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side story

【貧乏くじはいつも】



「もう、本当。ありえないから」
基地の査察に向かう車の中で、マスターはかんかんに怒っていた。後部座席のど真ん中で脚を組み、偉そうに踏ん反り返っている。左隣に座っている俺からしてみれば、お前がど真ん中で踏ん反り返っている事の方がありえねぇよ、と言いたかった。俺の座る場所が狭くて仕方ない。
「それ、こっちの台詞なんだけど」
前方の助手席から、ホクサイの不機嫌そうな声がした。いつもはマスターの隣席を陣取りたがるアイツが、今日は珍しく助手席に座りたがった。
そういうことかよ、と俺は内心で溜息をつく。
マスターとホクサイは、絶賛喧嘩中というわけだ。
「ホクサイ。お前、何やらかした」
至極面倒だったが、二人の不仲を解消するため、助手席の貴銃士に探りを入れる。このまま放置しても良かったのだが、こんなぎすぎすした雰囲気の車内で時間を持て余すのは、苦痛以外の何物でもない。運転をしている雑用の兵士も、隣にご機嫌斜めの特別幹部が座っているものだから、ハラハラと落ち着かない様子だ。頼むからとっとと仲直りしてくれ。
「89、おねーちゃんから聞いてない?」マスターの右隣、運転席の真後ろに座っているきゅるちゅが、代わりに答えた。「ホクサイはねぇ、ライスを青くしたんだよ。えーっと、何だっけ。確か、ハクマイ? って言うの??」
「白米を青く染められたってのか?」
俺の言葉に、マスターは苦々しい表情で「ええ」と頷く。
「うわ。まじか」こればかりは、さすがの俺もフォローの仕様がない。「ありえねーわ」
白米____それは日本人の魂。この変幻自在な主食無くして、和食を語ることは出来ない。どんなお菜にもよく合い、またそれだけで食しても、仄かな甘みが舌に優しい。その優しさは、さながら天使のようだ。それもそのはず、水炊きした艶々と輝く米粒は、天使の羽根のように清廉な白である。その輝きを、食欲減退の効果があるとされている青色で染めるなど、言語道断。全日本国民への冒涜だ。
マスターは純日本人ではないが、半分でも日本の血が流れているのだから、白米の美味しさを良く理解している。そんな彼女がこの案件に腹を立てるのも、無理はない。
「二対一ね」
俺が同意したことによって、マスターは得意げにそう言った。別に、味方をしたわけでは無いのだが。
「89クンも、ボクちゃんが悪いって決めつけるの?」
バックミラーに映る青い瞳と、目が合った。恨めしそうに俺を見つめている。
「お前に悪気がねぇのは分かるが、白米に手を出したのは……まずかったな」米は白くあってこそ美味しい食べ物だ。ただし赤飯や炊き込みご飯、炒飯などは除く。「あの白さはイノセントなんだよ。手を出しちゃいけねぇ領域だな」
「89ってば相変わらず厨二〜、キモーい! ね、おねーちゃん♡」
あはっと愛らしい笑顔を浮かべ、マスターの右腕にべったりと抱きつくきゅるちゅ。突然のディスりに、俺は返す言葉も無い。
「白米の白は処女性の象徴よ。何にも染められず、ゆえに何色にも染まる。無限の可能性を秘めている」
堅く腕組みをしたままのマスターが、やけに哲学的な方向に話を拗らせてきた。厨二はこいつの方じゃないのか。
「何の話?」きゅるちゅが不思議そうな表情で、彼女を見上げる。
「白米の白は花嫁の純潔。侵してはならない聖域ということよ。それを侵した罪は重い。ね、89」
「いや、俺はそこまで言ってねぇし」あーあ、何だか面倒くせぇ方向に話が進んじまったな。
「何を言ってるのかさっぱりだよ」ホクサイはむすっと頰を膨らまし、拗ね始めた。
「ボクちゃんはただ、ライスに美味しくなる魔法を施しただけなのにさ〜」
「魔法使いホクサイ?」うわ〜、ときゅるちゅが弾んだ声で話を広げる。
「そんなタイトルの絵本ありそう〜。『きじゅーしのホクサイくんは、ものを青くするマジックしか使えない、落ちこぼれの魔法使いなのです!』みたいな」
魔法マジックというか悪戯トリックだろ。つか、貴銃士なのか魔法使いなのか、はっきりさせろ」
「89クンは魔法使いだよね〜。っね、キミ」ホクサイはそう言って、運転席の兵士に微笑みかける。
「えっと、あの、それって……」突然話を振られて、兵士は困惑していた。「もしかして、童貞は魔法使いになれるっていう、あれですか?」
「それそれ〜!」正解だよ〜、とホクサイは面白そうに笑っている。「ベルガークンがいっつも揶揄ってるよねぇ。ドーテークン」
「っはあ!? お、おまっ、ダレがどどどドーテーだって!!?」
「童貞が魔法使いになるのは、30歳になってから」お酒はハタチになってから、と同じ語感でマスターが補足する。「89式自動小銃の製造年は、1989年。貴銃士の中では若輩よ。たぶん人間でいうと1歳児」
「なるほどね〜! バブちゃんだから童貞なのは当然か〜」
「誰がバブちゃんだ! つーか俺は童貞じゃねえ、勝手に決めつけんな!!」
真っ赤になって憤る俺を、アハハとホクサイが笑い飛ばし、マスターは隣でふふっと楽しそうに笑っている。
「何なんだよお前ら……」くそっ、と俺は小さく舌打ちをした。
「喧嘩してたくせに、今じゃ思いっきり息ピッタリじゃねぇか……。仲を取りもってやろうとした俺が、馬鹿みたいだ」
「何それぇ。89のくせに、かっこつけすぎ〜」
きゅるちゅのこの一言は、消耗した俺の精神に容赦なくトドメを刺す。
やっぱり、慣れないことはするもんじゃない。



(89さん、いつも大変だなぁ……)

運転席のモブ兵士は、後部座席できゅるちゅにトドメを刺される89を気の毒に思う。
自身の『童貞は魔法使いになれる』発言が89弄りの起爆剤になったことに、彼は気づいていない。




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