きみのことを教えて
【生まれたての子鹿】
「マスター。助けてくれ」
彼女が廊下を歩いて角を曲がると、真っ青な顔をしたアインスに突然懇願される。
彼は、廊下の蛍光灯を交換していたのか、脚立の上に登っていた。さほど大きくない、一般的なサイズの脚立だ。いくら天井に届かないとはいえ、高身長な彼にそのような脚立が必要なのか、彼女は疑問に思った。
「助けてくれって、一体何を?」
不思議そうに首を傾げると、背に腹はかえられぬとアインスは躊躇いもなく告白する。
「降りられなくなった」
「脚立から?」
「俺は高い所が苦手なんだ……」
高い所と言うほど、その脚立は高くない。ステップを四段ほど踏めば、すぐに床に着地できる。アインスの長い脚だったら、ステップなんぞ踏まなくとも、易々と着地できそうなものだが。
「別にそんなに高い所じゃないでしょう?」
彼女が平然と言ってみても、アインスは脚立の上から微動だにしない。まるで木から降りられなくなった子猫のようだ。子猫だったら抱き上げて降ろせば済むことだが、今回は相手が大男なのでそうもいかない。
「そもそも、なぜ脚立に登ったの?」
「蛍光灯が切れたから、交換するためにだ」
「それ、貴方の仕事じゃないわよね?」
「そうなんだが、他にやることがなくてな」
定年退職後のお父さんか。
それにしても、脚立の上で生まれたての子鹿のように震えている彼はなかなか滑稽だ。このまま雑談を続けてこの光景を眺めていたいが、脚立の耐久性がいかほどのものなのか、彼女はふと心配になった。高身長なうえ筋骨隆々な男の重みで、怯えたアインスより先に土台の脚立が壊れてしまう恐れがある。そうなる前に、早くアインスを降ろさなくては。
「仕方ないわね。私が受け止めるから飛び降りなさい」
さあ、と両手を広げて彼女がアインスを見上げる。何だこの状況は、と彼は途方に暮れた。これでは立場がまるで逆じゃないか。
「そんなことしたらマスターちゃんが潰れちゃうでしょ」廊下の角から姿を現したホクサイが、面白そうにアハハと笑った。
「キミってほんと発言がイケメンクンだよね」
「ホクサイ、頼む。俺がここから飛び降りるから、お前が俺を受け止めてくれ」
「それはちょっとやだな。絵面的に」
「絵面的にって何だ」
「降りる時に足場が揺れるから怖くなるんだよ。ボクちゃんとマスターが脚立を押さえていれば大丈夫じゃない?」
「そういうことなら任せなさい」
彼女は脚立の脚をがっしりと掴み、微笑みながらアインスを見上げた。「ほら。これでもう安定よ?」
「しっかり押さえてるから、アインスクンは安心して降りるといいよ〜」反対側の脚を掴みながら、にこにことホクサイもアインスを見上げる。
「お前ら、すまねぇ」
ほっと安堵の表情を浮かべて、アインスは恐る恐る、はじめの一歩を踏み出した。
と、そこへ。
「まあ、地震だわ」
彼女がぽつりと呟くと、「本当だぁ〜!」と声を上げながら、ホクサイが脚立の脚を前後に揺すった。
「おいいいいっ!!」ガションガションと音を立てて揺れる脚立の上で、アインスはどっと冷や汗をかく。
「揺らすな! 頼むから……!!」
「揺らしてないよ。地震だよ」とぼけた様子でホクサイは向かいの彼女に同意を求める。「ね、マスター」
「ええ。震度3くらいかしら」
「随分と局地的な揺れだな!!」片脚をステップに掛けながら、恐ろしさにガタガタと震えるアインス。
「あっ。今度は縦揺れ」
彼女がそう漏らすと、「ふぐぐ」と呻くような声を上げながらホクサイが脚立を上下に揺すろうと苦戦している。
「お前らあああああっ!!!!」
脚立の上で身を竦めたアインスの、渾身の怒号が廊下に響き渡っていた。
「マスター。助けてくれ」
彼女が廊下を歩いて角を曲がると、真っ青な顔をしたアインスに突然懇願される。
彼は、廊下の蛍光灯を交換していたのか、脚立の上に登っていた。さほど大きくない、一般的なサイズの脚立だ。いくら天井に届かないとはいえ、高身長な彼にそのような脚立が必要なのか、彼女は疑問に思った。
「助けてくれって、一体何を?」
不思議そうに首を傾げると、背に腹はかえられぬとアインスは躊躇いもなく告白する。
「降りられなくなった」
「脚立から?」
「俺は高い所が苦手なんだ……」
高い所と言うほど、その脚立は高くない。ステップを四段ほど踏めば、すぐに床に着地できる。アインスの長い脚だったら、ステップなんぞ踏まなくとも、易々と着地できそうなものだが。
「別にそんなに高い所じゃないでしょう?」
彼女が平然と言ってみても、アインスは脚立の上から微動だにしない。まるで木から降りられなくなった子猫のようだ。子猫だったら抱き上げて降ろせば済むことだが、今回は相手が大男なのでそうもいかない。
「そもそも、なぜ脚立に登ったの?」
「蛍光灯が切れたから、交換するためにだ」
「それ、貴方の仕事じゃないわよね?」
「そうなんだが、他にやることがなくてな」
定年退職後のお父さんか。
それにしても、脚立の上で生まれたての子鹿のように震えている彼はなかなか滑稽だ。このまま雑談を続けてこの光景を眺めていたいが、脚立の耐久性がいかほどのものなのか、彼女はふと心配になった。高身長なうえ筋骨隆々な男の重みで、怯えたアインスより先に土台の脚立が壊れてしまう恐れがある。そうなる前に、早くアインスを降ろさなくては。
「仕方ないわね。私が受け止めるから飛び降りなさい」
さあ、と両手を広げて彼女がアインスを見上げる。何だこの状況は、と彼は途方に暮れた。これでは立場がまるで逆じゃないか。
「そんなことしたらマスターちゃんが潰れちゃうでしょ」廊下の角から姿を現したホクサイが、面白そうにアハハと笑った。
「キミってほんと発言がイケメンクンだよね」
「ホクサイ、頼む。俺がここから飛び降りるから、お前が俺を受け止めてくれ」
「それはちょっとやだな。絵面的に」
「絵面的にって何だ」
「降りる時に足場が揺れるから怖くなるんだよ。ボクちゃんとマスターが脚立を押さえていれば大丈夫じゃない?」
「そういうことなら任せなさい」
彼女は脚立の脚をがっしりと掴み、微笑みながらアインスを見上げた。「ほら。これでもう安定よ?」
「しっかり押さえてるから、アインスクンは安心して降りるといいよ〜」反対側の脚を掴みながら、にこにことホクサイもアインスを見上げる。
「お前ら、すまねぇ」
ほっと安堵の表情を浮かべて、アインスは恐る恐る、はじめの一歩を踏み出した。
と、そこへ。
「まあ、地震だわ」
彼女がぽつりと呟くと、「本当だぁ〜!」と声を上げながら、ホクサイが脚立の脚を前後に揺すった。
「おいいいいっ!!」ガションガションと音を立てて揺れる脚立の上で、アインスはどっと冷や汗をかく。
「揺らすな! 頼むから……!!」
「揺らしてないよ。地震だよ」とぼけた様子でホクサイは向かいの彼女に同意を求める。「ね、マスター」
「ええ。震度3くらいかしら」
「随分と局地的な揺れだな!!」片脚をステップに掛けながら、恐ろしさにガタガタと震えるアインス。
「あっ。今度は縦揺れ」
彼女がそう漏らすと、「ふぐぐ」と呻くような声を上げながらホクサイが脚立を上下に揺すろうと苦戦している。
「お前らあああああっ!!!!」
脚立の上で身を竦めたアインスの、渾身の怒号が廊下に響き渡っていた。