら、美しいと思わない?」
自分が人型のまま標本にされているところを想像した。
飼い殺しなんてものじゃない。
死にながらにして、生き地獄だ。
「完成したら古銃のマスターを呼んで、館長にして差し上げましょう。これが貴方のコレクションよ、ってね」
彼女の思いつきに薄ら寒くなる。
レジスタンスを潰し、古銃共を生きたまま収集。貴銃士としての姿のままでこれを標本とし、博物館に整然と並べて展示する。「館長」という称号の名の下に、それらを丸ごと古銃のマスターに贈与するのだ。
「きっと泣いて喜ぶだろうな」眉間に深い皺を刻み、苦々しい顔で皮肉を吐露する。「良い趣味してるぜ、アンタ」
「裏切者の末路、というのはどうかしら」
「あ?」
「古銃博物館の名前」
静謐な展示室に相応しい笑みを浮かべたまま、彼女は小首を傾げる。
ただの見せしめじゃねぇか、と顔を歪めた。
「古銃の貴銃士の保存方法については、ホクサイに相談してみましょう」
まったく笑えない冗談だ。
***
「マスターと89クン、遅いねぇ」
「そうだねぇ」
「ボクちゃん退屈だねぇ」
スリングで身体の前面に固定した自分の本体と会話をしてみる。本体が「そうだねぇ」と相槌を打った時、人形を喋らせるように銃を両手で揺すった。「ホクサイ」の姿で噴水の縁に腰掛けた貴銃士と、彼が持っている「HK33」という銃の本体は、どちらも自分であるから、これは独り言を呟いていることに他ならない。それでも、誰かと会話をしているような錯覚だけは得られた。
母親に手を引かれて歩く小さな子供が、興味深そうにこちらを見ている。銃と喋っている変な軍人さん、と思われたかもしれない。もしくは、俺の見た目が強烈だったか。
今日はいつものガスマスクを外している。常日頃パトロールをしている汚染区域とは異なり、華の帝都はクリーンだ。そんな環境下でガスマスクを装着していたら確かに目立つかもしれないが、こうして素顔を晒す方がかえって目立つような気もする。髪色や瞳の色も含め、俺の姿形は人間の目に珍しく映るものらしい。マスターの言うことを鵜呑みにしているだけだから、この容姿を珍しいと認識する感性はイマイチよく分からない。
感性と言えば、美術館に篭りっきりでなかなか外に出てこない彼女の嗜好も理解不能だ。
「ゲイジュツ?って言うのかな。そんなものを造ったり、眺めたりすることに、何の意味があるの?」
「さあね。人間って、無駄なことをするよね〜」
プルシアンブルーは美しいと思うし、ミカエルクンのピアノは面白い。価値あるものと許容できるゲイジュツはこの範囲に限られる。だけど、マスターが価値あるものと捉えるゲイジュツの範囲は、より広義で深い。そして厄介だ。
「教会や美術館の中に銃を持ち込むな」と彼女は口酸っぱく言う。価値ある文化財が銃撃で破壊される事を懸念しての命令だった。マスターがそう言うなら従うまでだが、困ったことに西欧の街は教会と美術館だらけだ。おまけに、今自分が腰掛けている噴水の彫刻。これも美術品にカウントされてしまうので、ここで銃を撃つことも禁じられた。今スリングで固定している本体も、この場所ではただの鈍に過ぎない。
そういえば、スリングで左肩に掛けているもう一つの鈍があった。89式自動小銃だ。89クンの本体で、当の本人は、護衛としてマスターに連れられ美術館の中にいる。たとえ貴銃士であっても、美術館内に銃を持参することは許されない。だから渋々、大切な本体を俺に預けることになったのだ。
「89クン、本体と離れ離れになって、心細いだろうな〜。ねっ、89式」
出来心で89クンの本体に話しかけてはみたものの、89式の返答が思い浮かばず、早々と諦めた。そろそろこの遊戯にも飽きてきた頃合いか。
マスター遅いな、と小首を傾げる。
ボクちゃん大人しく待ってるのに。
早く帰ってこないかな……。
彼女をあの四角い箱の中から引き摺り出すには、どうしたらいいのだろうと思案する。
弾き出された答えは、至極単純だ。
命令を無視して、今この場所で噴水の彫刻目がけて発砲すればいい。彼女は血相を変えてあの建物から飛び出してくるだろう。向こうから出てきてくれるのだから、この方法が最も合理的だ。
タイムが気になった。
彼女は、銃声が響いてから、何秒でここへ走ってくるだろう。
その速さが、つまり、関心度の高さだ。
むくむくと好奇心が湧く。
やってみる?
「ホクサイ」
焦がれたその呼び声に、はっと両目を見開いた。
顰めっ面の89クンを連れた彼女が歩いて来る。
嬉しくなって、笑みが溢れた。
なんて絶妙なタイミングだろう。
あともう少し遅ければ、噴水の彫刻を的にして、射撃の腕前を披露するところだった。
「待たせてごめんなさい。良い子にしてた?」
重量約四キログラムの銃を二挺担いで、もちろんだよ、と胸を張ってアピールする。その仕草が可笑しかったのか、彼女はくすくすと肩を小さく揺らして笑った。
「本当に? 何か、不穏なことを考えていたでしょう」
「う〜ん……、ナイショ!」
「分かりやすい子ね」
「アンタ、そうやって俺たちの心を見透かすのやめろよな」
苦虫を噛み潰したような顔で、ぼそりと89クンが呟く。
彼女は、貴銃士の感情の起伏を読み取るエスパーかもしれない。
***
「兵器の全てを独占した世界帝が、古銃を野放しにしたのは失策でした」彼女は言った。「はじめから古銃を破壊、もしくは回収していれば、レジスタンスの手に『貴銃士』という存在が渡ることも無かったわ」
マスターと護衛の貴銃士二人は、大通りに面したカフェのテラス席を囲んでいた。サーブされた紅茶に角砂糖を一つ落として、ティースプーンでくるくるとかき混ぜながら、彼女は話を続けた。
「私は、彼らが武器として存在することが我慢ならないの。美術品は大人しく展示されれば良い」喋りながら、二つ目の角砂糖を紅茶に投入する。
「私の古銃博物館が完成したら、
「あはは。最高のGIFTだね〜」
「ギフトか……」
血のように赤い紅茶を見つめ、89が呟く。「GIFT」という単語は、英語では「贈り物」を意味するが、ドイツ語では「毒」を意味すると聞いている。ホクサイはたまに気の利いたことを言うな、と妙に感心した。
彼女が三つ目の角砂糖を紅茶に落としたところで、「どんだけ入れるんだよ」と咄嗟に89が窘める。
「そうねぇ。向こうの古銃は三十挺ほどあるみたいだし、少な目に見積もっても、二十五挺は収集したいものね」
「そっちの話じゃねぇよ。砂糖だよ、砂糖」
「キミの言う古銃博物館とやらは、貴銃士を人型のまま保存して展示するんだろう?」赤みの強い紅茶の色にうげっと顔を顰めながら、ホクサイが淡々と意見を述べた。「ちょっと考えてみたけれど、それは無理があると思うなぁ」
「無理って、一体どうして?」
「人間は、昆虫のように乾燥させて標本にすることはできない。身体の水分が多すぎるからね。遺体の保存方法といえば、せいぜいミイラ化させるか、冷凍するくらいかな」エンバーミングっていう技法もあるけど、とホクサイは付け足した。
「ミイラ化……」89は、包帯でぐるぐる巻きにされた、古銃の貴銃士たちの姿を想像した。これはこれで、愉快なものだ。
「でもね〜、人間をミイラにするのって大変なんだよね〜。内臓も脳も筋肉も全部取り出したうえで、水分も残さず乾燥させなきゃならないし。手間隙かかるわりには綺麗に保存できなくってさぁ〜」
「おいやめろ。食事中だぞ」内臓も脳も、という単語が出てきたところで89はホクサイを睨みつける。紅茶が不味くなるだろうが、という非難の目だ。
「その点、冷凍保存は遺体を綺麗に保てるし凍らせるだけだから楽なんだけど、維持費が高くつくよねぇ」
「維持費?」彼女が首を傾げた。
「だって、人一人まるごと入った冷凍庫を、約三十台、半永久的に稼働させないといけないわけだから」コストがかかり過ぎるよね、とホクサイは肩をすくめて見せる。
「やっぱり古銃は、壊しちゃうのが一番だよ。生け捕りなんて面倒臭いしね」
ミイラ化も無理、冷凍保存も無理。
マスターの古銃博物館計画はあっさりと頓挫してしまった。
「良いアイデアだと思ったのに……」四つ目の角砂糖を紅茶に落としてかき混ぜながら、空を見つめて彼女は溜息を吐く。
いっそ角砂糖を舐めりゃあいいだろ、と89が思ったのは言うまでもない。