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side story

【バカンス】



「うみー! 海だぜぇーっ!!」
「早く行こ♡ おねーちゃん!」
「二人とも、落ち着いて」ベルガーときゅるちゅに両腕を引っ張られ、彼女は困惑している様子だ。「引っ張らないで」
「チッ。あの馬鹿共」二人に海へと拉致されてゆく彼女の後ろ姿を眺めて、89は小さく悪態をつく。「ベタベタ触りやがって。胸糞悪ィ」
「水着のシキ嬢にベタベタ……。羨ましいね」
「おいミカエル」さらっととんでもない事を口にした隣の男を、89はうんざりした顔で窘めた。
「お前まで、何言ってんだ」



「お嬢の奴、戻って来るな」
パラソルのテーブルに腰かけたアインスが、サングラス越しに彼女の姿を捉えて呟く。いつもは高級なスーツに身を包んだ彼も、今日ばかりはバカンスに相応しい、赤いアロハシャツに着替えていた。
「あの二人の相手に疲れたのでしょう」
アインスの前に恭しく差し出されたのは、櫛切りにしたレモンを飲み口に刺して飾ったグラス。そこへお手製のトロピカルジュースを注ぎ入れながら、同じくアロハシャツを着こなしたファルが、にこりと微笑む。
「89さん。お嬢様を迎えに行って差し上げなさい」
「はあ?」手元のゲーム機から視線を逸らし、89は怨めしそうにファルを見上げる。「何で俺が」
「ゲームばかりやっている罰ですよ。少しは働いてもらわないと」
「つーか迎えって……、目と鼻の先だろ」
「ああ。早くも周囲の男性の注目を集めてますねぇ」双眼鏡で海辺の彼女を覗き見ながら、ファルは口の端を持ち上げる。「お嬢様、見た目だけは良いですから。これはナンパに捕まるのも時間の問題です」
「見た目だけって何だい?」聞き捨てならないな、とミカエルが突然口を挟む。「彼女は中身も素敵だよ」
「おや。これは失礼」ファルは双眼鏡から目を離し、ミカエルを見つめてふふっと笑った。「実にすみません」
「ミカエル、お前。よくそんな事言えるよな」
「89。ファルさんの言う通り、彼女を迎えに行っておやり」
「だから、何で俺なんだっつの」
「89……」
今まで黙っていたアインスが、地の底を這うようなドスのきいた声を上げる。サングラスを目の下にずらし、鋭い眼差しで89を睨んだ。
「お嬢を待たせるな。早く行け」
「ほら。アインスもお怒りですよ?」
「お前が行かないなら俺が行く」
「あ、それは駄目です」痺れを切らして立ち上がろうとしたアインスを制して、ファルは困ったように微笑んだ。
「貴方が行くと、善良な市民様たちを怖がらせてしまうので」
「チッ……、わーったよ」89はゲーム機をテーブルの上に放り投げ、仕方なく椅子から立ち上がる。「あー、だりぃ……」
アインスはともかく、ファルやミカエルはこの場から動きたくないだけだろーが、と毒づきながら。



「89? 何やってるの」
短パンに迷彩のパーカー姿で立っている彼に近づき、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「テメェを迎えに行けだと」89はひどい顰めっ面で、浜辺のパラソルの下で涼む仲間たちを顎で示す。「あいつらにパシられた」
「迎え? 目と鼻の先なのに?」彼女は目を丸くして、くすっと可笑しそうに笑った。「変なの」
「ナンパ避けだよ。アイツら、あんたに男を近づけたくねーんだと。過保護だよな」
「そういうあの人たちも、女の子達に声をかけられたみたい」
彼女は目の上に手を翳し、パラソルの下の貴銃士たちを遠く見つめる。
「あ?」89は驚いて、素早く後ろを振り返った。「うわっ……、まじかよ」
「あそこに居るのは、ファルとアインスと、ミカエルだったわね」まったく、と彼女は溜め息をつく。
「あの人たち、顔だけは良いんだから……」



「しかし、なぜプライベートビーチにしないんだ。あの方の事だ。お嬢の為ならビーチくらい簡単に貸し切るだろうに」
「ああ、それ、お嬢様が断ったようですよ。彼女は、民衆と同じ海を楽しみたいのだそうです。意外と庶民的ですね」
「庶民的で悪かったわね」
噂をすれば、海辺で遊んでいた彼女がパラソルの下に戻って来ている。
「おや、お嬢様」顰めっ面の彼女とは対照的に、ファルはにこりと人が良さそうに微笑む。「海はもうよろしいので?」
「あの女の子達は?」ファルが引いた椅子に腰かけながら、彼女はそう尋ねる。見ていたのか、とアインスは渋い顔をした。
「恐縮ですが、丁重にお断りしましたよ」グラスにトロピカルジュースを注ぎ入れながら、優雅な微笑みを湛えた唇で、ファルは答える。「今日は貴女をエスコートしなければなりませんので」
「エスコート? 白々しい」グラスを持ち上げジュースに口をつけた彼女が、やれやれと肩をすくめる。「心にも無いくせに」
「いや、充分エスコートされてるだろーが」89は苦々しく呟いた。
89に迎えに来てもらい、ファルの引いた椅子に腰掛け、ファルにお手製のトロピカルジュースを差し出されてもなお、彼女はエスコートを疑っている。



「みんな遊び疲れたのね」
後部座席で折り重なるように眠っている貴銃士たちを振り返り、助手席の彼女は呟く。前を向き直してから、「子供みたい」と茶化すような声を上げた。
「はしゃぎ過ぎだ」ミラーで後部座席の様子を確認したアインスは、やれやれとハンドルを握りながら息を吐く。「みたいじゃなくて、実際子供なんだろ。こいつらは」
「私、今日みたいに、貴銃士のみんなで出掛ける事が夢だったの」任務じゃなくて遊びでね、と彼女は言った。「貴方が行くと言ってくれたから、みんな付いてきてくれたのよ。どうもありがとう」
らしくもない感謝の言葉を、彼女は囁く。
ちらりと助手席を見やると、その横顔は微笑んでいた。
「またいつでも付き合うぜ」
「本当?」嬉しさに弾んだ彼女の声が、アインスの耳を擽った。
「ああ。お嬢のためならな」
嬉しい、とはにかむ彼女の表情。
たまにはこんな休暇も悪くねぇ、とアインスは思う。
彼女のほんのりと焼けた頰の赤みは、年相応に愛らしく見えたものだ。





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